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大会の前に

 少し肌がピリつく陽射し。


 動かずとも滲み出る汗。


 もはや慣れてしまったちょっとした動悸。


 張り詰めた緊張感で満たされる空気。


 どこかぎこちなく感じる己の身体。


 どれもこれも前世の時に感じたものと遜色ないものだ。覚えている。本番直前のこの独特な雰囲気は忘れることはできない。

 

 全国大会への出場を懸けた大会。

 俺は今、その地へと立っている。



* * *


 「……目が覚めた」


 時刻は朝5時半。普段よりもかなり早い起床だ。本音としては二度寝と洒落こみたいところなのだが、俺の体がそれを許してはくれない。

 いつもこうだ。試験、大会などの重要な予定が入っている日、俺はほぼ確実と言っていいほどの割合で早朝に目が覚める。何故かは分からないが、そういうものなのだと割り切るしかないのだろう。


「イメトレでもしよ……」


 かと言って、朝早くからこれといってやることもないため、大方は布団の中でイメージトレーニングをして過ごすのが定型化されたパターンだ。


 はぁ。早くも緊張してきた。



 その後ベッドから這い出た俺は、手早く朝の身支度を済ませた。


「みんな、行ってきます」


「ジンちゃん頑張って!!私達も後から応援いくからね!」


「『ここに前原仁あり』って知らしめてあげて仁」


「お兄ちゃんいっけえええ!!」


 愛すべき家族たちが激励の言葉をくれる。みんなの顔付きからは、俺が負けるはずがないと信じていることが伺える。ここは是非とも期待に添い、ご褒美を頂きたいところだ。具体的には、母さんや姉さんから頭ナデナデされたり、心愛を抱き締めたりしたい。


 …くっ!いやダメだ。俺は武道を志す者。そんな邪な動機で競技に望んでどうするんだ!

 そう、あくまで家族からのご褒美というのは副次的なもので俺の本意ではない。しかし、嫌というわけではないので甘んじて受け入れているのだ。うん。ごめんなさい。


「ソフィ。仁のこと頼んだよ」


「ん、任された。ご主人様に、怪しい者は絶対に近付けさせないことをここに確約する」


 そうそう、今日の大会にはソフィが同行してくれることになっている。

 彼女は、男性特別侍衛官、通称SBMと呼ばれるエリートであり、俺の護衛をしてくれるのだ。本名はソフィア・マルティス。輝く銀髪に菫色の瞳が特徴の小柄な女性だ。

 俺は大会にのみ集中したいため、身辺のことは彼女に一任してしまおうというわけだ。


「みんなありがとう。暴れてくるね」


 笑顔でそう告げ、俺とソフィは駅へと向かった。


 いつも通りの道、いつも通りの風景。

 何一つ変わらないはずなのに何処か違うように感じるのは俺の精神状態のせいだろう。

 心なしか、ソフィとの口数も普段より少ないように思う。やはり早くも緊張してしまっているようだ。


「ん、ご主人様」


「どうかした?」


 平静とは違う自分に少し不安を覚えていると、ソフィが眠たげな目をこちらに向けながら話し掛けてきた。


「ん、ご主人様は少し緊張しているみたい。でも心配いらない。ご主人様は最強。もし負けたとしたらそれは不運の事故であって、気にする必要は無い。……そう思う」


「……」


 立ち止まったソフィは、いつもより少しだけ早口でそう言葉をくれた。

 敏感な彼女のことだから、恐らく俺の異変に気付き励まそうとしてくれたのだと思う。その内容は無茶苦茶だけど、この上なくソフィらしくて可愛らしくて。


「ぷっ。あははっ」


 ついつい笑みが零れてしまった。


「……?」


「あ、いやごめんね。うんそうだねありがとう。お陰でちょっと緊張がほぐれたよ」


 ソフィは突然笑い出した俺を不思議そうに見ている。

 それにしても彼女からこんな言葉を掛けてくれるとは思わなかった。他人を気遣う発言は普段は少ないけれど、もしかしたら口に出さないだけなのかもしれない。


 ……。

 もう先刻までの身体の違和感はなくなったみたいだ。これなら、何とかいけそう。ソフィには感謝してもしきれないな。


 んじゃ、張り切って行きますか。


* * *


「仁きゅんにきゅんきゅん」「前原きゅんのお出ましだよ」「今日もお美しい……。……あれ?何か長いモノ持ってない?」「あぁ、あれは弓だよ弓。今日大会があるみたいだよ?」「え、うっそ。ウチ学校休んで見学に行ってもいいかな?」「バカ。それに行ったとしても見学はできないよ。あんたみたいな人多いから関係者以外中は入れないみたいなの」「ジーザス!!!」


 駅につき一般車両に乗り込んだ俺たちだが、早速乗客たちの声が耳に入ってくる。ちなみに弓の長さは2メートルを超えるのでとても長いのである。


 というか、入場規制なんてあったのか。知らなかったぞ。まあ確かに俺が行く先々に人が集まる事は自明と言ってもいいからな。しょうがないしょうがない。自分で言うなって感じだけど。


「あ、いたいた!!じーーーん!!」


 うんうんと小耳に挟んだ話に頷いていると、背後から俺を呼ぶ声が聞こえた。


「おはようございます、すみれ先輩」


 声の主に振り返りつつ挨拶をする。顔を確認しなくても誰かはすぐに分かった。

 茶色のポニーテールをまるで生き物のように忙しなく揺らしている女の子。この人は弓道部2年生でレギュラーの片岡すみれ先輩だ。何かと目を掛けてくれており、とてもお世話になっているのだ。


「おはよ!!今日頑張ろうね」


「はい、頑張りましょう」


 すみれ先輩は相変わらず朗らかで人懐っこい。こういう人は、他人からも好かれやすいし俺も実際好きだ。1人でもいるとその場の空気が明るくなるような不思議な感じがする。


「……ん、それ以上は近付かないように」


「……えっと、あなたは?」


 すみれ先輩が一歩踏み出した時、俺の少し後ろに控えていたソフィがそれを咎めた。ちょっと面白そうなので黙って観戦してみることにする。


「ん、私はご主人様に仕える者。よってあなたを警戒している」


「んん?よく分かりませんけど……。私は仁の部活の先輩だから大丈夫ですよ?」


「知人同士なのは見れば分かる。そうではなく、あなたからはオスを狙うメスの匂いがする。ご主人様に不埒(ふらち)な行為を働かせるわけにはいかない」


「ふらっ!?そ、そんなこと全然ないですけど!?ないですけど!?」


「信用できない。鼻が曲がりそうな程匂ってくる」


「き、傷付くんですけど……。大体何の権限があって私の行く手を阻んでるんですか」


 すみれ先輩がジト目で不満そうにそう言った瞬間、ソフィはすぐ様姿勢を正しこう言った。


「ん、私は男性特別侍衛官のソフィア・マルティス。ご主人様に尽くし、その御身を守る者」


 渾身のドヤ顔だった。俺には分かる、彼女はこの質問を待っていたのだ。ソフィは何かとマウントを取りたがる傾向がある。困ったものなんだけど、可愛いから許しちゃう。てへ。


 すると、俺たちの会話に注目していた乗客たちがザワつくのが分かった。


「男性特別侍衛官!?……SBM!?」「仁きゅんもSBM付きになったんだ!」「凄い……」「まあ前原くんならいつかとは思ってたけど……」「ジーザス。これからは見ることしか出来なくなるというのか」「あんた時々さり気なく仁君にボディタッチしてたもんね。逮捕されずに済んでよかったと思うけど」


 どうでもいいことなのだが、この世界において、男性特別侍衛官に守られている男性のことを『SBM付き』と呼ぶことがある。男性は貴重とは言え、全員を護衛する訳にはいかない。そのため希少性の高いSBMに守られている男性というのは、貴重中の貴重という事で敬意を持たれているのだ。男性の、国会議員や芸能人、一握りの会社の重鎮などが主である。


 とまあそんなわけで、乗客の女性達はただの一般人である俺が『SBM付き』になったことに驚いているというわけだ。


「SBMの人……!?」


 そしてそれはすみれ先輩も例外ではない。


「ん。ご主人様に不埒な真似はさせない」


「……で、でも私は仁と話せればそれでいいんです」


 むむ、観戦はここまでかな。すみれ先輩が泣きそうな顔になっている。可愛い女の子の泣き顔というのもまた乙なものではあるけど、好んで見たいわけではないからな。


「ソフィ、すみれ先輩は大丈夫だよ。それに僕も話したいからさ」


「ん、ご主人様がそう言うなら」


 少し申し訳ないことをしてしまった。帰ったらソフィに俺の人間関係についてはよく説明して、要相談だな。


「じぃん……」


「よしよし、泣かないで下さい」


 本当は頭をナデナデしてあげたいのだが、ここは車両内で公共の場所のためそれは控えておく。また今度思う存分撫でよう、うん。


 その後、ソフィとすみれ先輩と俺は3人で語らいながら電車に数十分揺られた。

 やはりというかなんというか、すみれ先輩はやはり人に好かれやすい性格のようでこの時間ですっかりソフィと和解し、仲良くなったみたいだ。全く恐ろしい。

 よく分からないが、2人はずっと『仁に頭を撫でられるなら前頭部か頭頂部か』で議論していた。


 まあその話は置いておこう。


「よし、最寄りの駅に着いた」


 駅から出ると、出口付近には大勢の人が(たむろ)していた。弓道の(はかま)を既に身につけている人、学校の制服を着ている人、あとはその家族の人達や記者の人達も見受けられる。


 この日のために日々努力を重ねてきた。

 どんな結果になろうと悔いはないが、出来る限りのことはしたい。


 さあ、行こう。

 俺たちは大会会場へと向かった。


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