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賢者サマのおふね◇アリシアのこと  作者: 神代きい


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ステータス◇賢者達の相談

「――それで? 一体何に後悔して、私に泣きつきに来たんだ?」

「………」

 後輩が部屋の隅で膝を抱え、どんよりとした暗いオーラで落ち込んでいる。

 外出先から戻ってドアを開けた瞬間に目にした光景がコレだ…。ただでさえ師の厄介な課題で悩まされているのに、何だか一気に疲れてしまった。室内の空気まで淀んでいるので、さっさと窓を開け換気する。

 ふんわりと優しくなびくレースのカーテン。前髪を撫でたそよ風に、青柳(あおやぎ)の賢者がようやく少しだけ目線を寄越す。不安げに揺らぐ碧い目。

「……やっちまったんだよ…」

「何を?」

「う…、その…。ケンカをさ、売っちまって…」

「誰に?」

「………カ…ドリエ…」

「…。はぁ?」

 まさかここで隣国の名を耳にするとは思わなかった。

 茶を淹れる手を一旦止めた清流(せいりゅう)の賢者は、怪訝な顔で首を傾げた。

「それはそれは、なんでまた」

「色々と気に入らなかったから」

 その「色々と気に入らなかったから」という声と共に、彼の複雑な感情が勝手に流れ込んでくる。祖国と従妹をダシにされた恨みやら、賢者(じぶん)を利用しようという考えへの嫌悪やら、その他諸々。悩め若人。

 しかし…、この後輩が自分に心を許しているからこそ視えてしまった感情の数々だが、これはこれで問題だ。親しき仲にもなんとやら、時には壁を築く事も大切だろうに。

 小さく苦笑し、茶器を揺らす。

「そうか。気に入らなかったのか。それでは仕方がない」

「叔父上と父上には昨夜の内に『カドリエにケンカ越しの言葉を使っちゃうかも』と断ったけどさ――」

「おっと、それは聞かなかったことにしよう。青柳のの個人の私怨ならまだ可愛いが、ショウカ王家の総意なのだと誤解を招く」

「あくまでも俺個人の杞憂だと前置きをした上で、ケンカを売ってきたけどさ」

「一応は保険を掛けたわけだ」

 失笑しつつハーブティーを手渡すと、青柳の賢者はカップを両手に抱えて湯気を吸っている。リラックス効果があるハーブだとわかっているので、まずは香りで効果を得ようとしているらしい。やれやれだ。

 未だに部屋の隅で座り込んでいる後輩を移動させようにも、テーブル上には本や資料が散乱している。ひとまずそれらを押し退けてスペースを作り、清流の賢者は「おいで、青柳の」と手招いた。

 重い腰をあげて近寄ってきた後輩だったが…、退けられた書籍の山を怪訝そうにじろじろと眺めている。

「…何これ?」

「いやぁ、ちょっと。師匠の課題に役立ちそうな本を、図書館やら書庫やらから集めてなぁ」

「………」

 課題って…、とますます奇妙な顔つきになる青柳の賢者。だがまぁ――…このタイトルの数々では、無理もない反応か。


『人間と捕鯨の歴史』

『これでキミも釣り名人~釣具の極意編』

『世界名作童話:クジラに建てた家』

『植物大図鑑』

『猫でも出来る あみぐるみ』

『詩集:イカとイワシとワタシ』

『海老の脚』


「………。

 何やってんの?」

 後輩が向けてくる目が白い。

 説明するのも面倒なので、清流の賢者は渾身の苦笑いで「訊かないで」と誤魔化した。

 窓辺で小鳥が平和にさえずっている。

「クレリオとカドリエって仲が悪いのか? 賢者を頼りたいなら、お隣の国に在るだろっつーの。なんで俺なんだよ。所詮は青二才だって見下されてんのか、俺」

 不機嫌そうに頬杖を突いて愚痴をこぼす青柳の賢者。これでは本当にただの幼子だ。

「仲は良くも悪くもなし、といった具合だなぁ。隣国だからこその微妙な雰囲気が」

 現在カドリエが在る地域は、かつてアリシアが国教としていた旧アリシア教の中心だった。その影響もあってか、カドリエ国内でアリシアの民と呼ばれる人々は、極端なまでの復古主義者達だ。カドリエの大司教は日々さぞや大変なことだろう。

「そういえば、ウチの王が『今度ショウカに親書でも出そうかなぁ』とか言っていたなぁ」

 ぶほっ!

 のんびりとした先輩の言葉に茶を噴く青柳の賢者。

「はぁ〜!? 何だよそれッ? まさかカドリエと同じ魂胆かよっ? 賢者が在る国と絆を持てば利点が、みてぇな」

 疑心暗鬼で身構えた後輩に、清流の賢者は和やかに「違うよ」と手を振る。

「あの子の発言は完全に思いつきさ。国レベルの付き合いは二の次で、単に青柳の達と知り合いになりたいだけだろうよ」

「一国の王がフレンドリー過ぎないか…? さらっと言う清流のも清流のだけどさ。身内だからか?」

「一応言わせてもらうと、私は政治や統治に口を挟んでいないさ。今の城内で私を賢者(わたし)だと知る者も、王だけだしな。なにせ私と面識が直接あった連中は、とっくにお墓の中だからねぇ」

「そうは言っても、清流のはクレリオの守護者なんだろ?」

 棚からクッキー入りの缶を取り出しながら「さぁね」と他人事のように返す清流の賢者。

「私は市井で普通に暮らしているだけで、何もしてはいないさ」

「でも、清流のがクレリオの中に在ると《気脈》も絶好調なんだろ? 影響与えまくりじゃねーか」

「賢者など所詮はその程度の存在だ」

 自嘲混じりに呟き、皿にクッキーを優しく置いていく。

 この『カモメ屋さん』のおかみさんが焼いたクッキーは絶品で、横丁の細工師が手掛けた缶のデザインは見事な草花のそれで、クッキーを乗せた皿はクレリオの工房独特の白磁。そもそもクッキーの材料である小麦粉やバターや砂糖にだってそれぞれ生産者が存在し、缶の金属を錬成し染料を造る人間が存在し、陶磁器となる土を掘り出す人間が存在し、工房の窯や『カモメ屋さん』のオーブンを組んだ人間が存在する。この「ただクッキーを皿に乗せただけ」というありふれた光景も、数えきれない数の人間の知恵と知識と技術と人生が関わって形成されているのだ。このように人間(ひと)が紡ぎ出す無限の可能性とチカラを想って込み上げてくるこの感情は感動に値する。

「というわけで。賢者なんてイキモノは大したイキモノではない、と私は思うわけだよ」

「………」

 つい明星(みょうじょう)の賢者のように長々と力説してしまったが、唯一の聴衆は寄り目気味で眉間にシワを寄せて思考をグルグルさせている様子。やれやれだ。

「あー…と、なんだ? そうは言っても、清流のの存在がクレリオの《気脈》を安定させていて、それで人々は生活していて…」

「ならば、賢者がいない国や土地の人間は無能か? 無益か?」

「いや、まぁ、そりゃあそうだけど…。

 それでも、クレリオが栄えている要因のひとつは、清流のが在ることだろ?」

 悩み過ぎて目が開かない後輩の頭に、清流の賢者は軽くポンポンと手を置く。

「だから、賢者の存在など『その程度』なんだよ。コレを呼吸や鼓動のように当たり前な程度とするか、はたまた仰々しく敬い崇め奉る程度とするか、それは青柳のの資質によるが」

「………。

 何となくわかった…ような気がする」

 イマイチすっきりとしない表情だが、清流の賢者は「そうか」とだけ応じて軽く笑った。…もしこの場に明星の賢者がいたら「何を偉そうに」と笑うだろうな、と思う。

 今目の前でクッキーをかじっている人物は、20余年の人生の中で彼なりの経験と苦悩と学びを蓄積してきた賢者(ひと)だ。教えと諭しと洗脳は別物だし、尊重すべき所は尊重しなければならない。

 そこまで思い――、ふと過去の自分を思い出して「ふふっ」と笑ってしまった。怪訝そうに向けられた目に軽く首を振る。

「私が自分を賢者だと知らなかった頃――つまりはクレリオがまだ国ではなかった頃だ。この辺りの土地はかなり荒廃してしまったんだよ」

「…荒廃?」

「土壌は枯れ、水源が消え、草も生えず、瘴気が漂う不毛の土地さ。人間はおろか、生命が息づくなど困難。それでも旧アリシア領から追われた人々は、この地で生きるしかない。酷い飢饉に苦しみ、瘴気に喚ばれた魔物の影に怯えていた。

 そんな時代を知ってるから、それから今に至る歴史を見てきたから、私は純粋に今のクレリオが好きだ。国も民も何もかも。だからこそ私は、先輩達のように自分の空間(いえ)に引きこもる真似はせず、こうしてさりげなくクレリオの中で生きようとしているわけだ」

「…そっか…」

 歯切れの悪い後輩に向かって「それに」と悪戯っぽく笑ってみせる。

「その荒廃には、私も少しばかり関係していたからなぁ」

「…!? な、何をやらかしたんだよッ!?」

「いやぁ、内緒だよ内緒。強いて言えば、若気の至りかな。あはは」

 頭を掻きながらとぼけたように笑うと、青柳の賢者は「俺の心の痛みを返せよ馬鹿…」などとブツブツ呟き、拗ねたように数枚のクッキーを口に押し込んだ。ボリボリと良い音が響いている。

 素直な反応で大変よろしい。清流の賢者は目元を優しく和ませた。

「ま、イキモノは色々とやらかしながら生きていくものさ。青柳のなんてまだハタチかそこらだろう? 一国にケンカを売った程度で後悔するなんて、まだ温い。もっと色々やらかしてしまえ、と唆したい」

師匠(じじい)がそれ聞いたら怒りそう…」

秋津(あきつ)のの考えも同じ方向だと思うけどなぁ。

 まっ。秋津のにしろカドリエにしろ、叱られるときは私も一緒に叱られてあげるから。青柳のは自分がやりたいようにやればいいさ」

「………。

 心強い言葉をどうも、賢者サマ」

 ふてくされたように頬杖をついたままクッキーをかじる後輩に、清流の賢者はこれでもかとばかりの満面の笑顔で応えてやった。





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