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記憶回帰

 

 最近、頭が痛い。


 水分不足とか寝不足とか、風邪を引いたとかそういった類の変調ではない。頭痛薬も全く効果を感じられなかった。母さんやソフィが心配するので念の為病院にも行ってみたが、特に異常は見られなかった。ようするに、原因不明の頭痛に見舞われている。


 こう、脳ミソの中心から何かをえぐり返すのような鈍くもあり鋭くもある痛みが慢性的に繰り返すのだ。特に、朝が酷い。朝目を覚ました瞬間に耐え難い苦痛に苛まれる。それもここ1週間の話だ。数日前から、夜ベッドに入る行為が恐怖に変わりつつある。目覚めたら尋常ではない頭痛に襲われるのだから、処刑台に寝転ぶ感覚に近い。



「……ッ!ぐぅ……」


 こうして今日も、寝起き10分程は痛みで動くことも出来ない。日に日に痛みが増している気がする。そろそろ原因を究明しないと、本当にまずい気がする。心無しか少しばかりの吐き気も感じる。


 外気温との差異により結論し、水滴がついた窓の外を見る。真っ白に雪化粧を施され、今日の寒威の程を思わせる。


 今日は土曜日で、部活の練習の予定がある。またその際に、例のイケメン四天王……イケシテの頂点を決めるスポーツ大会の詳細を、スポーツライターの足立蘭さんと打ち合わせをするといった話があったはずだ。故に、今日休むわけにはいかない。


 が、しかし。

 体調が全く優れない。

 鉛に体を覆われたように、関節が動いてくれないのだ。


「はぁ……はぁ……」


 また、頭痛に加えて、ここ数日妙な夢を見るようになった。その夢が俺の体調不良を加速させていると言ってもいい。

 が、夢、と言い切って良いのか判断が付かない。それ程、鮮明に明瞭に、実感を伴う内容だ。夢を見ていると言うよりかは、誰か他人の記憶を覗き見ているような、そんなイメージ。


 具体的な内容について言及すると、そうだな。


 それは、1人の小さな男の子の日常だった。


 夢は俺がその子に入り込んだ一人称視点で進む。視界には常に白いモヤがかかった状態で進行するため、細部に至るまで全ての情報を把握することは難しい。けれどそんな抽象化された視覚とは裏腹に、起こる出来事の辻褄は合い、決してチグハグな事象は起こらない。

 現実のように。


 夢ならば、奇天烈な物体や、突飛な空間、突拍子もないイベントが、予想外な角度から、唐突なタイミングで割り込むのが常だろう。経験したことはないだろうか。朝起きて、断片的に夢の記憶を辿ってみると、何故自分はこんな夢を、と。

 とうの昔に忘れ去っていると思い込んでいる記憶は、実は脳の一部にきっちり保存されているという。海馬だったか、大脳皮質だったか、名称はあやふやだが、確実に脳はこれまでの実体験を記録しているのだ。

 意味不明な夢は、若しかしたらそうした『自分が覚えていない記憶』の欠片や覚えている記憶を出鱈目に引っ付け、その時抱いている願望や悩みをスパイスに、適当に映像化したモノを見せられているのではないか。そんな説を考え付いた時期もあった。


 話が逸れてしまった。

 つまり、夢ならば少しは奇想天外な事象が起こって然るべきなのだ。


 それなのに、俺が最近見る男の子の夢には一切それがない。それはあたかも現実であるかのように、リアルな情景を俺に与えるのだ。特別なピースは存在しない。

 そう、言ってしまえば。


 或いは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のような。


 そんな、感じ。

 ただの一般人の、何の変哲もない日常の風景を、他人である俺が覗き見ているだけなのに。そこには違和感なんて介入する余地がない程、自然に俺はその風景を受け入れて、見ているのだ。

 しかも、夢から与えられる情報は視覚だけに留まらない。その男の子の感情まで流入してくるのだ。男の子が何を思って、何を感じて、この場所にいるのか。それが何の呵責もなく俺の中へ流れ込む。夢の中の俺はそれを自然に甘受する。

 そして、朝起きた瞬間その奇妙な現象を思い返し、酷く気分を悪くするのだ。こんな気味が悪い夢があってたまるものか。


「……う……ぐぇ……」


 今だって思い出しただけで気持ち悪くなる。しかし、はっきりと寸分違うことなく、思い返すことが出来る。



* * *



 男の子はみんなが大好きだった。

 可愛い妹や、頼り甲斐のある姉。そしていつも優しいお母さんのことが。


 他にも、男の子はクラスのみんなが大好きだった。いつも仲良くしてくれて、いつも笑顔で接してくれる。男の子は幸せだった。こんな日々がずっと続いてくれると、そう信じて疑わなかった。正に順風満帆だった。


 そんなある日のこと。

 それは突然だった。

 何の前触れもなく、何の予兆もなく。何の善意も、悪意もなく。


 男の子は、みんなのことが、大嫌いになった。


 それは気付いてしまったから。年月が流れ、周りが変わってしまったのか、自分が機敏になったのか。それは分からない。

 けれど、クラスメイトのみんなが自分と仲良くしてくれる本当の理由を、男の子は察してしまった。


 誰も、本当の僕を見ていない。


 男の子は、歳を重ねた結果、利己的な目、欲に眩んだ目、そういった目が分かるようになってしまった。男の子は、本当の意味で、クラスメイトの誰からも愛されてはいなかった。


 それからというもの誰も信じられなくなった男の子は家族とも疎遠になった。家族がそういう目をしていたかどうかは分からない。怖くて怖くて、家族の目は見られなかった。


 男の子は、1人になった。

『独り』で構わないと思った。


 男の子は、孤独に歩き始めた。



* * *




 大まかな夢の流れはこんな感じだろうか。この流れに、男の子の些細な日常や感情を付け足し、可視化したモノを、俺はこの1週間分割して見続けているのだ。そして朝起きれば、狂いそうな激痛に頭が襲われる。


 正直、気が滅入る。


「……」


 また、この男の子の妹や姉、母親の面影が、ちょうど俺の妹の心愛(ゆあ)、姉さんの茄林、母さんの柚香に酷く被る。それも俺の不安に拍車をかけている要因の一つだ。


「ごくごく……ぷはぁ」


 枕元に置いてあったペットボトルのお茶を一息に飲み干し、頭痛の軽減を自覚する。

 改めて、頭を整理してみることにする。俺が最近立てているある仮説についてだ。


 その男の子の家族が俺の家族に似ているという実感や、俺がこの世界に転生したという特異な出自。またこの『前原仁』の体は、真の意味で俺の持ち物ではなく、それは……それはこの脳も例に漏れない。


 これらの要素が相俟って、ここの所俺がしている馬鹿げた妄想。

 起きていれば、頭をグルグルと何度も駆け回るとある可能性。

 信じたくはないが、事実ならば受け入れる必要のある推考。



「……俺は」



 俺は、この体の真の持ち主、『前原仁』の過去の記憶を観ているのではないか?

 男の子は、幼き頃の前原仁そのものなのではないか?



 そんな、仮説。

 笑い飛ばしたい。そんな馬鹿な、と嘲笑したい。

 しかし、種々の要素が俺のその淡い願望を否定する。その方向で考えれば考えるほど、どのピースも、その仮説を裏付ける証拠となってしまう。


 こちらに転生した際に考えないわけではなかった。俺が転生……憑依とも言い換えられる。憑依したならば、前原仁はどうなったのだと。この脳が前原仁の物ならば、記憶はどこに行き、意識はどこに行ったのかと。俺は、前原仁は死亡し、その代わりに魂的なファンタジー成分が乗り移って、1人の新たな『前原仁』が出来上がったのだと解釈していた。その解釈は今でも間違っていないと思う。思うが、それに加えて現代科学も機能していたとしたらどうだろう?


 この体の脳が、主人の記憶や意識を密かに匿っていたとしたら?消滅したフリをして、実は隠し持っていたのではないか。


 兆候はあった。

 俺は時々、自分の行動を、自分ではない誰かが操作しているような不思議な感覚に陥ることがあった。

 中川先輩の兄、中川眞二を自分が引くくらいボッコボコにした時や、心愛を殴った竜崎何とかをフルスイングでぶん殴った時などがそれに当たるだろうか。あの暴力的な思考に支配される感覚、あれは前世の自分にはなかったものだ。

 俺はその時、精神が引っ張られてるのかもな、なんて楽観的に冗談めかして考えていたがその的が実は外れていなかったとしたら?

 

 それが今になって、記憶が芽を出し始め、俺の夢として現れているのではないか、そう考えているのだ。


 これはとても恐ろしい考えだった。夢で済めばいい。夢だけで終わればそれでいいのだが、もし記憶がそれだけに留まらず決壊するように溢れ出してきたら?


 俺の、転生前の前原仁の記憶は一体どうなるのだろう。ただ、人1人の人生の記憶を追体験出来て普通の2倍の人生経験を積めちゃいましたーで終わる話なのか?俺の記憶に上乗せするような形で、新しい記憶が保存されるだけなのか?


 もし、仮にそうではなく、『前原仁』の記憶に俺の記憶が押し潰されるような事態になったら。

 いや、問題はそれだけには収まらない。

『前原仁』の意識は?もしかして『前原仁』は死亡したのではなく、意識を失っている状態なのではないか?俺のような異分子が仮住まい的にこの体を使わせて貰っていた奇跡は、『前原仁』が意識を取り戻した瞬間に終わりを告げ、俺の意識は『前原仁』の意識に喰われてしまうのでは?

 それは、実質の俺の『死』を意味する。



「………はぁ」


 こうした、答えの出ない自問自答のような何かに俺はこの1週間頭を悩ませ続けているのだ。いくら考えても解決策などあろうはずかない。しかし考えなければ不安でいてもたってもいられない、考えれば考える程精神を摩耗する。とんでもない堂々巡りだ。


『コンコンコンっ』


「ジンちゃーん。起きてるー?体調はどう?」


 頭を抱える俺の部屋がノックされ、可憐な、安心を与える声が響く。……母さんにはこの1週間何度救われたことか。


「……うん、今日も体調良くないから、部活休むね」


「……そっかぁ。後でお粥作ってくるからね。それで、明日もっと大きな病院に行ってみよっか!何か分かるかもしれないし!今日はゆっくり休んでね」


「ありがとう、母さん」


 パタパタとスリッパの足音が部屋から遠ざかる。母さんの献身的なお世話には感謝しっぱなしだ。


 結局、部活は休むことにした。イケシテの打ち合わせも休んでしまうのは心苦しいが、今はとてもじゃないが外出する気にはなれない。今はとにかく寝たい。寝て、全てを忘れたい。……あの夢を見る可能性はあるが。


「……んんぅ」


 俺は今一度ベッドに潜り込む。


 しかし、今はとても眠いのだ。

 瞼が誰かに引っ張られているかのように重い。閉じる動作に抗えない。


 とても眠い。

 意識が誰かに持っていかれるように眠い。


 とても眠い。

 何日も寝ていなく、脳が休暇を欲しているかのように眠い。


 自室の白い天井が、窓の外の雪が反射した光で淡く光る。俺の眠りを祝福してくれているようで、眠気が加速する。


 大丈夫。この夢は、ただの夢。

 俺は深く考えすぎてしまっているだけだ。俺は前原仁。この体は俺のモノなのだ。

 大丈夫、大丈夫だ。


 とにかく今は眠い。

 寝て起きたら、あの夢なんて忘れて、また何の悩みもなく楽しめるに決まってる。


 だから今は眠ろう。

 とても眠い。


 とても。とても。






 ……。






















* * *



「……んぁ?」


 目が覚めた。

 しかし意識がはっきりしない。水面から顔を出したように、眠気が執拗に張り付いて取れない。明滅とした思考しか繰り返すことが出来ず、状況が掴めない。


「……ぁー」


 感覚が一向にクリアにならない。五感に靄がかかったように妨害を感じ、自分が何をしていたのか思い出せない。



 まるで、長い間、それも月や年単位で眠っていたかのようだ。



「……ねみぃ〜」


 数分程経ち、漸く自分が今眠い状態だという事実に気が付いた。それ迄は自分の感情も、増してや外部の情報など全く理解出来なかった。

 やっと、人間としての機能を再起させた。稀有な、今まで感じたことの無い感覚だ。


 あーー。えっと。


 自分が今から何をすべきで、今まで何をしていたのか瞬時に思い出せない。何だこれは。記憶喪失にでもなったというのか?いや、この俺がそんなファンタジー紛いのイベントに巻き込まれるわけがない。


「……あ」


 そうだ。思い出した。

 ……別に自分の名前を思い出したとかではないぞ?

 俺の名前は前原仁だ。中学3年……じゃなくて、ついこの間高校1年になったんだった。確か春蘭高校?だったか?そんな名前の高校に入学しだと思う。推薦で適当に選んだからな。あまりその学校は知らん。

 ほら、大丈夫だ。何故か記憶が曖昧だったがきちんと覚えている。


 何を思い出したかと言うと、あれだ、最後の記憶だ。


「……確か」


 そう、階段。

 階段から落ちたんだ。あれは迂闊だった。あの時も今みたいに寝惚けてたんだよな。いやぁ、あれは流石の俺も死を覚悟したね。ま、俺が死ぬ訳ないんだけどな。


 そんな俺が自室のベッドに寝てるということは……母親(アイツ)かな。ふん、殊勝だな。何故いつまでも俺なんかに構うのか理解出来ん。さっさと見限ればいいものを、一体どれ程痛い目を見れば済むんだ。考えが分からん。


 まぁいい。今に始まったものでもないしな。


 俺はやけに汗ばんだ体を不思議に思いながらもベッドから立ち上がる。その時、少し異なる感覚に戸惑い、思わずたたらを踏んでしまった。


「……あ?」


 これは……。


 もしや身長が伸びているのか?体感に妙に違和感があると思えば。一体何なんだ。

 起きた瞬間から、やけに疑問が次から次へと付き纏う。気味が悪いな。気を凝らして見渡してみれば、微妙に部屋の内装が変わっている気もしないでもない。


「……んー、きみわりぃ事を放置すんのは性分じゃないんだが」


 取り敢えず今は腹が減った。腹が減っては何とやら。人間、万全の状態でないとベストなパフォーマンスは行えない。これは事実だ。

 だから、俺は飯を食う。話はそれからにしよう。


 俺は身体をぎこちなく動かしながらも何とか移動を開始する。この違和感をどう払拭してくれようか。






「あーー、それにしても眠いな」










小難しく、真面目な内容です。

しかし避けては通れぬ道なのです。

物語は4分の3を終えました。

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