-2nd dish-
景色を漆で塗り固めたように無明の世界が一面 に広がっている。
凄惨さから逃げるために何処か遠くへと飛ばし ていた意識が戻り、恐怖から逃避するべく固く瞑 られた両目をゆっくりと開く。
部屋の四隅や床の至るところに金属製の廃材や 残骸が散らばり壁はコンクリートで覆われてと ても人が生活する場所だとは紅乃にはどうして も思えなかった。
先程まで繰り広げられていた男と死体が戦う無 惨で痛々しい光景が肉体的負荷として重く乗し 掛かり続け、紅乃は未だに体の震えが止まらずに まとわり付く悪寒と一人で闘っているのだ。
そんな紅乃の足元からヘドロのように黒くて粘 着質な液体が大きな気泡をいくつも潰しながら 一気に紅乃の頭よりも遥かに高い位置に競り上 がる。
「マダ・・・」
紅乃の体の震えがいっそう強くなる。競り上がっ た液体が霧のように飛び散ると肌が黒い大男が 姿を現したのだ。
「足ラナイ」
男の右手が紅乃の左の肩を掴むと骨が軋る音と 共に紅乃の肩が大きく歪み、空間を突き裂く金切 り声が紅乃の喉から溢れた。
「オ前ガ」
「オ前ガ欲シイ」
男の歯が喉に向けて伸びるところで紅乃の意識 は再び闇に落ちていった。
***
閉じていた瞼を裂いて眼を眼窩から溢さんとば かりに見開かせる。
窓の外から溢れる光で目が潰れそうになるが、苦 痛からの解放を望む紅乃にとってそれほど些細 なことは気にしてはいられなかった。
「かはっ・・・」
目と一緒に大きく開いた口から一気に空気が喉 を伝って肺の中に流し込まれ紅乃はしばらくの 間まともに呼吸すらも出来ないほどに自分が先 程までの悪夢に恐怖していたことを嫌でも思い 知らされたのだ。
掛け布団を捲りつつ仰向けになった体を持ち上 げ、荒くなった呼吸を静めるために深く息を吸 う。
頬や首筋、黄色いチェック柄のパジャマの下の背 中を冷や汗が伝い、先程まで布団に入っていた筈 なのに酷く体が冷えている。不安定な気持ちを掻 き消すために汗で湿った栗色の髪の毛を掻き 毟ってからつい先程まで紅乃が眠っていたベッ ドの上から自分が今いる部屋を見渡すと綺麗に 整頓された荷物が置かれた勉強机と椅子や箪笥 の中に規則的に並んだハンガーに掛かった洋服 達が紅乃の視界に入った。
その勉強机の荷物の中で机の上にひっそりと置 かれた写真立てを見た途端に紅乃はほっと胸を 撫で下ろした。ベッドの上からでもハッキリとわ かる。亡くなった紅乃の母である恵那と幼い紅乃 の姿を切り取った写真が視界の中に飛び込んで 来たのだ。
「私の部屋だ・・・」
「だったらどうしたのだ?」
そんな折に紅乃の耳に入ったのは聞き覚えのあ る胸に響くような男の声。その声のする方へ振り 向くと部屋の柱に長身の男が一人腕を組んでも たれ掛かっている。
暗い灰色がかった肌に黒のジーンズを穿いて細 身で筋肉質な上半身を晒し、端正な顔立ちと紫色 の瞳をやや癖のある黒髪の下から覗かせている。 身長は190センチメートルから2メートルの間 位だろうか、格好は人間そのものだが明らかに人 間のものとは思えない肌の色が紅乃の脳裏に昨晩の恐怖と絶望を呼び起こすには充分だった。
「身に覚えのある場所に来て少しはほっとした か?」
やれやれと頭をかきながら男が嫌味を溢す。男が 視界に入り込み、さらに男の口から発せられた言 葉によって紅乃がさっきまで見ていた悪夢が再び紅乃の脳裏を過る。
「そんな」
紅乃の息が止まる。
「全て実際に起きた出来事だ。」
「じゃ私は―――」
「お前は母親の墓の前で奴等の栄養源になるとこ ろだった。だから俺が奴等を止めてお前の実家まで運んでやった。ただそれだけのことだ。」
思考の理解が追い付かない紅乃を尻目に淡々と男が語ってから男は鼻で笑って見せた。
「死ぬかもしれないところだったのに・・・」
紅乃の言う通り危うく紅乃は死にかける所だっ たのは事実だ。さらに言えば武道の模範演技とは 比べ物にならないほど強烈な生の命の賭け合い や元々人間だったモノを躊躇いもなく補食する。 そんな目を背けたくなる出来事を“それだけのこ と”と笑う男に対して紅乃は言い様のない怒りを 覚えた。血が滲むほど強く握った拳が行き場のな い怒りを男に訴えかける。
「だがお前は生きてあの地獄を潜り抜けてここに いる。今はそれで充分だ。そうは思わないのか?」
「充分って・・・」
もう沢山だ。自分がどんな傷を抱えているか知ら ずにただ命が助かっただけでこの男は満足して いるのだ。命を拾ってもらったことを感謝するこ とさえも紅乃には馬鹿馬鹿しく思えてしまい目 には涙が滲み奥歯に力がこもって軋りをあげる。
「あんな酷い物見せられた後なのにそんなの簡単 に納得できるわけないでしょ!!あなたは何者な の?どうして私の部屋にいるの?」
煮え切らない悔しさと怒りから紅乃は堰を切っ たように男に罵声を浴びせる。怒りからくる興奮 で自然と息も荒くなって言葉が矢のように口か ら飛び出てくる。
「どうして・・・どうして私は襲われたの?ねぇ答 えてよォ!!」
この際だから全部言ってやると突発的に怒りが 頂点に達した紅乃は声を裏返らせ一気に捲し立 てたが、紅乃の訴えを嘲笑うように静観する男の 姿に紅乃は一瞬で我に帰らされてしまう。
この男にいくら捲し立てたところで自分ではこ の男の相手になどならないのだと。それが当たり 前なことだと言うことも紅乃には判っているの だ。なぜなら目の前にいるのは自分でも全く敵わ なかった怪物が束になっても全く歯が立たな かった“化物”なのだから。
張り詰めた糸を切ったように怒りは紅乃の中か ら消え失せて今度は罪悪感が紅乃の精神に蔓延 する。爛々と男を睨み付けていた目を臥せて全身 の筋肉から力が抜け落ちて握っていた拳を解く と幾秒かの沈黙が部屋の空気を支配した後に声 を口篭らせ震わせながら言葉を漏らした。
「助けて貰った身分なのに・・・怒鳴ったりしてご めんなさい。」
紅乃の目からまた涙が溢れる。肉体的に弱いから 男に助けて貰ったにも拘らず、精神的に弱いせい で命の恩人である目の前の男にに対して何の躊 躇いもなく罵声を浴びせてしまった。この事実が 弱い自分に対して呪いに近い嫌悪を懐く紅乃を 追い詰めるのにそう時間はかからなかった。
「気にはするなとあの地獄を見せた後で言うのは 不謹慎だが・・・俺もこんなことを長く続けている 身だ。生憎こういった怨み辛みを言われることに は馴れていてな、真実を知ったお前が取り乱すこ とは大方予想がついていた。」
紅乃が咽び泣いているのを眺め男は壁に背中を 預けると一つ大きなため息をついてから答えた。
「まぁ今のうちに涙腺を空にしておけ。そのうち 涙の流し方も思い出せなくなるかもしれないか らな。」
紅乃は何度も嗚咽しながら両手で目を抑えて頷 き、身も心も涙で一杯にしながら意識をまた闇の 中へと落としていった。
***
それから数時間程経った後。
幼子のように泣き疲れて眠りこけていた紅乃の 目はゆっくり開き、先程と同じ自分の部屋の景色 を写し始めた。
「やっと起きたか。気分はどうだ眠り姫?」
寝起きの朦朧とした意識で紅乃は声の主を探す。 部屋の壁に視線を移すと当然のように恩人であ る色黒の男が腕を組んでニヒルに口元を吊り上 げながら壁に寄り掛かっていた。
「貴方は」
と言い掛けた所で紅乃の声が止まる。さなが ら“ちょっと待って”と言わんばかりに右掌を男 に突き付けて男から視線を逸らすと男も何か大 変なことが起きているのではないかとその場で 腕を組んだまま紅乃の手をまじまじと眺める。
お互いに数秒ほど沈黙した後で紅乃の人差し指 が男に向くとここで一つ素朴な疑問を紅乃が男 に投げ掛けた。
「ずっと思ってたんだけど結局貴方は誰なの?」
幾ばくかの沈黙が中途半端な緊張となってその 場を支配し中途半端ではあってもその緊張の糸 が切れたせいで紅乃の身を案じていた男が笑い を堪えて肩を震わせる。その場で含み笑うが目の 前の紅乃があまりにも男には滑稽に写ったため に大きく吹き出しながら大口を開けて笑い声を あげた。
「何が可笑しいの?」
「いやなに、そうか・・・そうだった。大袈裟に考え ていた俺が馬鹿だったな。」
予想外の反応に拍子抜けして思わず聞いてし まった紅乃に対し男は凭れていた壁から 起き上がると顔の前で手を横に振り紅乃の言葉 を否定しながら何かを悟ったように答えた。
「お前にこの姿を見せるのはこれが初めてだった な。」
「は?貴方何言ってるの?」
男が質問に答えないせいで男が口にしている言 葉の意味が全く分からないと紅乃はその場で首 を傾げる。
「これはだな―――」
男が言いかけた所で部屋のドアを叩く音が二人 の耳に入った。
「紅乃儂じゃ。入っても良いかの。」
ドアを通して年老いて嗄れた男性の声 が部屋に伝わってくる。この声の主は紅乃の祖父 である御上月儀武のもの だ。
「お爺ちゃん?」
「紅乃なら目を覚ましている。入っても大丈夫 だ。」
答えようとする紅乃より早く男が反応するとド アノブが開きゆっくりとドアが開くと緑色の和 服に身を包み口の回りに白い髭を蓄えた男性が 不機嫌そうに腰を曲げながら紅乃の部屋の敷居 を跨いだ。
「儂は紅乃に訊いたんじゃ、何故貴様が答えるの じゃ。」
「腹を立てるな。血管が切れても知らんぞ?」
「下らん。今回の事もそうであるぞラビナ、折角貴 様を紅乃に付けたと言うのに何という様じゃ!! 儂は紅乃の身に何かあったらと思うと気が気で はなかったわい!!」
男は数十年単位で歳上の儀武の言葉に対し嘲笑 う様に答えた。寝耳に水を叩き込まれる様に状況 が呑み込めないせいで困惑する紅乃を放って話 を進める二人。
紅乃も空気が読めないほど鈍感な訳ではないの で不機嫌な祖父と嘲笑う男を見て何となく祖父 と男が言い争っていることは検討が付くが要点 を理解していない身で仲裁にも入れない。そんな 紅乃でも一点だけ腑に落ちない点がある。それは 男と儀武の会話が紅乃の命の恩人とはいえ当の 本人である紅乃以上に面識を持った人間同士の 会話に聞こえることだ。紅乃は右手を挙げて火花 を散らす様に男と睨み合う儀武に向けてとりあ えず今聞ける事を一つだけ問いを投げた。
「お爺ちゃんちょっといい?」
「何じゃ紅乃?」
「お爺ちゃんこの人知ってるの?」
右の人差し指を男に向けながら儀武に問いを投 げる。儀武も一瞬紅乃の話に耳を傾けるために紅 乃の方を向くが、質問の内容を聞くなり驚いた様 にキョトンと紅乃を見るとそれから何かを思い 出した様にぽつりと呟く。
「お主にはまだ話しておらんかったか。やれやれ、 この事はなるべくならお主には黙って起きた かったのたがな。」
白い後ろ髪を掻きむしりながら苦々しく呟く。 言っていること自体は紅乃が男にさっき言われ たことに非常によく似ていると思ったが紅乃自 身は何も聞かされていないだけで祖父がこの男 を知っていることは事実なのだと確信し紅乃は 儀武の口から答を聞き取るべく耳を傾けた。
「この男はお前を護るために雇った傭兵でな。」
「傭兵?」
「そうじゃ。此奴がどこの生かは儂も知らぬが幼 少の頃より戦闘訓練に従事し紛争を物理的に解 決するために戦場に送り込まれておったのだ。」
「物理的にってことは・・・お母さんのお墓でやっ たみたいなことを色んな場所でやってるの?」
「その通りだ。最前線の利かん坊や頭の凝り固 まった指揮官共に平和的な交渉は通じないので 解らせるのにはこれが一番手っ取り早いんだ。」
「でもその傭兵さんがどうして私みたいな何も取 り柄のない女子を護るわけ?もっとこう・・・偉い 人とかならわかるけど。」
「それはこの家の人間に与えられた特異な体質が 原因じゃ。」
理解が追い付かずまたしても首を傾げる紅乃を 尻目に儀武が続ける。
「御上月家は古来より魔物や妖怪といった人間に 危害を加える者達を退治することを生業とした 一族でな、戦いとは無縁な人達を少しでも魔物か ら遠ざけるべく自分達とその一族の体に魔物を 引き付け易くする呪いを掛けたのじゃ。」
儀武は紅乃の勉強机の椅子に腰かけると少し目 を伏せながら続ける。
「その結果御先祖はその大多数が魔物に食い尽く されしまってのう・・・見込み通りとは言え犠牲が 大きかったことを憂いた生き残りの一人が外部 の人間による護衛を提案したのじゃ。それから 代々御上月家の人間には護衛を付けるのが慣わ しとなったのじゃ。」
「俺は身体改造を受けた研究機関から脱走し路頭 をさ迷っていたところを儀武に拾われて恵那と して御上月の飼い犬となった。それから恵那の護 衛を・・・お前が生まれてからはお前の護衛も兼任 した。お前は知る由もないだろうが紅乃、俺は恵 那がお前を産んだその時から今までずっとお前 の傍らでお前を見守っていたんだ。」
「ずっと?」
「あぁ、ずっとだ。」
紅乃は初対面だと思ってたがラビナの方は産ま れた時から紅乃を見てきたので厳密には初対面 ではない。でもどうやってラビナは紅乃に存在を 悟られずに紅乃を警護してきたのか紅乃は疑問 を抱く。
「お前の考えを予想してやろうか。差詰俺が今ま でどうやってお前を警護してきたのかとかそん なことだろう?」
「うっ・・・」
「随分解りやすい反応だな。ならば見ていろ。」
図星を突かれて押し黙る紅乃を尻目にラビナが 中指と親指を擦り合わせて鳴らすとラビナのグ レーに近い肌の色が徐々に薄くなり周りに溶け 込むようにラビナの姿が紅乃には見えなくなっ たのだ。
「消えた・・・の?」
「見えなくなっただけだ。俺には皮膚組織の構造 を組み換えることで肉体を周囲の景色と同化さ せる能力があってな。要は全身に光学迷彩を搭載 していると思ってくれればいい。この能力で普段 は姿を隠しつつお前を警護することが俺に課せ られた任務だ。四六時中お前から目を離したこと はなかったな。」
「四六時中ねぇ・・・ん?でも私がトイレとかお風 呂に入ってる間はどうするの?」
再び姿を現したラビナを見て紅乃はふと疑問に 思う。こんな大男が常に自分とその周りを見張っ ているのだ。年頃の女子としては男性に見られた くない部分が多々有るなかでその様な場合はラ ビナがどうしているのか心配で仕方がないのだ。
「勿論見ているに決まってるだろう。万が一にも 寝込みや裸一貫で襲われたらお前は奴等から身 を守れるのか?」
淡々と語るラビナの顔に反発性のないものがぶ つかる。先程まで紅乃が頭を乗せていた枕がラビ ナの顔に覆い被さったのだ。
「そんな嫌味ったらしい顔して私の裸覗いてた の!?信じらんないバカ!!この変態!!」
投げ付けられた枕をラビナが拾う素振り(そぶ り)も見せずに地面に落ちると顔を赤く染めて激 昂する紅乃が更に滑稽に映り笑い声をあげる。
「どうやら威勢は取り戻せたようで何よりだ。 なぁ儀武、そろそろ本題に入っても良いのではな いか?」
「むぅ・・・よもやこんなにも早くこの日を迎えよ うとはな・・・紅乃よ、さっきも言った通り御上月 は元々退魔を生業とする一族じゃ。時代は変わ り、奴等も姿を変えたが我々人間に仇なす存在だ ということに変わりはない。恥を承知の上で頼み たいのだが儂やラビナと共に奴等から人間を 守ってはくれないかのぅ・・・」
ラビナに促されるまま渋々と申し訳なさそうに 頼む儀武。その内容を聞きながらベットにの上で 両腕を組んで考え込む紅乃が目を瞑り首を傾げ ながら儀武に聞き返す。
「それってつまり・・・私にもアイツ等と戦って欲 しいってことなの?」
「そうじゃ。お主にとっては明かに急すぎる話で 本当に申し訳ないと思っとる。じゃが恵那が亡き 今はもう御上月の人間は儂とお主しかおらんの だ。」
「そんなこと言われても・・・」
「それがお前の悪い癖だ。己にとって都合の悪い 選択肢を示唆された途端に尻込みする。」
二人の会話を片耳で聞いていたラビナが凭れて いた壁から背中を離しゆっくりと机の上に立て られた写真立に手を伸ばす。紅乃も急にラビナの 声が耳に入ったせいで肩をひくつかせるが写真 立を持ち上げた瞬間に声をあげた。
「ちょっと!!それはお母さんの―――」
「今だってそうだ。恵那の死を己のせいだと己を 憎むせいでお前にとって母であるはずの恵那は 神の様に崇められる存在になってしまった。」
「当然でしょ?私にとってお母さんは自分の命と 引き換えに私を産んでくれた人なんだから。私 だったらどんなに大事なもののために命をかけ るなんて口では言えても実際にそんな場面に立 ち遭ったら多分怖くてそんなことできないだろ うし・・・」
「だから恵那の様には成れない。ならばせめてお 前は恵那に認められる存在になりたい。そう思っ た訳だな。」
ラビナはしばらく眺めていた写真立から視線を 離し紅乃の顔に焦点を合わせると、逃げるように 紅乃が視線を反らす。
「本当に何でもお見通しなんだね・・・」
「17年間お前のことだけを見てきたからな。体だ けではない。お前の思考そのものが手に取るよう に俺にはわかる。」
体のことを話題にしたため顔を赤らめてラビナ を睨み付けるが手元に何か固いものが飛来して きたので咄嗟に掴むと写真立だった。紅乃が視線 をラビナの顔に合わせるのでラビナが続ける。
「だが考えても見ろ紅乃。あんなにも強い女性 が“自分の娘が自分が認めるだけの存在になるこ と”なんてちっぽけなことを望むと思うか?」
鋭利な刃物のようにラビナの視線が紅乃に刺さ る。淡々とした口調ではあるが明かな威圧のせい で紅乃は答えられずに俯いてしまった。
「まぁ剰りにも突拍子もないことの連続でお前も 限界だろう。少し休んでからまた考えれば良い。 儀武、今は一人にしてやった方が良いだろう。」
「ふむ・・・こればっかりは貴様の言う通りじゃな。 儂は部屋に戻るからゆっくり体を休めておく れ。」
儀武が椅子から立ち上がりラビナがドアノブに 手を掛けてドアを開けると腰を曲げたまま儀武 は紅乃の部屋を後にする。そのあとに続いてラビ ナも部屋を出ようとした直後にラビナの耳に微 (かす)かな声が入った。
「ちょっと待ってよ。」
「どうした?腹が減ったなら何か食べるものを 持って―――」
「そうじゃないの。」
「なら何だ?言ってみろ。」
ラビナの口元が不適につり上がる。儀武はもうこ の場にはいないが表情を悟らせないために紅乃 に背を向けたまま紅乃の言葉を待った。
「ラビナ・・・って言うんだよね?」
「生きていた頃の名前ならとっくの昔に棄て た・・・好きに呼べ。」
「やっぱり・・・私も戦う!!お爺ちゃんやお母さん が守ってきたものを私も守りたいの!!」
ラビナが目を見開き肩を震わせる。紅乃の覚悟を 無為にしないためにもその場で紅乃の方へもう 一度向き合う。
「恵那に赦しを乞うのではなく恵那と同じものを 守ることで彼女の願いを形にするか・・・なるほ ど。恵那が望みそうなことだ。良いだろう。」
ゆっくりと紅乃の方へ近付き顔を覗き込む。
「これからお前には永く険しい茨の道が待ち構 えている。それでも進む覚悟があると認識して良 いのだな?」
「私の気持ちは変わらない!!負けないためにも私 はその道を通ってみせる!!」
今度は紅乃が炎の灯った瞳でラビナを見据える。 決意の籠った視線がラビナに紅乃の揺るぎない 意思を伝えるのをラビナも疑わなかった。
「良いものを見せてやろう。見えないように外で 待っていてやるから着替えが済んだら来い。」