吹雪の魔物
シロウ達はラケルの社で一晩明かし、翌朝、彼女の背に揺られ森の北まで送ってもらった。
「世話になったな。ラケル」
『こちらこそ、お世話になりました。アル、頑張るのですよ』
「うむ。何とかやってみるのじゃ」
アルとラケルは顔を見合わせ笑いあった。
「ラケル、僕がいない間、寂しいだろうけど我慢しててね」
結局、ウルラはシロウ達について来る事になった。
撒こうとしても、相手はハヤブサだ。
その視界から逃れる事は難しいだろう。
「すまんなラケル。旅の間になんか手を考えてみるわ」
『いえ、それには及びません。それより彼が成長出来るよう手を貸してあげて下さい』
ラケルの言葉にシロウは笑みを浮かべた。
「あんた、いい女だな」
『フフッ、そうでしょう。主人も結婚してからは私にゾッコンだったんですよ』
「だろうな。じゃあな、あばよ」
「ラケル、達者でな」
「すぐ帰ってくるからね」
ウルラを加えた三人は次の目的地、北にある山を目指し街道を進み始めた。
山の麓の町により、三人は宿を取った。
ラケルから報酬としてもらった毛皮等を売り、懐はそれなりに暖かかった。
シロウは宿の主人に山について聞いてみる事にした。
「俺達これから北の山に登ろうと思っているんだけど、道とかはあるのかい?」
「あんた本気で言っているのか!?」
「…ヤバいのか?」
「あの山は真夏でも吹雪が起こるような山だよ!これから冬に向かうって時期に行くなんて、正気の沙汰じゃないよ!」
宿の主人はその後もシロウに山で起こった怪異を語り、熱心に考え直すように説得した。
「分かった、分かった。暖かくなってから出直す事にするわ」
「ホントは登らない方が良いんだけどねぇ…」
シロウは主人に礼を言って、食事を取っていたアル達の下に向かった。
「シロウ、この肉柔らかくて美味いのじゃ!」
アルがスペアリブを頬張りながら、嬉しそうに言う。
「人の食べ物も結構美味しいものだね」
ウルラはキチンステーキをナイフとフォークを使って上品に食べていた。
「お前らよく食うな…」
テーブルには空になった食器が重ねられている。
シロウは懐具合を考え、少しげんなりした。
「食いながらでいいから聞いてくれ。山の名前はカーグ、高さは三千メートルぐらい」
「飛んでいけばすぐだね」
「お前はな。別に高さはそれほどでもねぇ。問題はカーグは夏でも真冬並みに寒いらしい」
「我は寒いのは嫌じゃ!」
アルは想像したのか首をすくめている。
「それと、もう一つ。どうも出るらしい」
「出る?熊でも出るのかい?普通の動物なんて僕にかかれば一撃だよ」
ウルラはそう言って手を手刀の形にした。
「普通じゃないらしいぜ。そいつは吹雪と共に現れるそうだ。蒼く澄んだ冷たい目と艶やかな黒髪をした、透けるような白い肌の女の魔物って話だ」
「具体的には何をするのさ?」
「人を氷漬けにして食っちまうみてぇだ」
ウルラはシロウの話を聞き、笑いながら答えた。
「ハハッ、よく聞く話じゃないか。爺ちゃんが似たような話をしてくれたよ。大体食われちゃうんだったら、誰がその話を伝えたんだい?」
「猟師の爺さんに宿主は聞いたって言ってた。……狙われるのは、若いハンサムな男だそうだ。」
「あれ、そうなのかい?僕の聞いた話だと、殺されるのは年寄りの方なんだけど…」
シロウもアルもウルラを見つめた。その目は少し哀れみを帯びている様に見えた。
宿の窓が風でカタカタと音を鳴らしている。
「…二人ともなんで僕をそんな目で見るんだい?」
「…この三人の中ならお前だな」
「…そうじゃな」
ウルラは余裕ぶっていたが、その顔は少し引きつっている。
「俺は山に登るつもりだ。お前とアルは町に残ってもいいぜ」
「我はついて行くぞ!……そうじゃな。いっその事、ウルラとはこの町で別れるというのも良いかもしれん」
「僕を置いて行くつもりか!?」
「だってお前、シャーベットにされて、食われちまうかも知れねぇんだぞ?」
ウルラは唾をのみ込み口を開いた。
「まっ、魔物が出ても返り討ちにすればいい。僕の爪は何でも切り裂ける」
「まぁ、お前が一緒に来たいってんなら、止めはしねぇよ」
「…食われれば、また二人旅に戻れるのう」
アルがぼそりと呟いた。その呟きは小さく誰の耳にも届く事はなかった。
翌日、準備を整えた三人はカーグ山に向かって出発した。
防寒具や食料等で所持金は底を突いた。
戻ったら金策を考えなければならないだろう。
今回の魂は男で、カーグ山で何かを無くしたようだ。
男の魂の影響かシロウには初めて登る山がどこか懐かく、同時に恐ろしく感じられた。
登り始めた頃は晴天だったが、中腹を過ぎたあたりで空は曇り初め、八合目を過ぎる頃には吹雪で周囲が見えなくなった。
三人は雪洞を掘り、吹雪が止むまで待機する事にした。
「まるで真冬だな」
「シロウ、もっとギュッと抱くのじゃ」
「お前はホントに寒がりだな」
雪洞の中、ランプの明かりが揺れている。
「ウルラは寒くねぇのか?」
「ソカル族にはこの程度、寒くもなんともないよ」
ウルラは防寒着も身につけず、普段と変わらない格好のままだ。
見ているとシロウの方が、ゾクゾクしてくる気がした。
「シロウ、君の中の魂が無くしたモノってなんだい?」
「それが…、アルに見てもらったんだが、よく分からないみてぇなんだ」
「分からない?」
「男は強い喪失感を抱いておった。じゃが肝心の部分を視る事が出来んのじゃ」
アルの話では、この山に登った所までは視えたが、その後は急に山から下りた後に視える物が飛ぶらしい。
「男は山から下りた後、色んな場所を彷徨って最後は我の祠に来た。じゃから何かを無くしたとすれば、この山に在ると思ったのじゃ」
「ふうん。そんな事が出来るなんて、弱い割に器用なんだね」
「弱いは余計じゃ!」
アルはウルラに牙を剥いて、シロウに抱き着いた。
その頭を撫でながらシロウは口を開いた。
「ウルラ、自分に出来ない事が出来る奴をもっと大事にしな」
「大事に?自分より弱い者をかい?」
「強い弱いで決めてるうちは、きっとラケルは認めてくれねぇと思うぜ」
「……」
ラケルの話が出た事で、ウルラは押し黙って考えこんだ。
静かになったウルラから目を放し、シロウは雪洞の入り口を見た。
外は吹雪が続いており、日が落ちた事で闇が覆い始めていた。
「今日はここで眠るしか無さそうだな」
「シロウ、腹が減ったのじゃ…」
シロウは鞄から干し肉を取り出し、アルとウルラに差し出した。
「よく噛んで食え。ちなみ今日はそれでお終いだからな」
「ひもじいのじゃ…」
「吹雪が止めば、僕が狩りに出てもいいんだけど…」
結局、吹雪は収まらず、三人は身を寄せ合って眠った。
シロウの脳裏に、寒い場所で眠ると凍死するという知識が浮かんだが、三人とも普通ではないので大丈夫だろうと眠りに落ちた。
誰かが頬に触れている。
一瞬熱さを感じた程、冷たい手だったがとても優しい触れ方だった。
「誰だ…?」
シロウが目を開けると、そこには黒髪の女の顔があった。
「お前も違う…」
女は悲しそうにそう呟くと、ウルラの顔にそっと手をやった。
触った部分が霜に覆われていく。
「冷たいよ!!……誰?」
ウルラは女の手を振り払い、女を見て呟いた。
女はそんな反応をされた事が無いのか驚いた顔をした。
「二人とも凍らない…どうして…」
女は改めてシロウを見てそう口にする。
「お前が吹雪の魔物だな?」
「魔物?私はただ愛しい人を探しているだけ…」
「愛しい人?一体誰の事だ?」
「私が探しているのはリックと言う名の青年…」
「リック!?」
シロウは胸に抱き着いて眠っていたアルを揺さぶった。
「…なんじゃ。ふぁああ…」
口から涎が垂れている。
「しょうがねぇなぁ。」
それを拭ってやりながら寝ぼけているアルに尋ねる。
「お前が視た魂の名前、たしかリックだったよな?」
「…そうじゃ、リック…リック…むにゃ…」
アルの目蓋はそれだけ言って再び閉じられた。
「おい、リック出て来いよ。……出てこいって言ってるだろ!!」
シロウの叫びで、魂が弾き出される様に姿を現す。
金髪のハンサムな男だった。
しかし、女の姿を見たリックの顔は恐怖で歪んだ。
『ヒッ!!』
「ああ、リック…会いたかったわ…」
『くっ来るな!!』
リックの魂はシロウの中に逃げ込んだ。
「リック…消えてしまった…」
女は悲しそうに呟いた。
「シロウ、この人誰?」
「吹雪と共に現れる魔物だよ」
「魔物?…この人、人間だよ。君と同じように中に何かいるみたいだけど」
「人間?」
シロウは改めて女を見た。
透き通るような白い肌、その美しい顔は人形の様に見えた。
「あんた名前は?」
「ヴィーネ…憑りつかれた女…」
「憑りつかれた?何に?」
ヴィーネと名乗った女は、シロウを見てゆっくりと瞬きをした。
長い睫毛が雪の結晶を散らした。




