もやもやする◇デスティニィ号の夜
気持ちのいい星空が広がる夜。浴室から自室に戻ったキーシは、何だかちょっぴり気分が良かった。
鼻歌混じりに「コトリ…」と優しくテーブルに置いたのは、昼間マリーから小瓶に分けて貰ったシャンプーと石けん。彼女いわく、海は潮風や日差しで傷みやすいのだから、髪や肌を労ってやった方が良いのだとか。使ってみたら確かに泡立ちが良くて、いつもより洗いあがりも良い感じだ。
ベッドの上に座った姿勢で、髪の水分をタオルでしっかりと拭き取る。それからマリーとの買い物で買ってきたブラシを用意して、優しく髪を梳かし始めた。
ブラシは髪にスルスルと入り、引っかかることもなく髪を整えていく。そうして宝物の手鏡を覗き込むと…、そこに映っていたのはツヤツヤした栗色の髪。指通りも気持ちいい。
「シャンプーとブラッシングするだけで、こんなに違うんだー…」
今まではシャンプーやら石けんやらにこだわりなどなく、その時々に浴室にある物を使っていた。風呂あがりのブラッシングだなんて習慣も当然なく、適当に乾かした髪を手櫛で整える程度だった。
「このシャンプーって高いんだろうなぁ…。あたしのお小遣いで買えるかな? けど、生活必需品なんだから、言えば買ってもらえるのかも…」
入浴のグッズ代や洋服代やその他諸々。女の人はお金が掛かるとよく聞くが、なるほどこれなら納得だ。
入浴といえば、マリーは良い香りがする入浴剤も分けてくれた。とはいえ、浴室は他の仲間達も使う場所なので、今夜は浴槽に入浴剤を投入出来なかった。自分が最後に入浴する機会があれば試してみよう。
ベッドに寝転んだキーシは、上機嫌に鏡を覗いて髪を弄る。今夜眠っている間に寝癖を付けるのがもったいない気分だ。寝癖を防ぐ方法を訊いておけば良かったかもしれない。
「んー…っ」
寝転んだまま背伸びをして体をほぐす。気持ちいい。
そのまま窓越しに星空を見上げると、仲良く3つに鳴らんだオレンジ色の星が瞬いていた。
「…あ。キオウさん、まだいるかなぁ?」
夕食のときに「今夜は《夜空見上げ》せずに外出する」と言っていたから期待はできないが、何となく話がしたい。
部屋から出て《夜空見上げ》スポットの甲板に行ってみたが…、案の定キオウの姿はないようだ。ちょっとだけガッカリしつつ、喉が渇いたので厨房へ足を向ける。
「あ、キーシ。一緒にポーカーやる?」
手札を交換しつつ声を掛けてきたのはインパスだ。チラリと見ると、男4人がテーブルで酒を呑みつつ遊んでいる。
「…このあたしに賭け事をやらせる気?」
「インパス、大人の遊びに女の子を誘っちゃダメだってば」
「まだ小娘には早ぇだろ。やめとけ」
「子供に賭博を覚えさせるな」
「………うぅ…」
一斉に批難されて小さくなるインパス。脱力して伏せ損ねたトランプがジークから丸見えだが、ジークはため息混じりに視線を逸らしている。インパス相手にズルをする気はないらしい。
「そうだな…、コレが終わったら他の遊びをするか」
「おっ、カイいいねぇ。神経衰弱とかババ抜きとか?」
「俺はダウトがいいな。小娘わかるか?」
「バカラ――…は、賭博ゲームですねスミマセン皆さん睨まないで下さい」
「あははっ。さぁさぁ皆さん、ちゃっちゃと決めちゃって」
「チッ、降りたヤツは気軽でいいよな。全部掛けてやる」
「同じく」
「えっ? えっ? みんな強気!? 流れに乗って俺も全額っ!」
ポーカーのルールはわからないが、この場の雰囲気は面白い。
離れた席で水を飲みつつ見ていると、どうやらカイが勝ったらしい。ジャラジャラと移動していくコイン達。インパスはテーブルに撃沈している。
「ほらほらインパス、邪魔だから片付けて。キーシはもっと近くにおいでよ。
では、お手軽にババ抜きね。ほらほら、ジョーカー捜して1枚退けて」
「遊びになると張り切るよな、お前」
「トランプ切って配るぞ」
「カイ早っ」
穏やかなランプの明かり。ほろ酔い連中の可笑しな談笑。トランプを捌く音が耳に心地よい。
ふと手札から顔を上げると、捨て札の山で巣作りのごとくゴソゴソしているまーくんの姿。…その行為の何処が楽しいのかイマイチわからないが、本人は楽しいらしいので、全員が見て見ぬフリをしている。
「そういえば。キーシ、マリーちゃんとのお出かけはどうだった? 夕飯のときはラティのお喋りが止まらなかったから、聞けなかったよね」
問いながらインパスの手札を1枚抜き取るレイヴ。ペアにはならなかったらしく、そのまま自分の手札に加えている。
キーシはちょっと考えてから口を開く。
「…まぁ、楽しかった、かな? 色んなお店を回ったり、『カモメ屋さん』でシフォンをご馳走になったり」
「つーかお前、マリーが苦手じゃなかったのかよ?
…あ、ババだ」
カイの手札から抜いたトランプを見て、ボソッと低く呟くジーク。
すかさずレイヴが吹き出して笑う。
「うわ、ジークな馬鹿っ。なんかバラしてるしっ。作戦ですかーっ?」
「おうよ、作戦だ作戦。ババは今、俺の手の中にある!」
「むしろ清々しいな」
「てか、レイヴもビミョーに言葉が変」
「単なる酔っ払いでしょ」
ピシリとツッコミを入れて、さっさとジークの手札を抜き取る。…ババだ。
が。すかさず素知らぬ顔でインパスに手札を差し出すと、ジョーカーはあっさりとキーシの元からオサラバしていった。
ジョーカーを手札に加えたインパスが、唇を噛んでプルプルと笑いを堪えている。わかりやすい男である。
「マリーさんはキオウさんの恋人じゃなくて、他にお相手がいるんだって。それを聞いたら、なんだか、こう…、イヤな印象が消えた感じで」
「なるほどねー。まっ、マリーちゃんは男女関係なく誰に対してもフレンドリーだからねー。挨拶代わりに跳び蹴りする相手は、キオウだけだけど」
インパスの手札を抜いたレイヴが、軽い手つきでペアの手札を捨てた。
ジョーカーが手元に残ったインパスから悔しげな歯ぎしりが聞こえる。うるさい。
「ジークはどうだった? 初《魔法横丁》の感想は――…とか言ってる矢先に、カイがナチュラルにあがったし」
ぺちっ、と軽い音を立ててカイが捨てたトランプに目を剥くレイヴ。
カイは「元々手札が少なかったからな」と苦笑している。
「まっ、フツーに楽しめたな。変な店や場所には近寄らなかったし」
「キオウがマトモな場所しか案内しなかったなんて、ちょっと意外」
「いや、キオウ以外のマトモな案内人と一緒に歩いたから」
「えっ? 誰?」
レイヴが酒を口にしながらジークに驚きの目を向ける。
「キオウの知り合いのレオってヤツ。ほら、昨日マリーの店のカウンター席にいた剣士」
「へぇー」
「…」
ジークとレイヴの何気ない会話に何故か動きを止めたのは、カイだった。
軽く眉を寄せている。
「…そうか。レオ殿が戻っているのか」
「な、なんだよカイ?」
「…。
いや、気にするな」
「無理だっつーのッ。気になるっつーのッ! 俺アイツと明日の朝イチで剣術の鍛錬の約束してんだぜ!?」
「おお…、あのジークがいつの間にかお友達を作っている…。レイヴさんは感動の涙がとまりません」
「安っちい涙を流してんじゃねーよ! つーかソレ、単なる酔いと眠気からの涙だろーがッ!」
「あがりでーす」
「な…んだとッ!?」
手札がなくなって万歳したキーシを、ガバッ! と見やるジーク。
「小娘、いつの間にッ!」
「ジークさんがレイヴさんにツッコミ入れてる間に、さりげなくトランプを抜きましたー」
「あははっ。キーシを気取れないとは“真空のジーク”おそるるに足らずぅ!」
「うるせぇよッ!!」
「うるさいのはお前だ、ジーク」
冷静にツッコミを入れたカイだが、その目はどこか楽しげだ。
テーブル上で組んでいた指をほどき、酒のグラスを軽く傾けている。
「それに、警戒をする必要はない。レオ殿は従者と共にクレリオ国内を巡り、先々で傭兵のような仕事をしている。腕は良く、人々からの信頼も厚い。キオウの良き理解者でもある」
「…。ま、確かに悪いヤツじゃなさそうだとは、今日一緒にいてわかったけどな」
「とかジークが苦悩している間に、さりげなくあがるレイヴさんなのであった」
「何ぃッ!? インパスと1対1の構図ってなんか嫌だなおい!」
「失敬な! 俺が勝ったらこの後の片付けをさせてやるぅ!」
「望むところだ! その代わりに俺が勝ったら、あのレア物の酒を寄越せ!」
「あははっ。タイトリュマーッチィ! 拍手はくしゅぅ~!」
「舌が回っていないぞ、レイヴ」
「………」
無駄に盛り上がっていく酔っ払い達には、キーシを気にする気配など微塵もない。…だがまぁ、コレもいつものことだ。
キーシはこっそりと退席した。
「はぁ…」
甲板の手摺に寄りかかって、ため息。
あの酔っ払い達に期待したワケじゃないけど…、それでも髪の変化に気付かれないとちょっぴり寂しい。
「…あたしが浮かれてただけか」
それとも…、毎日あのシャンプーを使い続ければ、本格的に髪質が変化してくるだろうか? そうすれば、あの大人達もさすがに気付いてくれるかもしれない。
「まっ、別に誉められたいワケじゃないけど…!」
夜の海に捨て台詞を吐いて踵を返した――そのときだった。
「うおっ!?」
「きゃっ!」
まさかジークがすぐ後ろにいたとは! もう少しでぶつかるところだった。
「びっくりした! ジークさんの馬鹿!」
「わ、悪りぃ。酔い醒ましに夜風に当たろうと思って出たら、お前がいたから」
「ババ抜き、勝ったの?」
まぁな、とニンマリ笑うジーク。自慢げに酒のボトルを掲げ持ってみせている。
「で、コレが戦利品な」
「『酒は呑んでも飲まれるな』」
「へ?」
「前に行った港の食堂のおじさんが言ってた」
「…。耳に痛てぇ言葉だなぁ」
苦々しく自嘲するジークだが、唐突に何かを閃いたのか「あっ」と声をあげた。
「そうだキーシ、少し待ってろ」
「え?」
なんで? …などと訊く隙もなく、素早い動きで自室に駆け込んでいくジーク。ほろ酔いでもこの動きはさすがだ。
そう待たせることもなく、ジークはすぐに戻ってきた。酒のボトルは部屋に置いてきたようだが…、その代わりに小さな封筒のような紙袋を手にしている。
「今日横丁で見掛けてさ、珍しいからつい買っちまったんだ。お前って本を読んだりするだろ? 使ってくれ」
「あたしにくれるの…?」
受け取った紙袋を開けてみると…、中から出てきたのは不思議なしおりだった。
まるで万華鏡の中をギュッと平らにしたかのよう。静かに左右に振ってみると、星屑や小さな花がキラキラと踊る。キレイだ…。
しおりを見つめているキーシを、ジークはどこか優しげな眼差しで眺めていた。
「ホントにくれるの?」
「ああ。貰ってくれ」
「…ありがと」
呟くような、小さな小さな感謝の言葉。
しかしジークは満足そうに笑って腰に手を当てた。
「さて、と。夜も更けてきたらからな、そろそろ寝ろよ」
「…うん。おやすみなさい、ジークさん」
「おう。おやすみキーシ」
肩越しにヒラヒラと手を振りつつ自室に戻っていく後ろ姿。
その姿がドアの向こうに消えた後…、今ジークが「小娘」ではなく「キーシ」と言っていたことに気付く。このしおりをくれたことといい、珍しいこともあるものだ。
キーシは軽く小首を傾げながら、ゆっくりとした足取りで自分の部屋に戻った。




