もやもやする◇ショウカの夜
封をした文を机に置き、椅子を後ろに引き下げる。視線をあげて室内を見回すと、ベッドの布団がモソモソと動いた。軽く笑んで席を立つ。
ごく当たり前のようにベッドを占領して眠っている傍らに腰を下ろし、しばしその寝顔を眺める。
父親似だと言われるこの子だが、こうした無防備な寝顔には母親の面影を感じる。半開きの口元が妙に可愛いが、本人の年齢を考えると黙っていようと思う。
首に下げたままのペンダントが、無造作にシーツに乗っている。今でもこれを大事に持っていてくれたとは、嬉しい限りだ…。
目元にかかった前髪を払ってやる。微かに触れたまつ毛がくすぐったかったのか、うっすらと目を開けてしまった。
「…んー……んん?」
「起こしてしまったね」
「んー…、大丈夫ー」
寝ぼけた声音で応えたキオウが、のっそりと布団から這い出て起き上がった。伸びをしつつ軽く回した首がポキポキと鳴る。
「おやおや、いい音だ。疲れているのかな?」
「大したことじゃない。昼寝していたら連れ出されて、それでちょっと疲れただけ」
「連れ出された?」
首を傾げた自分に、キオウは小さく苦笑している。
「ラティのヤツが外出したがってさ、それで」
「今は何処の国にいるんだい?」
「クレリオだよ。魔法大国の」
「ふぅん、それは面白そうだ」
「…ジークといい父上といい、なんで魔法絡みになるとテンションが上がるんだ?」
「賢者のお前には当たり前の光景でも、我々一般人の目には新鮮に映るんだよ」
一般人って…、と苦笑するキオウ。
「そんな一般人の父上は、最近城下には下りてんの?」
「残念ながら。屋敷に帰る時間もなかなかなくてね」
「そっか…」
「だが、それなりに落ち着いてはきているからね。近々まとまった休暇をもぎ取るつもりだよ」
わざとおどけてみせると、キオウは楽しげに「さすが父上」と笑った。
「クレリオにはしばらく滞在するのかい?」
「まぁね。クレリオは俺の第3の故郷みたいな場所だから」
「うん?」
「ショウカとクティとクレリオ。クティには師匠が在るし、カイの家もあるから、何年か過ごした国だからね。
クレリオは《気脈》がショウカに似ていてさ、充電みたくチカラがゴキゲンになるんだよ。師匠との修行時代から出入りしているから知り合いも多いし、清流のも在るし」
クレリオは建国160年ほどのまだ若い国だ。それでも魔法大国として名が知れ渡っている理由は、クレリオの建国に賢者が携わったからだとも、建国時の王族に賢者がいたからだとも謂われている。つまりは「賢者」という存在と縁がある国なのだ。
――が、正確なところは自分にはわからない。クレリオは遠国でショウカとの国交はないし、そもそもクレリオの賢者はベールに包まれた存在だ。
「お前はクレリオの賢者と交流があるのかい?」
ベッドでごろごろしつつ「あるよー」とあっさり答えるキオウ。
「賢者としては変人だけど、人間としてはそれなりにマトモ。師匠みたいに脳ミソが漬物石でもないし。服装は賢者っぽくないけど、アレは仕事着みたいなモノだからコスプレではないし」
「こらこら」
神秘の存在だった賢者が、この子のおかげでグッと身近な存在に感じてしまう。だが、それと同時に、賢者も人間なのだという当たり前のことを、再認識させられる。
無意識に伸ばした右手でわしわしと頭を撫でると、照れ臭そうな、それでいて幼い頃と変わらない嬉しそうな笑み。今この瞬間のこの子は、青柳の賢者ではなく、自分の大切な一人息子だ。
「あぁ…、そういえば。キオウや、クレリオの次はカドリエに行くのかな?」
自分の問い掛けに軽く首を傾げるキオウ。
「いや、カドリエはスルーする予定だよ。ベルナから半島を回って大海に出て、クティ方面に行くつもり」
「そうか」
「俺はカドリエの雰囲気って苦手なんだよ。堅苦しいっつーか、息が詰まるっつーか…。
てか、なんでカドリエの話題?」
「うーん…」
怪訝な顔のキオウに、つい困ったような笑顔を向けてしまう。
キオウがカドリエが苦手だと知っていれば、せめてもう少し違った形で話が進めたかもしれないが…。だがまぁ仕方ない。
「ほら、最近の手紙に書いたろう? ティカに見合い話があった、とね」
「叔父上が断ったっていうアレ? そういえば、お相手はカドリエの人間だっけ」
「それが…、あの性格だからキッパリと拒絶をしなかったようでね。先方が見合い用の肖像画を送ってきてね」
口を開けて唖然とするキオウ。
「はぁ? 何やってんの、叔父上」
「だから、今度こそキッパリと断らせるのだがね。
――その前に、お前にも見てもらおうかと」
「ティカの旦那候補のツラを?」
「肖像画は昼間のうちにアグナルの部屋へ戻してしまったから、今手元にはないのだけれど」
「んー…、どれどれ」
おもむろに虚空へ「ずぽっ」と左腕を突っ込むキオウ。突如キオウの左腕が肩まで消えた状況なので、知らない人が目にしたら卒倒しかねない光景である。
やれやれと見守っている間にも、キオウは虚空の向こうに伸ばした左手で何かをモゾモゾと捜しているようだ。
「ん、なんか今触った。何だろコレ――…って…?
うわ、ゴメン叔父上っ! 不意打ちで殴ったワケじゃないからっ!」
――などと言いながら、今度は虚空に頭をすっぽりと突っ込むキオウ。やがて上半身まで入れたかと思うと、緩慢な動きでズルズルと這い戻ってきた。その手には布に包まれた例の肖像画が見える。
「…? 父上、なんで笑ってんの?」
不思議そうな顔で軽く首を傾げたキオウに「何でもないよ」と手を振って目尻の涙を拭う。
あのアグナルのことだ。突然現れた左手に殴られるわ、甥の顔やら上半身やらが空中から「にょきっ」と現れるわで、相当の心理ダメージを負ったに違いない。そうして慌てふためく姿を想像すると…、少し可笑しい。
「…? まぁいいや。
とりあえず、御開帳ーっと」
キオウは大胆に包みをほどいていき――…、現れたそれに驚いたのか、一瞬ビクッと動きを止めた。
外見での年齢はまだ13ほど。黒髪、翡翠色の目。白に金の刺繍を施した法衣を纏っている。
「………えーと…」
しばしの沈黙の後に、キオウは眉間を指で摘まんでグイグイと揉んだ。
「父上と叔父上が何を言いたいのかは、理解した」
「…そう」
「まー…、あれだな。アイツに似てるな」
「そうだね」
「つまり、コイツのツラを知っているヤツがアイツを見たら、似ていると思うよな」
「だろうね」
「………」
キオウの表情は厳しい。…どうやら、思っていた以上の深い訳があるようだ。
はぁ〜…、と特大のため息。
「カドリエは絶対に避けよう…。アイツを見せちゃいけない」
「…訊くべきではないのだろうけれど、事情を聞かせてはくれないかい? 特にアグナルはあの子を気にかけているようだから」
「あの事件で叔父上の縄を切ったのは、アイツだったもんな…」
「それに、あの子は娘達と似た年頃だ。ティナの良き友達でもあるし…、心配なのだろうね」
「………」
不安を表すかのように、庭の木の葉がざわめいている。
キオウはしばし目を伏せて――、やがて辛そうに目を開ける。決意の目。
「なら、なおのこと言わない方がいい。少なくとも、今はね。
…ちょっと叔父上の所に相談へ行ってくる。本当はあまりしたくはないし、するべきじゃないんだろうけど」
「キオウ…?」
――…キオウの目に宿っている色は、静かではあるが怒りのそれに遥かに近い。
「けど…、賢者っつっても俺も人間だし、アイツは俺の大事な仲間だ。気になるのは俺も同じさ。だから、確かめてみたいんだよ。
――キーシを見捨てたヤツらをな」




