ステータス◇第一印象と先入観
「お呼びでしょうか、おじいさ…ま――…?」
神殿の奥――司祭の血を引く一族が住まう区画の一室の扉を開けたセジルは、その場に満ちた尋常ではない気配に思わず立ち止まる。驚いて室内を見回すと、ソファで祖父と対峙している人物に目がとまった。
見た目の年齢は20歳ほどの、銀髪に碧い目をした青年。その身に纏っているのは、金と銀の糸で丁寧な刺繍を施された深い紺色の法衣。手元の杖は一見ごく普通の木製のそれだが、術の媒介としての容量がとてつもなく大きい。そこら辺の樹木ではなく、高位の聖樹の類いから造られたに違いない。
この客人を観察していたセジルは、法衣の刺繍にハッとする。
――…ショウカ王家の、紋章だ…。
「セジル、呆けていないでこちらに来なさい」
「は、はいっ」
ポカンと口を開けて突っ立っていたセジルは、祖父の呼び掛けに慌てて駆け寄り一礼した。その際に客人からチラリと視線を向けられたのだが、吐息のように小さく笑われてしまう。…ちょっと恥ずかしい。
「この御仁は、ショウカの英雄王アゼルス閣下のご子息、キオウ導師だ。失礼のないようにな」
「は…、はい…」
断りを得て祖父の隣に座ったのだが…、場違いのような気がしてお尻が落ち着かない。だって…、目の前にいる人物は、あのショウカの英雄王の息子さんなのだから…!
遠国で宗教も異なるために、カドリエとショウカとの間には表立った交流がない。それでもショウカの英雄王の評判は聞いたことがある。圧政に喘ぐ民を救った名君であったとか、老若男女構わず好まれる外見と声の持ち主だとか、穏やかな性格で誰からも愛される王族なのだとか。
しかもその息子といえば――…言葉の意味はよくわからないが、英雄王の隠し子だとかゴラクインだとかで、しかも噂が本当ならば、その正体はなんと賢者らしい。
そんなとんでもない存在が、今、圧倒的なオーラを発して、自分の目の前にいる…! こんなの緊張して当然だぁ〜っ!
「――それで、だ。セジル」
「は、はいっっ」
反射的に応えたはしたものの、何だか祖父の言葉をかーなり聞き逃してしまったような気がする。だって、目の前にいる人がもう――王族のオーラというか賢者の存在感というか――…、とにかく色々と凄すぎて、圧倒されて面食らって緊張してしまう。一応は平静を装ってこそいるが、頭の中は完全にパニック状態である。
「ショウカ王家は今回の話をなかった事に、と――…聞いているか?」
「へ…? あっ、は、はいっ。聞いておりますおじいさまっ!」
………なかった事に?
ということは、つまり――…破談、という意味だろうか?
聞いていると答えた以上は訊き返すわけにもいかないが、たぶんそういうことなのだろうけど…。
考え込むセジルをさておいて、祖父の話は続く。
「此度の突然の申し入れ、誠に申し訳な――…」
……そうかぁ、破談かぁ…。
「国王陛下におかれては――…」
この使者を相手にいつもと変わらない落ち着いた姿勢で対するとは、さすが祖父はカドリエの大司教だ。自分にはとても真似出来ない。
うーん…、それにしても、破談かぁ…。
「しかし、これを機に今後とも是非カドリエと――…」
でもまぁ…、破談で良かった、かな? お相手のお姫様はキレイだって話だったけれど、やっぱりちゃんと会って話をしてみなきゃわからないもんね…。
あっ。でも、もしお姫様と結婚していたら、賢者って噂のこの人とも、いっぱいお話ができたのかな? 今はおじいさまがしゃべってるから僕がお話しする機会なんてなさそうだし…、ちょっと残念かも…。
「――――…ところで」
思考にスルリと入り込んできた声音は、まだ若いながらも落ち着きと自信に満ちたそれだった。
顔を跳ねあげたセジルが目にしたのは、悠然と指を組んで深くソファに身を沈めている青年の気迫。半歩の後退すら許さぬ強い意志を宿した瞳の光が、まっすぐと祖父の目を貫いている。
神殿でいつも周囲にいる人間達とは違い、その表情には媚びの気配など欠片もない。
「これはショウカとは関係なく、あくまでも、私個人が気にかけている事なのだが。
――私が愛してやまない祖国に対し、何故、ショウカとは縁のないカドリエが、このタイミングで、縁談など言い出したのか、と」
「………………」
声音は決して荒くはない。声量も特別に大きいわけではない。だが、この…、圧倒的な、威圧感…。
――…あれ? もしかしたら…もしかしなくても……。
この人………怒ってる?
「貴殿が言いたい事はわかる」
うわっ、おじいさまっ。全然動じてないっ。
「で?」
ひぃッ、こちらもニコリともしない問い返しッ。この人もなんでこの若さでこんなに冷静でいられるの!? このふたり怖いッ!
「本音を言えば、ショウカ王家に賢者の存在を知ったからこその申し入れであった」
え〜ッ!? そんなの初耳だよぅおじいさまぁッ!
「で?」
「えぇッ!? ――ひぃッ」
あわわッ、思わず反応しちゃったら両者から冷たく一瞥されたッ! もうついていけないよぅっ。この部屋の空気いやぁーッ!
そんなセジルの心の悲鳴が届くはずもなく、祖父は顎に指を添えて少し思案した後に口を開く。
「今カドリエは困難な情勢でな。アリシアの民が不穏な動きを見せ、人々は皆不安に苛まれておる。賢者が在る貴国と我らが密接な関係を築けば、アリシアの民の動きも落ち着き、人々の不安も軽減されるだろう」
「…」
――…おじいさま…、そんなことを考えていたんだ…。
「で? 言い訳は終わり?」
ひッ…! この賢者サマはホントに容赦ないよぅ! 込められた言霊のチカラが半端ないッ!
顔色ひとつ変えない若き賢者に、カドリエの大司教は自嘲を浮かべた。
「…そう、これは言い訳だ。貴殿と貴国には不愉快な思いを抱かせてしまい、大変申し訳ない」
「お、おじいさま…」
あの祖父が…、フィレリア教のトップである大司教が、こんなにも若い青年に対してまっすぐと頭を下げるとは…。言葉を失ったセジルは何度も瞬く。
窓から吹き込んだ僅かな風が、遠慮がちに花瓶の花を揺らした。
「…まぁいい」
長い沈黙の後の、淡々とした声音。
衣擦れの音さえ立てずに毅然と立ち上がった若き賢者は、祖父と自分を軽く一瞥する。
「司教殿が何を期待して私を呼び寄せたのかは察するが、私はそれに応じる気はない。生憎だが私は人間として未熟なのでね、気に入らないモノは徹底的に気に入らない。協力するつもりなど微塵もない。我が祖国への干渉も断固として拒絶する。
それでは、失礼」
フッ――…
無駄のない洗練された動作で一礼した銀髪の青年は、詠唱も魔法陣もなくさっさと姿を消してしまった。
圧倒的なチカラの差を目の当たりにしたセジルは絶句する。
「…完全に怒らせてしまったな」
その呟きに視線を向けると、祖父は苦々しく自嘲していた。
「……あの…、おじいさま? おじいさまがあの人を呼び寄せたって、どういう…?」
単に破談を告げに来ただけではなかったのだろうか…?
疑問符だらけのセジルに、小さなため息をついた祖父はまた自嘲する。
「他力本願だが、賢者のチカラを当てにしたのだよ。
――…シアを捜す手助けを頼もうと、な」
「え…?」
ポカンとするセジルに軽く苦笑した後、祖父は窓辺へと歩み、そして遠く哀しげな目で空を見上げた。




