これぞクレリオ◇カモメ屋さん
軽食屋『カモメ屋さん』は、ジークの想像に反した店だった。
昔ながらで温かい家庭的な雰囲気。寡黙な印象のマスターと、温厚な笑顔のおかみさん。窓辺の花瓶に寄りかかるように置かれた人形も、各テーブルに敷かれたクロスも、おそらく手作りなのだろう。ちょっぴり気泡が混じって表面がデコボコした窓ガラスさえ味わい深い。
「あのマリーってのがウェイトレスしているっつーから、もっとガヤガヤした店かと思った」
「ジーク、なんか誤解してない? マリーちゃんは癒し系だよ」
テーブルに頬杖を突いて発せられたジークの感想に、レイヴは苦笑混じりに応えた。
のんびりとした時間が流れている店内。客達は読書をして過ごしていたり、午後のお茶を楽しんでいたり。中にはあくびをしたかと思うと、そのままお昼寝モードに入った客さえいる。
癒し系ねぇ…、と失笑するジーク。
「俺が想像する『癒し系』は、いきなり膝蹴りを見舞ったり、ホウキを口にぶっ刺したりしねぇけどな」
「そこがマリーちゃんの良い所なんだよ。こういうのってなんて言うんだっけか? …ギャップ萌え?」
ずるっ、と頬杖を外すジーク。
「いや、違げぇだろーが」
「ま、なんでもいいや。マリーちゃんはマリーちゃんなんだから。空は空で、雲は雲で、キオウは賢者サマで、マリーちゃんはマリーちゃんなんだから」
「だから、意味がわかんねぇっつーの」
じゃあ訊くけど、と身を乗り出すレイヴ。
「ジークはまーくんがまーくんであるところを疑問に思ったことがある?」
「はぁ?」
「ないでしょ? だって、まーくんはまーくんでありまーくんでまーくんなんだから」
「………」
ジークの脳みそはゲシュタルト崩壊寸前であった。
テーブルに撃沈するジーク。勝ち誇ったように氷を鳴らして冷茶を飲むレイヴ。
近寄ってきた軽い足音。ジークが顔を横にずらして見やると、マリーがお盆を片手にやってくるところだった。
「はい、どうぞ」
「? マリーちゃん、イチゴのタルトは注文してないよ? しかも、ワンホール」
「マスターからです」
にっこりと笑ってカウンターを示すマリー。レイヴの視線に気付くと、グラスを磨いていたマスターが軽く会釈する。
イチゴをたっぷりと使った、見た目にも贅沢なタルト。小さいながらも立派なワンホールである。
「おかみさんの実家で採れた新鮮なイチゴだから、とっても美味しいの。
こっちはマリーから、オレンジのふわふわシャーベット」
「気持ちは嬉しいんだけど、いいのかなぁ…?」
ことん、と置かれた皿に喜びの悲鳴をあげるレイヴ。
その表情を見たジークは「コイツが半分以上は食うんだろうな…」と内心で計算した。
「小娘はどうだった?」
何度も何度も「いいのかなぁ?」と繰り返しながらシャーベットに舌鼓を打つレイヴに呆れつつ、ジークは盆を抱えるように持ち直したマリーを見上げる。
マリーはどこか哀しげな笑みで目を閉じる。
「うん…、だいぶ落ち着いたみたい。さっきチビケンちゃんが来て、傍についてくれてるの」
「ようやく賢者サマのご登場かよ――…って、いつの間に来やがったんだよお前はーッ!?」
テーブル上でゴソゴソと蠢く気配に気付いて視線を戻すと、忽然と登場していたまーくんがジークのコップを凝視(?)していた。
ジークが慌ててコップを持ち上げたが、コップをロックオンしたまーくんの視線(?)は断じてブレない。
ふふふっ、と笑って見守るマリー。キオウの知人なのだから当然といえば当然なのだが、いきなり現れた意味不明なマリモに動じる気配などない。
「まーくんも何か食べるー?」
「マリーちゃんマリーちゃん、まーくんは口からモノを食べないよ」
レイヴのツッコミに「そうなの?」と不思議そうに小首を傾げるマリー。
「けれど、この子ったらジークさんのコップをずーっと見ているよ? 飲みたいのかな?」
「どーだろーなぁ~…? 長年見てきたけど、まーくんがモノを飲み食いする姿は見たことがないよ?」
「こ、氷が気になっていやがるのか…?」
コップを上下左右に「ちょいちょいっ」と動かすジーク。コップを追って上下左右に「ちょいちょいっ」と顔(?)を動かすまーくん。
右、右、上、下、左、左、下。
右まわりー、左まわりー、もう一度右…と思わせて左まわりー。
「…ジーク、まーくんで遊ばないの」
ちょっぴり楽しくなってきたジークであったが、レイヴのツッコミに我に返った。気恥ずかしいキモチを失笑しながら後頭部を掻いてごまかしている。
カランカラン♪
軽快なドアベルに視線を移すと、黒髪を束ねた長身の男が入店してきた。見た目は30歳ほどか。無駄のない体躯。
あっ、と小さく声をあげたマリーが近寄っていく。
「珍しい人が来たぁー。先生、どうしたの?」
小首を傾げて気安く話し掛けているマリー。
小首を傾げられた方は、苦笑してカウンター席につく。
「どうしたの、じゃないだろう? 一応は客だよ、客」
「久しぶりだねぇ先生。いつものコーヒーでいいのかい?」
「あ、おかみさん。実は昼がまだで」
「なら、マリーが特別にサンドイッチを」
「マスター、おまかせで」
「先生ひっどーい」
巻き起こる笑い。マリーを含めた店員全員と親しい常連客、といったところか。
ジークはチラリと視線を投げつけ――、長年の習慣が相手の腰にある剣を目が捉えた。飾り気の少ない鞘と柄。ジークは「ずいぶんと持ち主に『馴染んだ』剣だな…」と思う。
「マリー、お前何をしたんだ? お前に嫌われたかもしれないって、ベルガネットに泣きつかれた」
「マリーは悪いことはしていません」
「…それにしては、今通ってきた商店街が、戦の後って空気だったけどな」
「マリーは悪いことはしていません」
「はぁ…。ま、いいけどさ…」
頬杖に右頬を乗せて苦笑する剣士。澄ました顔で他の客の応対に向かうマリー。黙々と仕事をするマスターと、会計に応じるおかみさん。客達も店内で佩剣したままの剣士を気にしていないらしい。
「あれが俺なら、あんまいい目は向けられねーんだけどな…」
ジークの呟きに視線を追い、レイヴはその意味を把握して小さく笑う。
「ここは『カモメ屋さん』で、マリーちゃんがいるからね」
「…は?」
まったく意味がわかんねぇ…。
ジークの怪訝な眼差しに、レイヴはフォークをご機嫌に振りながら応える。
「マリーちゃん、魔女なんだよ」
「ま、じょ?」
うん、と応えつつ冷茶を飲むレイヴ。
「なんだよ…、魔法使いなのか?」
「んー、ニュアンスがなーんか違うなぁ。フツーの女魔法使いとはレベルが違う、というか…。
ほらほら。ウチの船に問答無用で――まぁ、キオウがマリーちゃんを有害な存在と認識していない証拠かもしれないけど。それでも賢者サマを蹴飛ばしたでしょ?
あのカミナリ魔導師もサクッとダウンさせて、ホウキを口にぶっ刺して」
「………」
「それに」
「まだあんのかよっ?」
身構えたジークの反応が楽しいらしい。何を企んでいるのか、レイヴの目がニタニタと笑っている。
「マリーちゃん、何歳だと思う?」
「は…? 17くらいじゃねーのか?」
違うんだなー、と言いつつシャーベットを食べ終えるレイヴ。
空の器に放たれたスプーンが涼しげに「カラン…ッ」と鳴った。
「マリーちゃん、キオウを『チビケンちゃん』って呼んでいるだろ?」
「そーだな」
「文字どおり、マリーちゃんはキオウをチビキオウの時代から知っているんだよ」
「…そーだな」
「つまりマリーちゃんは、12年前のキオウをガッツリ知っているんだよ」
「……そーだな」
「それに」
「………」
嫌な予感から、すでに言葉が出ないジーク。
「カイが見習い航海士だった頃に、カイはカイの親父さんの船でこの港街に来たことがあってさ。そのときカイはこの『カモメ屋さん』で、ウェイトレスとして働くマリーちゃんと出会っておりました」
「…」
「そのときのカイは、まだ14歳! つまり、単純計算で23年前の出来事!」
「………」
「…ちょっとジーク、なんかリアクションしてくんない? 張り合いがないんだけど」
「俺はマリーが不惑だろうが半世紀以上生きていようが、もうピクリとも驚かねぇ」
「ちぇっ、つまんないの」
レイヴはふて腐れた様子で冷茶をイッキ飲みし――…、溶けて小さくなっていた氷が冷茶と共に流し込まれたらしく、喉につかえて悶絶する羽目に。
「ぶ…っ、なーにやってんだよお前!」
顔色をクルクル変えてもがくレイヴを助けるどころか、ゲラゲラと笑うだけのジーク。喉を掻きむしるように悶えるレイヴ。
そのうちに氷は体温で溶けて無事に胃へと落ちて、レイヴは未だに笑うジークの頭にポコンと一発抗議の鉄槌を見舞った。
「いてっ。なにしやがるんだよお前ッ」
「薄情者ーっ。薄情ジークーぅっ!」
「ああっ!? なんだとこのトマト頭ッ。年中バンダナ巻いてるせいで、将来ハゲても知らねーからなっ」
「ふーんだッ! お前だって今つむじに白髪が生えてるけど、俺しーらないっ」
「はぁ!? ぬ、抜けよコラッ!」
「やなこったー!」
相変わらずのおっとりスマイルで仲良しコンビを見守るマリー。このレベルの低い喧嘩を見ていたのか、カウンターの剣士も微かに肩を震わせている。
「…あっ。
ねぇ先生? それ、ちょっとマリーが預かっていてもいい?」
使用済みの食器を運んでいたマリーが、カウンターの中から剣士に話し掛けた。軽々しく「それ」と示したものは、剣士が腰に下げている剣である。
強くため息をつくことでクールダウンしたジークが、聞こえてきたマリーの言葉に怪訝な目を向ける。
――…いきなり何を言い出したんだ、アイツ…?
海老とイカのトマトパスタを食べていた剣士は、マリーの言葉をスルーする…かと思いきや。
「ん」
腰から素早く器用に剣を外すと、カウンター上でマリーにそれを手渡した。
そして何事もなかったようにパスタを食べ進める剣士。当然のように受け取った剣を当然のようにカウンターの内側にしまうマリー。
「…?」
この両者の行動の意味がさっぱりわからないジークであったが――。
「……あ」
ほどなくして裏口から入店してきたキオウとその後ろの栗毛を見て、マリーの行動を理解する。
――…直刀に恐怖を抱いていたキーシの目に剣を触れさせないため、か…。
「キオウ、こっちこっち」
相変わらずの軽いノリでキオウを手招くレイヴ。
短く応えて近寄ってきて…、キオウが小さく「なんだこれ?」と呟いている。
「レイヴ…、お前どんだけ食ったんだ? 昼だってガッツリ食っていたくせに」
テーブル上に詰まれた空の皿を呆れた眼差しで見下ろすキオウ。
レイヴは勝者の笑顔とばかりにニンマリと笑う。
「賢者サマは知らなかった? 俺にはフツーの食事を収める胃とスイーツを収める胃が別々にあるのだ!」
「あっそ。
ジーク、席移れよ」
「あっさりスルーされたっ」
レイヴの芝居じみた嘆きなどお構いなしに、ジークを「しっしっ」とレイヴの横に追い出すキオウ。壁側の席にキーシを入れ、自分はその隣である通路側の席に座る。
「…」
――…正面から見たキーシは普段と同じように振る舞っているが、その顔色はまだ良くない。わざと澄ました表情も強張っている。
だが…、ジークもレイヴも余計なことには何も触れない。いつもと同じ調子でいよう――、そう事前に口裏を合わせていたのだから。