日常と呼ばれるとき
授業が終わり、講習生たちが立ち上がる。
それぞれに雑談が広げられるなか、智は首を鳴らしていた。
「おーい、智」
廊下から呼ぶのは、前髪を分けている男だった。
「学食いこうぜ」
「お、今から行く」
両手を掲げて伸びをすると、のそりと智は腰を上げた。
「今日はまだなんかあるの?」
「いや、俺はもうない。帰るつもり。茨木は?」
2人は話しながら歩き続ける。
「いや、俺も。飯食ったら帰る予定だった。
そうだ、今日はゲーセンでも行くか」
「んー」
「この前は負けたけどな、一応は俺も強くなってんだぜ?
青木と勝負したときは連コインさせちまったからな」
茨木はかなりの格ゲー好きだ。
つぎ込む金額は大したものだが、腕はさほどではない。
天はときに一物をも与えなかったりする。
財布を確認する。以前のようなことはなく、ちゃんとポケットにある。
茨木は食券を買っている。後ろから覗くと、カレー(甘口)だった。
その後で智はたぬきうどんの券を選んだ。
「なあ、芝山のこと聞いたか?」
うどんをすすりながら、智は首を傾げてそして横に振る。
「あいつさ、彼女できたんだってよ」
むせたのをギリギリで踏ん張り、智は口のなかのものを飲み込む。
「マジかよ!? あのブ男のブーちゃんが?」
「ああ、あの鏡餅体形の芝山だ」
そして2人は黙り、自分の境遇について想いを巡らせ、落ち込んだ。
横に並んで歩いている。茨木はケータイをいじりながら、
智は景色を見回しつつ。ケータイのボタン操作音が鳴っている。
「……なあ、茨木」
「ん?」
「お前、妹いたよな?」
ケータイの画面を凝視しつつ、
「紹介とかしないぞ」
と 茨木は言い放った。
「……なんでよ」
「お前じゃ、分不相応だからだ」
茨木の横顔を見ながら、智は舌打ちをした。
「じゃ、那々絵ちゃんのこと、ちゃんとオレに紹介してくれよ」
「…………」
それからゲームセンターに着くまで、ケータイの操作音だけが鳴っていた。
騒音けたたましいセンター内では、
タバコの紫煙やアーケードに集まるギャラリー、
格闘ゲームで戦う知り合い同士がなにかをわめいていたりしていた。
時間がまだ浅いからか、目的の台は空いていた。
千円を両替して、茨木が座る筐体の向かいの台に百円を入れた。
智はスピード重視のキャラクタを、茨木は重量系の攻撃力タイプを選んだ。
一戦めは様子見にと、
智は距離を開いてヒット&アウェイで相手の体力を削っていく。
相手はダッシュが遅く、
近づく前に逃げ切れるためにかなりの余裕をもって勝てた。
次の試合は、茨木のキャラが開始直後から押し気味に攻撃をして、
智は防戦一方のまま時間切れで負けた。
最終ROUND が始まる前に髪をかきあげて気合を少し入れる。
勝負が始まると案の定、相手方は同じ押せ押せの戦法で向かってきた。
賭けに出て、智は背後をとって撹乱する手法で攻めた。
若干、有利に進んで相手キャラのライフが
こちらより減っていると視認した瞬間、
茨木は覚醒技を使ってエフェクトで画面が止まった。
"やっちゃった"と後悔する間もなく技が発動される。
が、茨木のキャラは技の動きのままジャンプし、
智のキャラの上を通り過ぎた。
今だ、とばかりに覚醒技を瞬時に入力し、
相手の着地の瞬間に技がヒットする。
ピンチをチャンスに変えた優雅な勝利で終わった。
その後も挑戦を重ねる茨木だったが、智が負けることはなかった。
昼食前の話を忘れたのか、茨木は必死に連コインをしてきた。
うなる声がこっちにまで聞こえてくる。
鼻で笑うとそれが聞こえたのか、筐体の向こうから舌打ちが聞こえた。
ゲームセンターの自動ドアを開けると、冷気が急に飛び込んできた。
もう暗がりが満ちて、静けさが増した気がした。
「……俺もう帰るわ。見たいテレビあるし」
茨木は返事を待たず、さよならの合図に手を上げると駅の方向へ歩き出す。
その背中を見、そしてしばらく静まった空気を眺めながら、
智も家へと足を向けた。
ふとある歌詞が浮かんだ。
友達と別れの一声だけをかけて互いに家に帰る、
次に会うことの約束なんてせずに。
そんな感じの歌。
口笛を吹きながら、嬉しさが溢れ、
そして気恥ずかしさが遅れがちに湧いてきた。
そう冬も遠くないなと、顔を上げたまま感じた。