もやもやする◇賢者達の模索
「…『クジラの喧嘩でエビの背割れる』って知っているかい? 明星の」
白亜の神殿の一室を占拠した明星の賢者に、清流の賢者は呆れ果てた声を出した。
大量に持ち込んだ色とりどりの布地を、フリーハンドで捌いていく明星の賢者。ご機嫌な鼻歌に誘われた精霊達が、窓辺でクスクス笑っている。
「んん? 藪から棒に可笑しなことを言うね、清流の。それは確か、東洋の国のことわざだったかな。妙な話だと思わないかい? どれほどに巨大なエビなのだろうね。それとも、クジラの喧嘩が生み出す破壊力は、小さなエビにそれほどのダメージを当たり前のように与えるものなのか。ふむ、気になるね。イカを計画していたのだけれど、予定を変えてエビにしてしまおうか。幸い裁断はまだ始めたばかり、充分に修正が利くからね」
「…で、一体何を?」
「それは、もちろん――」
チョキンチョキン☆
おどけた様子で裁縫バサミを軽快に鳴らす明星の賢者。
「御伽ののクジラを君より先に捕獲するために、今私は新たなイキモノを生み出そうと頑張っているのだよ」
「……新たなイキモノ、ね…」
清流の賢者の呆れ果てた低い声は、幸いなことに明星の賢者の耳には入らなかったようだ。
おもむろに虚空へと手を突っ込んだかと思うと、愛用らしき裁縫箱を引っ張り出す明星の賢者。
「クジラのライバルといえば、クラーケン並みに巨大なイカだろう? だからイカを計画中だ。けれど私は水棲生物の類いは専門外でね、今遣い達に書庫を漁らせて資料を集めさせているところだ。後々を考えると、水陸両用にすべきかな? どう思う?」
「さぁね…」
「やれやれ、実に冷ややかな反応だ。先輩に対する態度とは思えないね。あぁそうか。君と私は御伽ののクジラを巡ってのライバル関係にあるわけだから、その反応は当たり前といえば当たり前か」
「…」
あみぐるみ製のクジラを見て、可笑しな対抗意識が芽生えてしまったらしい…。
苦笑する清流の賢者を振り返る明星の賢者。
「ねぇ、イカの足は8本でいいのかい?」
「えっ? 私に訊いているの? 珍しい…」
「君以外に誰がいるのかな? 製作意欲に火がついた私は、遣い達の帰りを待ちきれないんだよ。あぁ、ウズウズが止まらない。設計図を引かなければ」
「…イカは基本的に、腕が8本で触腕が2本、ですよ。先輩」
「ふむふむ、頼りになる後輩だ。エビは?」
エビ路線も捨ててはいないのか…、と呆れる清流の賢者。
「さぁ…? 細かな脚を大量に有する種もいるし、よくわからない」
「あぁそうか、エビにも色々いるからね。うーん、小さな脚を大量に創るのはさすがに面倒だ。やはりイカにしよう」
「イカにも色々いると思うけれど…」
「その点は心配ないよ。イカにしようと考え付いた時点で、私は創るカタチを想像していたんだ。イカらしいシャープな体ではなく、丸みのある体にしようかと」
話しながら虚空に光の線で簡単な設計図を描いていく明星の賢者。
どうやらかなり可愛らしいカタチとなるようだが…、これではイカらしい鋭い推進力など生まれないのではないだろうか?
後輩が向けるげんなりとした視線になどお構いなしに、明星の賢者は我が道を行く。
「清流の、いつまで私の作業を見学しているつもりかな? 私がクジラを捕まえてしまってもいいのかい?」
「いや、別に…。私は師匠の忘れ物を回収さえ出来ればいいんだ。それが私ではなく、明星のであっても」
「ほほぅ? さてはやる気を出した私に怖じ気づいたね? 君の師匠は弟子の君がクジラを釣り上げる様子を視たいのだろう? 師が出した課題は、自身で達成しなければ。後で困るのは君だと思うけれど、さてどうだろう?」
「はぁ〜…、嫌なことを。そもそもは、アレを湖で遊ばせていたことを忘れて帰った師匠が悪いのに」
「師が出す課題は時に不条理なものだよ。私が師なら、もっと意地悪な真似をするね」
明星の賢者の口調は軽い。表情も軽い。裁縫バサミの音まで軽い。…困ったことに、どうやら奇妙なテンションが沸々と上がってきてしまっているらしい。手がつけられなくなる前に退散すべきかな…、と清流の賢者は後退りしつつある。
――だが。
「………」
恐ろしいまでに軽快であったハサミの動きが、何故かピタリと静止した。
不吉な何かを感じ、逃げようとしていた足も思わず止まる。
「ど、どうかした?」
「………。大変だ」
「は?」
「一大事だ」
「な、何が?」
清流の賢者がおそるおそると問い掛けると――…、くわッ! と天を仰ぐ明星の賢者。
「私としたことが、中に詰める物の用意を忘れていたよ…! 綿かっ? 綿がいいのかッ? だが、これほどの量の綿をどうやって調達すべきなのか…ッ!?」
「………」
そんなことか…、と脱力する清流の賢者。
明星の賢者の演技掛かった嘆きは止まらない。テンションはマックス状態である。
「そもそも綿にも色々あるじゃないか! 綿花かっ? 羊かッ? 他の何かかッ!?
こら清流の、笑ってなどいないで白状なさい。君の師匠は一体どうやって調達した!? キリキリ白状なさい! さぁ! さぁ!!」
「えぇっ?」
クジラの喧嘩にエビの背割れる。
弱者が強者の争いに巻き込まれる様――すなわち「とばっちり」の意味を持つ言葉である。
可笑しな競争に巻き添いを食らった清流の賢者は、頭が真っ白な状態であった。
「いや、あの、でも、その。ウチの師匠があの手のモノに詰めるモノは、ひとつしかないけれど…」
「ふむふむ。
――で?」
冷静な切り返しがむしろ怖い。
清流の賢者はますますパニックだ。
「えっ、えーと……その…。
あ…あい、じょう?」
「………」
「………」
「…愛情?」
「あ、愛情」
「………」
「………」
風が、空気が、音という音さえもが止まる程の――…あまりにも重い沈黙の時間…。
もうこれ以上は耐えられない――! 清流の賢者が意を決して動こうとした!! ――その刹那。
ばんっっ!!
「そうか! 確かにそうだ!! 何故私は詰められるモノはカタチあるモノのみだと思ってしまっていたのだろう…! 嗚呼、私は賢者失格だ! そして、さすが御伽のだ! その柔軟な発想は実に素晴らしい! 羨ましい限りだ…!
ああっ、こうしてはいられない。そもそもはこんな落ち着かない場所で創り出そうとしたこと自体が間違いだったわけだ。御伽のが愛情を詰めるのならば、私は真心を詰めよう。真心を詰めるならば、誠心誠意ギュウギュウに詰め込んでやらなければ。
よし。そうと決まれば場所移動からだ。野次馬に見られていては集中も真心も何も生み出せやしない…!」
がたがたがたがたっ!
吼えるやいなや、慌ただしく帰り支度を始めた明星の賢者。布地やハサミや裁縫箱を無造作に掴み、虚空に開けた穴の中へとポイポイ突っ込んでいく。
最後の仕上げとばかりに、自身も穴の縁に足を掛けて――。
「では、清流の。そういうわけだからね、私はしばらく引きこもらせてもらおう。君は君で精進するんだよ。くだらない課題だと拗ねずに、取り組む姿勢を視せてやりなさい。
それこそが本当に、御伽のが視たいモノではないかな?」
「あ…」
「ではっ」
何やらソレっぽい助言を残し、躊躇いなく虚空の中へとダイブする明星の賢者。術者の通過と同時に、キュッ、と閉じる穴。
そして――。
「………」
窓からサワサワと吹き込む風。木の葉の囁き。花の香り。精霊達の小さな笑い声。…平穏な空間が戻ってきたようだ。
はぁ〜…、と特大のため息。
「――…確かに…、まだまだ修行が足りないな…。
相手が明星のでは勝ち目はなさそうだけれど…、仕方がない。行動開始といくか。だが、参ったなぁ。どうすべきか…」
部屋のドアを押し開けながら、清流の賢者は後頭部を掻いた。




