もやもやする◇もやもやする
ベッド上に並べた服を眺め、キーシは重いため息をつく。
「……そりゃあ、ね…。買った覚えなんてなかった、けど…」
それでも、まさか、本当に――…いわゆる「女の子らしい洋服」が1枚もない、とは…。
何だか淋しい気持ちになって、ばふっ、とベッドに倒れ込む。
インパスといい、レイヴといい…、自分に対する態度とマリーに対する態度には温度差があり過ぎる。もしもマリーが自分のように「可愛らしさ」よりも「動きやすさ」を優先した恰好をしていたら、あそこまでデレデレした態度にはならないと思う。
「…」
ベッドカバーで目元をこすっていると、ベッド脇の机に置かれた小箱が視界に入った。
モソモソと体を起こして小箱を開けて…、その中から恭しい手つきで手鏡を取り出す。この手鏡はキーシの宝物――…アゼルスが贈ってくれたものだ。
ショウカの件が片付いた際、キオウだけでなく自分達も一応は「ショウカの危機を救った恩人」という扱いになった。その「恩人」に対し国は本来「大々的な謝礼」をすべきなのだろう。だが、荒れたショウカは財政も情勢も厳しく、自分達も謝礼やらパーティーやらは辞退した。それでもせめてものお礼を…と、アゼルスは一人ひとりに贈り物をくれたのだ。
一国の主であった人物が――しかもあのショウカの英雄王が、望む物をくれるというのである。ここぞとばかりに欲張りな希望をしても許された…のだろうけれど、アゼルスに優しく「何が欲しい?」と訊かれて、キーシは心の底から返事に困った。欲しい物がありすぎたからではなく、欲しい物が何ひとつ思いつかなかったから。
…そして、結局、そのまま何も言えずじまいだった。
そんな自分にアゼルスがくれたのが、この手鏡だ。特別に高価な物というわけではなく、それでいてちょっぴり気の利いた装飾があって、持ち手の大きさや重さもキーシにぴったりで、気軽に普段使いが出来る一品。このチョイスはさすがだと感心してしまう。
「………」
手鏡に映っているのは当然自分の顔…なのだが、普段から鏡で自分の顔を見る習慣がないキーシは、何だか奇妙なキモチになる。
「あたしの目って、こんな色だったんだ…」
黄色と緑色の中間のような色だ。瞳をじっくりと観察した経験なんてないから、光の加減でちょこまかと動く瞳孔が不思議で、ちょっと面白い。
そうこうしていると、鏡に頬のそばかすが映り込んだ。
いちいち気になどしていなかったが…、コレも「女の子らしさ」には不要な要素だろうなぁ、と思う。マリーの肌は白くてツルツルでプリプリなのだから。
「今さら可愛い子ぶっても…、仕方がないか」
ふぅ…、とため息。
もしも自分が突然「女の子らしく」なったら、船の男性陣はどんな反応をするだろう…? 冷やかされたり馬鹿にされたりするだけのような気もする。それとも「キーシもお年頃だね」と温かく見られるだろうか?
そこまで思い――…、暗いキモチが押し寄せてきた。
「………」
――…あたしって…、何歳なんだろう…?
自分の年齢も誕生日も知らない。ホントの名前だってわからない。故郷も家族も覚えていない…。
「…」
昔キオウは「お前が本当に望むなら、俺はいつでも思い出す手助けをしよう」と言ってくれた。
――…けれど。自分はそれを…辞退、した。
記憶がないのは辛い。今みたいに突然怖くなってたまらなくなる瞬間もある。夜中に耐えきれなくて《夜空見上げ》中のキオウに泣きついた経験も少なくはない。やっぱり思い出してしまった方が楽になれるんじゃないか――、そう思い至ることもある。
それでも、何故か…、思い出す方がとても恐ろしい気がして…。
『お前はお前だ。他の誰でもない』
――…キオウの言葉が、今の自分をなんとか支えている…。
「はぁ〜…」
大切な手鏡に傷をつけないようにそっと片付け、ぽてっ、とベッドで仰向けになった。
「…」
見慣れた天井。聞き慣れた船の軋みと揺らぎ。嗅ぎ慣れた部屋の匂い。肌に慣れたベッドカバーの感触――。
それらすべてが、自分の居場所は此処なのだと――自分は「キーシ」なのだと、後押ししてくれている。
……でも…。
「…キオウさん、今夜は《夜空見上げ》するのかな…?」
ウジウジと悩むのは「キーシらしく」はないけれど、今回は特別。夜空の下でキオウと話をしていると、それだけで心が落ち着いて、楽しくて、嬉しくなる。
額に右手を乗せてぼんやりと天井を見上げていると――、遠慮がちで優しいノックが聞こえた。
コン コン…
「キーシちゃん? マリーだけれど…、もし良かったら開けてくれる?」
「へ…?」
思わぬ来客にびっくりしてドアを見る。まさかマリーが来るとは思わなかった。
ぼんやりとドアに向かおうとして――…、ベッド上に広げたままの洋服達にハッとした。
「ちょ、ちょっと待ってて下さいっ! 今片付けるからっ!」
がたんっ
ばたばたばたっ
がたがたっ がたっ
………。
――…がちゃ…っ
「お、お待たせしました…。えっと…、あ、あたしに何か…用、ですか…?」
ちょっとだけドアを開けて来客の顔を見上げると、帽子を外してニコッと笑うマリー。
レース編みのポシェットを開けると、ハンカチに包まれた何かを取り出す。
「はい、忘れ物」
「へ…?」
忘れ物…? 何か忘れてきたっけ…?
キョトンとしつつハンカチの包みを開いていくと…、見覚えのある巾着袋が出てきて心底びっくりした。…手縫いで作った自分の財布だ…。
「あ、あの…っ」
何かを言わなくちゃ! と必死に口を開いてみたけれど、言葉が付いてきてくれない。
口をぱくぱくさせていると、マリーがまたニッコリと微笑む。
「マリーのベッドから出てきたの。もちろん中身はそのままだから、大丈夫」
「…」
悪戯っぽく笑ってみせるマリー。
大人からみれば小銭程度にしか入っていないし、中身をどうこうされたかどうかだなんて思いもしなかったのだけれど…。つい小さく失笑してしまう。
「あの…。ありがとう、ございます」
せっかく絞り出した感謝の言葉なのに、ボソボソと小さな声になってしまった。
マリーは気にする様子もなく「どういたしまして」と微笑んでいる。
「キーシちゃんの手作りなのかな?」
「う…、はい…」
端切れを縫い合わせた巾着袋は「可愛らしさ」とは無縁に見える。何だか少し、恥ずかしい。
「器用なのね。縫い目が丁寧だし、刺繍で名前まで縫ってあって、マリー感心しちゃった」
「はぁ…」
せっかくもらった誉め言葉だが、やっぱり自分は釈然としない。
もしもこの巾着袋がマリーのポシェットのように「可愛らしいシロモノ」だったら、誉め言葉に手放しで喜んでいたのだろうか?
「それじゃあ、またね」
砂利を噛んだような顔で突っ立っていると、静かに微笑んだマリーが帽子をかぶった。
「あ…、はい」
ぼんやりと返事をし――…、マリーのふわふわしたワンピースに目がとまる。よく似合っているよなぁ、と感心してしまう。
そこでふと――、考えが思いついた。
「あ、あああのっ!」
マリーの背中に慌てて声を掛けると、マリーは「なぁに?」とおっとりと振り返る。
「マリーさん、時間はありますか? もし、良ければ、ちょっと…」
段々と小さくなっていく語尾が情けない…。
マリーは驚いたように一瞬目を見開いて、それでもすぐにいつもの穏やかな微笑みに戻る。
「もちろん、喜んで。マリー、キーシちゃんのお部屋に入っていいの?」
「あ、はい。どうぞ…」
「では、お邪魔しま〜す」
マリーがキーシの脇を通ると、ふんわりと優しい花の香りがした。オシャレだなぁ…、と思う。
キーシの部屋でまず目に入るのは、壁に掛けたタぺストリー。とぼけた顔のカントリー人形や、素朴な木製の小物入れ。明るい雰囲気のマリーの部屋とはまったく違う。
――けれど。
「可愛いお部屋ね」
「えっ」
まさかマリーに「可愛い」なんて言われるとは思わなかった。
びっくりしてマリーを見ると、彼女はとても穏やかな表情でタぺストリーを撫でている。
「か、かわいい…? どこが?」
たどたどしい問い掛けに、おっとりと小首を傾げるマリー。
「とっても可愛くて素敵なお部屋よ? 手作りの物は温かみがあって、気持ちがまぁるくなれるもの」
「…それ『可愛い』って言えるんですか?」
イマイチわからない。
「その…、マリーさんのヒラヒラな洋服の方が『可愛い』っていうか…」
「キーシちゃんは自分のお洋服やお部屋は『可愛くない』って思っているの?」
不思議そうな問いに、おずおずと頷く。
「もしもキーシちゃんが今マリーのお洋服を着たら、キーシちゃんは『可愛い女の子』になれると思う?」
「……よく…わかんない…。どうせ似合わないだろうし…」
さっきからボソボソと小声になってしまう。自信がない証拠だな…と思い、それでますます自信がなくなっていく感じがして…。
ふんわりと微笑む気配に顔をあげると、マリーがとてもあたたかな表情で目を細めていた。
「マリーはね? こういうお洋服を着ていると、マリーの心がまぁるくなるの。まぁるくなると、どんなことにも楽しくなれて、ちょっとしたことにも嬉しくなれて、小さなことでも幸せになれるの」
「…」
「だから、ね? キーシちゃんが無理してヒラヒラのお洋服を着たとしても、キーシちゃんの心がまぁるくならないと、意味がないの。お洋服は無理をして着るんじゃなくて、楽しんで着るものだもの」
「………」
わかるような、わからないような…。
困惑してうつむいていると、マリーが「そうだ」とパチリとひとつ手を叩く。
「キーシちゃん、スカートは持っているかな?」
「えぇっ? な、ないですッ。見張り台の上り下りで邪魔になるもんッ」
突然の質問につい羞恥を忘れて正直に答えてしまった。
が、やっぱりマリーは動じていない。
「あと、お帽子は持ってる?」
「ぼ、ぼーし? キオウさんのお下がりの麦わら帽子なら、そこに」
「うん。わかったわ」
「…は?」
い、今の会話から何が「わかった」のだろーか…?
この展開に付いていけていないキーシは、ただ呆気にとられている。
「キーシちゃんが良ければ、これからマリーとお出掛けしない?」
「お、お出掛けっ?」
そうよ、とニッコリ笑うマリー。
「この街は色んな船が来て物資が行き交っているから、雑貨屋さんの種類も豊富なの。もちろん、ハンドメイドの小物屋さんや、カントリー調のお洋服を扱っているお店もあるの。
ね? 良ければ一緒に行きましょうよ。たくさんの『可愛い』がキーシちゃんを待っているもの」
「……で、でも…。お小遣いも少ないし…」
軽い財布にションボリとしていると、マリーが「ふふっ」と優しく笑った。
「お店の商品をゆっくりと自分のペースでただ眺めて過ごすのも、立派な『女の子の楽しみ方』なのよ?
買うか買わないか、それは別のお話。お店で自分が好きなアイテム達に囲まれて過ごす時間は、とーっても楽しいもの」
「………」
そんな時間の使い方はもったいない…と言い掛けたけれども、すんでのところで言葉を抑えた。
――…「女の子の楽しみ方」かぁ…。
せっかくの機会だし、モノは試しだ。キーシは思い直して、深呼吸を置いた後にマリーと向き合う。
「……あの…、じゃあ…、お願いします…」
「はい。マリーがキチンと責任を持ってご案内しまーす」
不慣れな動きで下げられたキーシの頭を、優しくマリーがひと撫でた。




