なんかいる◇止まらない
厳粛な空気。優しい日差し。静かに煌めくステンドグラス。
伏せていた目を開けて仲間を見る。レイヴ達の雰囲気から、先に祈りを終えていたらしい。沈黙こそ守ってはいるが、特にマリーが妙に温かい目でこちらを見ている。
「…。なんだよ?」
「ううん。ジークさんって、いい人なのね」
「………はぁ?」
おっとりスマイルに怪訝な顔を向けると、マリーは変わらぬ微笑みで小首を傾げる。
「お祈りに入った途端に、まっすぐ集中していたもの。横顔、かっこよかったよ?」
「か」
最後の言葉にフリーズするジーク。気恥ずかしさや照れよりも「ジロジロ見ていやがったのかコイツ…」という覗き被害者に似た思いの方が強い。
普段ならばここはレイヴがケラケラと笑い転がるポイントだろうが、さすがに教会内なので爆笑の衝動を堪えたようだ。こちらに背を向けて、肩をプルプル震わせている。
「風情のある礼拝堂だねぇ」
見上げた天井をぐるりと見回すレイヴ。
やわらかな天窓の陽光。歴史を感じる緻密な彫刻。大通りから離れた立地のせいか、自分達以外に礼拝客はいない。
「人がわんさか集まる教会も――まぁ、それはそれでチカラがあるけれどね? ジークさんは人混みが苦手みたいだから」
「マリーちゃん、こっちに来て正解だよ。人がいっぱいいたら、落ち着いてお祈りできないもんなぁ」
「ふふっ。この街の穴場スポットはマリーにおまかせね」
レイヴとマリーは楽しげだ。ジークは、やれやれ…、とため息をつき、正面のステンドグラスを見上げる。
静かに煌めく光。幼子を抱いた女神。手を伸ばす風と水の精霊。女神の足元で頭を垂れる男女。
そんなジークの横顔を、慈愛に似た眼差しで見つめるマリー。
「ジークさんはフィレリアを信仰しているの?」
「…。信仰ってワケじゃねーよ」
しばし躊躇した後、首を横に振って否定する。
このステンドグラスのモチーフは有名な画だ。女神フィレリアが死した幼き子をその胸に抱き《安らかなる國》へと導く。女神の取り巻きには様々なパターンがあるので、この精霊達はクレリオ独自なのだろう。足元の男女は幼子の両親だとも、幼子を殺した罪人だとも云われる。前者は幼子を失った哀しみを、後者は贖罪を叫び、そして幼子が無事に《安らかなる國》へ辿り着くことを祈っている。
「…」
自嘲を浮かべるジークに何を想ったのか…、レイヴが静かに目を伏せた。
「ジーク、マリーちゃん。そろそろ行こっか。キーシも待ちくたびれているしさ」
扉付近のベンチで両足をぶらぶらさせているキーシに視線を送り、ふたりを手招きながら歩き出すレイヴ。
庭で剪定作業をしていた穏和な神父と挨拶を交わし、4人は『カモメ屋さん』に続く道へと戻った。
この道はどうやら地元民が主に利用する路地らしい。歴史を感じさせる石畳。平和に通り過ぎていく荷馬車。きゃっきゃとはしゃぎながら駆けていく子供達。小陰で居眠りをしているおばあちゃん。真っ青な空に映える白い漆喰の家々。
「なんつーか…、平和だなぁ」
この平穏な空気に拍子抜けしたジークの呟き。
魔法大国と呼ばれるからには、いたるところに魔法使いがいたり、妖しい魔法道具を売る店がズラリと並んでいたり、その他色々と可笑しなことになっているのでは…、と想像していたのだが。
「へっ? もしかしてジーク、クレリオ初めて?」
何故かレイヴが隣で不思議そうに目をぱちぱちさせている。
「つーか、この大陸自体が初上陸だからな」
「あぁー…。そういえば昔『“真空のジーク”の出没ポイントはバル大陸西側だ』って酒場で聞いたような」
「出没ポイントって…、お前なぁ」
「ジークって魔法とか不思議なモノに興味あるっぽいから、クレリオには何度か来てたかなぁー、って想像してたんだよ」
先行する案内役のマリーが、すれ違う街の人々に笑顔で挨拶をしている。マリーの笑顔につられたのか、相手もほんわかと和んだ表情で「こんにちは、マリーちゃん」と挨拶を返す。地元の人達は日頃から彼女を慕っているようだ。
…そんな「天敵」に対するキーシはというと、仏頂面で自分達の後ろを歩いている。
「な…なぁレイヴ。あのマリーってヤツと小娘って、前になんかあったのか?」
背中越しにキーシの不機嫌オーラを感じて苦笑いのジーク。
問われたレイヴは、軽く顎に指を沿わせて空を仰ぐ。
「んー? マリーちゃんのファーストインパクトの影響かも」
「は?」
「3年前だったかなぁ? ウチの船がキーシを乗せてから初めてこの港街に来たときに、マリーちゃんがさっきみたいにキオウを熱烈に歓迎してさ」
「…」
突然の跳び膝蹴りを「熱烈な歓迎」というのだろうか?
やはり苦笑いをするしかないジークである。
「膝蹴りはともかく、マリーちゃんはキオウと仲良く喋っていたからね。なんだろうな…『あたしのキオウさんを盗られた!』って感じなんじゃない?」
「あー…、なんか納得した」
「第一印象って大事だよねぇ――…あだッ!?」
突然奇声を発するレイヴ。それまで黙ってふたりの会話を聞いていたキーシが、力加減なく尻を蹴飛ばしたらしい。
やれやれ、何をやっているんだか…。
「あっ、この通りは知ってる。もうすぐ『カモメ屋さん』だよ」
商店街に抜け出た途端に辺りを見回すレイヴ。
八百屋さんに魚屋さんに日用雑貨店。昼下がりの穏やかな時間だ、道行く人の数はさほど多くはない。それでも聞こえる威勢の良い呼び込み。茶を飲みつつの談笑混じりな値引き交渉。
だが、やはり魔法道具の類いを扱う店は見当たらない。
「魔法関連は路地裏で店開きしているんだよ」
「ろ、路地裏かよ」
雰囲気たっぷりである。
思わず身構えたジークに、レイヴがニヤニヤ笑っている。
「クレリオの王都には、魔法的な店がズラーッと並んだ横丁もあるよ。観光客や旅人は『魔法横丁』の入り口らへんで満足しちゃうんだけど、奥に行けば行くほどヤバい雰囲気で面白いんだ。ディープな体験をしたいなら、キオウに連れてってもらうといいよ」
「…。お前は?」
「キオウが行くなら、行く」
「………」
キオウが行くなら、行く。
――活火山の火口から地底湖の底まで恐れることなく突入したという、伝説のトレジャーハンター“探求のレイヴェイ・グレイド”が、あえて選んだ言葉である。
なんだか『魔法横丁』とやらについて色々と悟ったジークは、ただ力なく「…そーですか」とだけ返した。
――そのとき。
がしゃーーーんッ!!!
「きゃああああっ!」
「「!」」
数秒前に通り過ぎた雑貨店のガラスが突然内部から破裂し、覆面をした3人が乱暴に飛び出してきた。
通行人から上がる悲鳴。瞬時に緊迫した空気。四散したガラス片を雑に踏みにじる覆面達。
その手には――、陽光をギラリを反射させる直刀。
「どけどけぇーッ!!」
覆面達はレイヴ達がいる方角に逃亡の道を決めたようだ。
乱暴に振り回す直刀の軌道は、硬直して立ち尽くすキーシを捉えていて――。
「!」
瞬時に反応したのはジークだった。
キーシの首根っこをひっ掴んで後方に突き飛ばし、右腕の腕輪で直刀の刃先を受け流す。そのまま覆面の延髄に強烈な肘を食らわせて倒すと、次に来た覆面の顔を加減なく蹴り上げ、最後の覆面が振り上げた直刀を無駄なく交わし、もつれた右膝を容赦なく折った。
その間、わずか10秒足らず。
一瞬の静寂の後――…、通行人達から一斉に「おお~っ」と称賛の拍手が巻き起こる。
だが。
「………」
当の本人はというと、ひきつった表情でフリーズしていた。
――…や、やっべぇ…。完ッ全に条件反射で、記憶がねぇ…。
「さっすがジーク! 剣がなくても鮮やかなお手並み」
相変わらずなレイヴの声音に振り返る。
先ほどジークが突き飛ばしたキーシを、上手くキャッチしてくれていたようだ。キーシを受け止めた勢いで倒れたのか、彼女を抱えた状態で地面に座り込んだまま笑っている。
町中で剣を持ち歩くのは物騒だと意識し、最近は船に剣を置いて外出をするジーク。それでも一応は護身用の短剣を持っているのだが、それを出す間もなく終わったのだ。これまでの経験と鍛錬のタマモノである。
「か、からかうんじゃねーよ…」
先ほどの流れるような動作はどこへやら。称賛の拍手など慣れていないので、挙動不審なジークである。
逃げるように傍へ戻ったジークに笑い、レイヴはキーシへと視線を向けて――…異変に気付く。
「…キーシ? 大丈夫?」
「………」
硬直して震えが止まらない全身。カチカチと打ち合わされる歯。見開かれた目は地面へ転がった直刀を捉えている。
いつもの様子からはかけ離れたキーシに、ジークは地面に膝を突いて目線を合わせる。
「お、おい小娘――…」
「ひッ…!」
伸ばされたジークの手に驚いたのか、キーシの喉が恐怖に鳴った。
その予想外の反応に、ジークは慌てて手を引っ込める。
「わ、悪りぃ小娘。俺は何もしねぇからなっ」
「もう怖くないよ、キーシ。俺もジークも傍にいるよ」
「………」
オドオドとしたジークと、安心させようと柔らかな声のレイヴ。その両方におそるおそると視線を向けて――…、それでもキーシは手足を丸めて震えている。
「「………」」
さて、どうしたものか…。
困惑したふたりは、互いに顔を見合わせた。
――…バチバチ…ッ!
「っ!?」
「い…ッ!?」
突如として空気に走った電撃に、ジークとレイヴは苦痛に呻く。
通行人達の悲鳴に慌てて顔を向けると――、あのガラスが割れた店内から堂々と現れた、魔導衣姿の初老の男。
一方的な怒りの眼光。手にした杖は雷撃を放っていて――。
「よくも、邪魔を…!」
「…っ!」
瞬時に殺気を纏って短剣を抜くジーク。レイヴも素早くキーシを背後にかばう。
「ど、どーするよジークッ?」
「ちっ…、賊の魔導師って反則じゃねーかっ!」
バチバチバチッ!
ジークの雄叫びと被るように放たれた雷撃。ふたりは身構えて衝撃に備え――。
フッ――…
雷撃が届く――! その瞬間に前触れもなく消える稲光。
「………?」
覚悟していた衝撃に襲われないことを不審に思い、無意識に閉じていた目を開けると――…。
「…ねぇおじさん、知ってる?
この国で争い事に魔法を使うのは、重罪なのよ?」
地面に倒れた魔導師に馬乗りとなり、その口にグッサリとホウキの柄を突っ込んでいるふわふわの茶髪。
魔法の使い手を倒す場合は呪文の詠唱を封じてしまえば良い――すなわち、術者の口にフタをしてしまえば良いのである。
「うぐっ…」
逃れようともがく魔導師の口に、更にグイグイとホウキを突っ込むマリー。
相変わらずのおっとりとしたスマイルだが、その目は微塵たりとも笑っていない。
「それに、ね? この人達はね、マリーの大切な人達なの。そもそもね、女の子に攻撃魔法だなんて、おじさんは何も思わないの?
…マリーはね、物凄く怒っているの」
「いいぞマリーちゃん!」
「やっちゃえやっちゃえー!」
「マリーちゃんだけじゃダメだよ! 私だって頭にきてるんだからねぇ…!」
「おうッ! 俺だって怒っているぜぇ!」
「加勢だ加勢だぁーッ!」
どどどど…ッ!
大根に麺棒にハタキに酒瓶にその他もろもろ。それぞれ手近にあった武器を手に押し寄せる人々。ボッコボコにされていく魔導師。メッコメコに踏みつけられる覆面達。
…このタイミングでようやく王立警備隊が到着したのだが、もはや現場は容易には収拾不可能なカオスである。
「………」
あまりの展開に開いた口が塞がらないジーク。緊張が抜けて「ふはははぁ…っ」と変な空笑いのレイヴ。
「マ、マリーちゃんっ。後は我々がやりますから…っ」
人の波にもみくちゃにされながら魔導師の身柄を引き取ろうとする警備隊員に、毛を逆立てて威嚇する猫の覇気で対するマリー。
ちなみに、魔導師に馬乗りのまま――魔導師の口にホウキをぶっ刺したままである。
「ハンスさん、駆けつけるのが遅いです。マリーは怒っています! 商店街の仲間として、厳重に抗議します」
「「「そうだそうだッ! マリーちゃんが正しいーッ!」」」
「ベルガネット隊長を呼んで下さい。このおじさんは、マリーが隊長に直接お渡しします!」
「「「「「そうだそうだーッ! 隊長を出せぇーッ!!」」」」」
「ちょ、ちょっと待って下さいっ! 隊長ならそこにい――…って、隊長!? どこですか隊長ぉーッ!?」
青空に消える警備隊員ハンスの悲鳴。冷めやらぬ熱気。飛び交う怒号に飛び交うトマト。初春の空にタコが飛ぶ。
「………」
な、なんなんだこの街…というか住人…というか、そもそもマリーって、一体…?
…ため息をついたジークは、脱力してガックリと肩を落とした。