わかってるさ
息が白い。
曇り空に重なって、吐息は消えていく。
駅前の本屋から出てきた智は、改めて寒くなっていることを知った。
『優亞がね……あんたのこと嫌いだって』
思い出し、視線が落ちる。
二階の本屋から階段を降りると、一階のレンタルショップが目に入る。
気分はすでに落ちていて、紛らわせることさえもうとましく感じる。
階段の途中で立ち止まり、
少し高い位置から駅前を見下ろす。
この街には、どれくらいの人がいるだろう。
どれだけ人がいるのか、智にはわからなかった。
そして世界にいる人間を、数ではなく実感として知らなかった。
自分より不幸な人間はいくらでもいる。
俺は自分だけが不幸だとは思わない。
それに俺より不幸な人間を思い、優越感にひたることもない。
彼はそう心のなかで言った。
駅前を後にし、家路をたどりながら
なにも考えないように、なにも考えようにと努める。
コンビニの横を通り過ぎる。
小学生らしき男の子と女の子が2人で走っている。
楽しそうに笑っているのを目で追う。
ふと頭の片隅で思う。
あの子供の親に、俺が子供を見ていたことを気づかれれば、
変質者と思われるかもしれない。
自分の風貌を客観視しながら、おかしくなってにやける。
この笑みは、ひょっとすると犯罪者然としているのかもしれない。
アパートが見えてきたとき、茜空が目に映る。
しばし言葉が出なくなる。
この景色がごく見慣れたもので、
智はとくべつ美しいとは感じていなかった。
「わかってるさ」
ふともれた言葉は、意識せずに出たものだった。
心のなかで復唱し、歩き出す。
アパートの二階へ向かうとき、
那々絵の家を見ないよう強く意識する。
「俺はわかってる」
言い聞かせるようにつぶやきながら、
自分の部屋のドアをくぐった。