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賢者サマのおふね◇アリシアのこと  作者: 神代きい


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29/31

ステータス◇ひび割れ

 食堂のテーブルに顔を突っ伏したまま動かないキオウを、カイが向かいの席から訝しげに観察している。

「…どうした?」

「いや、その…。ちょっと胃もたれ…」

 胃もたれ…、と呟きながら、カイはテーブル上に視線を移す。

 インパスが用意したサンドイッチは手付かずだ。

「外出先で何か食ったのか?」

「…」

 しばしの間を置き、力なく顔をあげるキオウ。

「……空きっ腹で、クッキーをヤケ食い…」

「馬鹿かお前は」

「それなら、オレンジ剥いたげるねー。胃もたれ賢者サマーぁ」

 厨房から聞こえた語尾に軽く腹が立つキオウであったが、怒声の代わりに小さな呻きしか出てこない。

 …ああ、気持ちが悪い。

「そもそもお前、最近ちゃんとしたメシを食っているのか?」

 言いながら新聞をバサリと鳴らすカイ。自分を幼い頃から見てきたカイには、食生活の乱れなどお見通しだ。

 キオウはテーブルに顎を乗せたままため息をつく。

「だってさぁ、メシのタイミングが合わねーんだもん。ショウカで朝メシに誘われたけど、時差でショウカの方が朝が早いからさぁ、俺的には朝メシの時間には早いから断っ――」

 ばたばたばたッ!

「ちょっとキオウッ! ショウカに行ってたのッ!?」

 インパスが床をぶち抜きかねない勢いですっ飛んで来た。血走った目が少し怖い。

 同郷の料理人をジロリと一瞥するキオウ。

「『ショウカ』ってフレーズに過剰反応すんなよ…」

「するに決まってるでしょーがッ! 月末を思えばッ!」

「…月末?」

 キオウの怪訝な眼差しに触発されたのか、インパスのこめかみに青筋が浮かんだ。

「自分のお父上のお誕生日を忘れたとは言わせないッ!!」

「………?」

 宣戦布告のごとく「びしッ!」とナイフの切っ先を向けられ、しばし沈黙したまま首を傾げるキオウ。

 やがてその口から「あぁー…」と無感情な声が漏れる。

「何その反応!? お誕生日プレゼントの用意はしているんでしょーねッ!?」

 地団駄を踏みまくるアゼルスの狂信的ファン。左右の手にそれぞれオレンジとナイフを握りしめているので、かなり危険である。

 キオウは呆れた視線を投げつつ、コップの冷水を軽く飲んだ。

「横丁で何か目ぼしい物を捜す予定だよ。父上は大げさな真似って嫌うし」

「えぇー…? それだとただの『クレリオのお土産』だよ〜? もうちょっと力の入ったチョイスをしよーよキオウ〜。お父上のお誕生日をお祝いするの、何年振りだと思ってんの〜? 気合い入れよーよ〜」

 脳ミソがすっかりアゼルスモードのインパスには、その息子にオレンジを剥く気配はない。

 やれやれとため息をついたキオウは、魔力でインパスの手の物をもぎ取った。ふよふよと浮遊していくオレンジとナイフ。

 キオウはそれらを危なげなくキャッチして、意外と器用な手つきでオレンジの皮を剥いていく。

 鼻腔をくすぐる柑橘の香り。

「無駄な気合いはあえて入れたくないんだよ。逆に父上達に気を使わせるから」

「へ?」

 この薄皮の厚さなら食べられそうだ。キオウはオレンジを1粒剥がし、薄皮ごと口に放り込む。

 酸味と甘味、薄皮の苦味もなかなかいい。

「父上と屋敷(じっか)の爺が気にしてんだよ…。俺にシルリカを着せてない、って」

「…シルリカって、なんだ?」

 新聞をたたんだカイが、キオウとインパスに問いの視線を向けた。

「ショウカの新成人が着る伝統衣装だ。父上は口には出さないけど、爺が『キオウ様にシルリカを着せたい!』ってうるせぇの。屋敷に寄り道すると俺の傍らに張り付いて、ずーっとブツブツブツブツ…」

「ジャフレ殿か。お前を赤ん坊の頃から世話してきたんだからな、孫を見るような気持ちなんじゃないか?」

 気持ちはわかるけどさぁ…、と気だるげに頬杖を突くキオウ。

「俺21だぜ? ショウカの成人は18だぜ? 3年過ぎてるじゃねーか」

「構わないんじゃないのー? 着てあげればー?」

「そーだなー…。父上が若い頃に着てたシルリカが屋敷にあるしなー…」

「! なッ、なんですとッ!? ア、アゼルス様の…、シル、リカ…!!」

 ぶほッ!

「げッ、鼻血噴きやがった」

「もはや病気だな…」

 鼻を押さえてバタバタと厨房に逃げていく元宮廷料理人を、冷ややかに見送るキオウとカイ。

 毎度のことだが、変なスイッチが入ったインパスの身の心配など微塵もしていない。ドン引きはするが。

 インパスと入れ違いのように、キーシが厨房から姿を現した。不審そうな視線をインパスにジロジロと投げているようだ。

「ちょっと…、なんなのアレ? 気味悪い」

「いつもの熱病だ」

「それも、父上の誕生日が近いから重症。俺より張り切るなっつーの」

「アゼルスさんの誕生日…? へぇ、そうなんだ」

 どうやらキーシは厨房で水仕事をしていたらしい。濡れた手をタオルで拭きつつ席に座る。

「で、プレゼントの用意は?」

 ガクッ

 既視感たっぷりなセリフに頬杖を外すキオウ。

「…いや、まだだけどさ。横丁で何か捜してみる」

「ふぅん…。キオウさんの誕生日っていつ?」

「枯葉の月の8日」

「やっぱりキオウさんも、誕生日プレゼントを貰うと嬉しい?」

「悪い気はしない」

「そっかぁ。あたし誕生日覚えていないから、そういうキモチってよくわかんないや」

 キーシはあっけらかんと言うが…、キオウとカイは複雑な心境で黙ってしまう。

 潮風に窓が微かにカタカタと鳴った。

「…お前が良いと思うなら、誕生日を思い出す程度の手伝いはいつでもするから」

「………」

 賢者の声に、一瞬ギクリと動きを止めるキーシ。

 そして――…次に向けられたキーシの目には、キオウの予想とは裏腹に、哀しさと怒りが宿っていた。

「――…キオウさん、ザンコク」

「え…?」

 思いもよらない言葉に驚きキーシを見ると、目の端にうっすらと涙をためながら唇を噛みしめるキーシの姿。

「誕生日を思い出す、程度…?

 なんなのよ…。たかが誕生日くらい、ってカンタンに思ってる!?

 あたしには…、そんなカンタンな問題じゃないのッ!!」

「! キーシ、それは違――」

 バタンッ!

 キオウの弁明など聞き入れることなく、キーシは悲鳴に近い叫びを残して外へ飛び出してしまった。

 届かなかった左手を項垂れるように下ろしたキオウは、ただ力なく椅子に座る。

 ギシッ……

「…キオウ、何事? キーシがお前相手にキレるなんて…」

 インパスがおそるおそると厨房から様子をうかがっている。

 キオウはそれには応えずに水を飲むと、深く大きなため息をついた。





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