なんかいる◇なんかいた
少し波が荒れている。
次第に押し寄せてきた雲に《夜空見上げ》を中断したチビキオウは、食糧庫からこちらへと近づいてくる声に視線を巡らせた。
「――…だーかーらーッ、ホントは聞こえたんだろっ? なっ? 認めちゃった方がラクになることだって世の中にはあるんだからさっ」
「知らねーッ! 俺は! 断じて! 知らねーッ!!」
「またまたぁ〜っ」
レイヴとジークである。
顔面蒼白でじゃれ合っているふたりに小首を傾げ、無垢なキオウはジークのハートをザックリ抉った。
「あっれぇ? ジーク、今夜はネズミさん達と一緒だねーっ」
「………。
ななななッ、なん…ッ!?」
「…? キオウ、ジーク? ネズミって?」
レイヴの問いに「んーと…」と首を傾げるキオウ。
常人とは異なる視野で世界を視る賢者サマの瞳が、ジークの周囲で何やら敏捷な動きを追っている。
「えっとねー? ちょこまか動いてて説明ができな――…あっ! 落ち着いたぁ」
「おおお落ち着いたって…、何がだよぉッ!?」
「ネズミさんが、だよー?」
「説明になってねーーッ!!」
「えー…っ? じゃあジーク、左のポッケ見てみてよー」
「………」
平和なキオウとは正反対の表情を浮かべたジーク。
カチコチな動きでポケットに手を入れていき――…。
――…もにゅっ
「ッ!?!?」
指先に触れたミョーな感触に無声の絶叫をあげ、慌てて手を引っ込めた。
――その途端。
ぶわわわわわわわわわわ~ッ!!
「ぬわあぁぁ~ッ!! なんッじゃこりゃーーーッ!?」
「ネズミさんだよ~?」
賢者サマの場合では「ネズミさん」で済むのだろうが、ジークの場合ではそうはいかない。
ナスとナマコを足して2で割ったかのようなカタチで、コーヒーゼリーのような色艶をしており、コンニャクのようにブルンブルンな「ネズミさん」など、はたしてこの世にフツーに存在するであろうか?
もしいるとしたら、神サマを恨む。
「ネズッ…!? コレのどこがだよぉッ!?」
全身に鳥肌を立てながら絶叫し、ポケットから軟体ネズミを無限に放出しまくる上着を脱ぎ捨てたジーク。その間にも素早く後方へ跳んで間合いをとっている。
ちなみにレイヴはというと、腹を抱えて笑い転げているのだが、それを怒る余裕などジークにはなかった。
「そんなに嫌わないであげてよー。前に寄った港から憑いてきたネズミさんだよー?」
「憑い…てきたぁッ!?」
「うん」
「うん、じゃねーよッ!! また俺に憑いていやがったのかよッ!?」
「ジーク個人に憑いてたワケじゃないよー。船に憑いてきた、とゆーか、んーと? つまり? 僕に? 憑いてきた? のかなー?」
「なんで疑問形なんだよッ!? てか、賢者が変なモンに憑かれてんじゃねーッ!!」
「変じゃないもーん。害もないもーん」
「つーか、ソレがなんで俺の上着から噴き出してんだよッ!?」
「えー? だってジーク、小動物好きでしょー?」
「はぁッ!? 意味わかんねーッ!」
「わ、わらいが、と、とま、とまらな…っ、げほげほッ」
「おいコラ笑ってんじゃねーぞレイヴッ! こンの傍観者ァッ!」
「あはははははははははッ!」
甲板をゴロゴロと笑い転がるレイヴ。一緒に猛スピードで転がるまーくん。髪を掻きむしる勢いのジーク。ニコニコなキオウ。未だに軟体ネズミを噴き出し続ける上着と、甲板をビチビチと跳ねまくる無数の軟体ネズミ。
カオスである。
極めて冷静な足音が船室の方から聞こえてきた。ユラリと揺れるランプの明かりに見えたのは黒髪。
「…何を騒いでいる? さっさと寝ろ」
「あっ、カイだー」
「できりゃあ俺だって寝てぇーよッ!!」
ジークの甲高い絶叫に、淡々と軟体ネズミを一瞥したカイ。
数秒の間を置き、深いため息。
「今は何時だと思っている? 《夜空見上げ》をしないのなら、オモチャを片付けて早く寝ろ、キオウ」
「えー…?」
「不服そうな顔してんじゃねーよッ! なんとかしろよキオウッ!!」
「あはははッ…げほッ! も、もうダメ…っ、わらいじぬぅ〜…ッ!」
「テメェはいつまで笑っていやがる気だレイヴッ!!」
「気づいていないようだがな、ジーク。一番うるさいのは、お前だぞ」
「なッ…! この状況で俺が責められるっておかしくねーかッ!?」
「ぷくくく…っ、あはははははははははッ!」
「その次にうるさいのはお前だ、レイヴ。お前の馬鹿笑いで起きたラティが泣いている」
ギラリと冷たい眼差しを向けられて「うぐっ」と笑いが止まるレイヴ。確かに遠くからラティの夜泣きが微かに聞こえる。
いつの間にか元のサイズに戻ったキオウの、超特大のため息が夜空へと溶ける。
「しゃあねぇなぁ、祓うかぁ…。
ジーク、あの上着ってまだ着る気あるか?」
「…。ねぇよ」
「なら、この上着を代償にして――」
パチン!
指を鳴らして杖を喚び出すキオウ。
「やっぱりネズミ退治には猫だよな」
ぼわんっ…!
ニャーニャー!
ぢゅーーッ!!
「「「………」」」
目の前で展開する「蠢く軟体ネズミ対超巨大三毛猫の図」を無言で見つめるジーク達。ただひとり、召喚者たるキオウだけは満足げに頷いて見守っている。
ちなみに、キオウがこのような巨大なイキモノを喚び出したとしても、船は沈む気配どころか揺れのひとつすら起こさない。賢者サマ曰く「例えるなら、召喚獣はヘリウムガス入りの風船で、賢者がヒモを掴んでいる」だそうだ。
「キオウー。やっぱりさぁ、猫飼おうよー。対ネズミ用に猫を乗せている船って結構あるし」
僅かな月光の下でもギラリと輝く巨大三毛猫のツメが見えているのかいないのか、のほほんと船の主たる賢者サマに直訴するレイヴ。
対してキオウは、横目で冷たく一瞥する。
「却下だ。そもそも、カイが猫ダメだしな」
「えっ? カイってば猫が苦手なの?」
「…好き嫌いの問題じゃない。触ると蕁麻疹が出る」
「へぇ〜…」
「カイは本当は好きなんだよな、猫」
「へぇ〜…。
あれっ? けどさ、こういう猫なら大丈夫なんだ?」
「まぁな」
「へぇ〜。じゃあさっ、こういう猫の、もうちょい小さいサイズを飼えばいいじゃんっ」
「…。それは、賢者の俺に、言ってんのか?」
「他に誰がおりますか?」
「お前なぁ…」
平和なやりとりとは対照的に、阿鼻叫喚の地獄絵図と化した甲板。軟体ネズミを次々と「バクンッ!」と平らげていく巨大三毛猫である。
背中を伝う嫌な汗を感じつつ、沈黙のまま成り行きを見守るジーク。
「あ、そうだ。チビキオウになれるんだから、この猫を小さいサイズに――」
「………。
欲しいのか? コレが?」
キオウが「コレが」と冷ややかに向けた視線の先で、最後の軟体ネズミの1匹をペロッと丸飲みした巨大三毛猫の姿。
満足げに口の回りを嘗め、喉をゴロゴロ鳴らしながら顔を洗っている。
「俺的には全然オッケー! デカいから怖く見えるだけだって!
ほらほら、アレだよアレ。遠くから見るとフツーに綺麗だけど、ガッツリとズームインして見ると気持ち悪く見えるアレと同じ原理」
「…どれだよ?」
「うーん…。言ってはみたけど、とっさには思いつかなかった」
「おいおい」
「どれほどの美人であっても、その肌には無数のダニが棲んでいる」
「おおっ、ナイスだよカイ!」
「ナイスじゃねーよレイヴッ。嫌な想像させるんじゃねーよ! カイも会話に乗るんじゃねーよッ!」
「あ、ジークが復活した」
「お日さまに干したフカフカお布団の匂いの正体は、ダニの死骸の匂いである」
「うっ」
「キ、キオウ…。それはやめて欲しかった」
「? 大した差はないだろう?」
「いやいやカイ、大アリだろ…」
「ちなみに、あれは間違いだからな。あの匂いは太陽の光と熱で繊維が焦げた匂いだから」
「そ、そうなのか?」
「へぇ〜。さっすが賢者サマ! トリビアの宝庫だね」
「誉めても猫は飼わないからな。
――…人間てイキモノは、自分に都合の良い答えを受け入れる性質がある」
「………」
「うん?」
「え…? ちょ、ちょっと賢者サマ? ソレってどーゆー意味ですかっ? ねぇ〜ッ!?」
頭を抱えて絶叫するレイヴに対し「さーて、と。猫還すからなー」と魔法陣を組み立てていく賢者サマ。緑色の光に包まれた猫が「ばしゅんっ!」と消える。
キラキラ煌めく光の粒子。
「あーあ…、俺のミーちゃんが」
「俺の上着から沸いたネズミを食った猫に名前付けてんじゃねーよ」
「子供の頃に飼ってた猫の名前なんだよ。ジークは何か飼っていなかったの?」
「すっげー小さい頃に小鳥を拾って育てたくらい。アニキは池で金魚飼ってた」
「わお。実家に池があったんだ?」
「馬もいたし、鷹もいた。オヤジが飼ってた鷹の名前がイカしてたけど…、なんだったか忘れた」
「馬! 鷹! すげぇじゃんッ!」
「んで。アニキの金魚をオヤジの鷹が食って、修羅場になった」
「…そ、それはそれは」
「キオウはショウカで何か飼ってたのか?」
盛り上がるふたりに失笑しながら退散していくカイを見送っていたキオウは、いきなり話を振られて首を傾げる。
「んあ? そうだなぁ…、馬はいた」
「閣下のお屋敷だもんなー。馬くらいいるよね」
「猫もいた」
「まっ、屋敷ならネズミ取り用に猫も飼うよな」
「犬もいた」
「それはやっぱり、番犬として、ですか?」
「ハトもいた」
「はぁ? それってつまり、伝書バトかよ?」
「なんか、こう…、ペットはいなかったの?」
「庭にキツネがいた」
「そりゃあ屋敷なら――…って、キツネかよ!?」
「真っ白なヤツ」
「しかも白狐!」
「そ、それはペットじゃなくて、野生のが出没してたの?」
「さぁ?」
「なんじゃそりゃ…」
飼い主の足元で右往左往としているまーくん。ペットの話題に焼きもちを焼いたのだろう。
そんな姿にキオウは軽く笑み、優しく胸元へと抱き上げる。
「待っていても雲が晴れそうにねぇしな、俺はもう寝るぞ。お前らも遊んでいねぇで寝ろよ」
「誰が遊んでなんか」
「そうそう、キオウに代わって見回りしていたんだからね」
ずいっ、と鈴を握った拳を突き出すレイヴ。
キオウの目元が優しく和む。
「気持ちはありがたいけどな、俺の体調も船の結界もすこぶる正常です」
「ほら見ろ。だから言っただろうが」
「わからないよー? 実際にあのネズミはいたし」
「お言葉ですが、無害なネズミでした。可哀想なことをしました」
「害ならあったわッ! 俺の上着がッ!」
「女の悲鳴をあげるネズミが無害とは思えないよねー」
「? 女の悲鳴…って、なんだ?」
………。
「「えっ?」」
首を傾げた賢者の反応に、ピシリ、とフリーズするふたり。
…すっかりと和んでいた甲板の空気が、みるみるうちに冷却していく。
「え、いや、あの。さ、さっき、食糧庫で、女の悲鳴が」
「は?」
「おいコラとぼけるなよ賢者サマッ」
「いや…? マジで知らねぇなぁ。
なっ、まーくん?」
………。
「「…え?」」
ますますフリーズするふたり。
「じ、じゃあアレはなんだったの!?」
「おいキオウお前本当に俺に憑いてんじゃねーよなッ!?」
「憑いてない。ジークには」
「ちょ…っと待って! 何その奥歯に物が挟まったよーな言い方はッ」
「もう眠いから部屋に帰る」
「おい待てよキオウ!」
「ジーク頼むから一緒に寝て〜!」
「気持ち悪りぃこと言うんじゃねーよレイヴッ!!」
顔面蒼白でじゃれ合っているふたりを放置し、さっさと自室に戻ったキオウ。
背中で静かにドアを閉め――…、少し考えた後に、室内に魔封じの結界を張った。