もやもやする◇ミノムシの朝
その朝。ジークの脳ミソは、沸騰寸前であった。
…ぺらっ
「ぅう…」
ぺらぺらっ ぺらっ…
「うー…っ」
ぺらぺら…
「ぐぬぬーっ!」
ぺら…っ
ばさばさばさッ!
「ぬあぁァーッたくッ!! ムリだムリムリッ!」
ばたんッ! どさッ…!
「…。何を吼えてんの?」
ドア越しに聞こえた奇怪な呻きに興味を惹かれたレイヴである。
ベッドにヤケでひっくり返ったまま、レイヴをジロリと一瞥したジーク。そのまま枕に顔を擦り付けながら、プイッとそっぽを向いてしまう。
「…。なんでもねーよ」
「あらま。ご機嫌ナナメな反応をどうも。
そーんな意味も理由もなく吼える思春期男子並みに色々と持て余しちゃっているジークには、素潜り漁がオススメでーっす! 体を動かしてストレスを発散! 美しい海に抱かれて心の洗濯も!
さぁ友よ! いざ行かんッ!」
「…とか言いながら、モリの先を俺に向けてんじゃねーよ」
モリと簡易シュノーケルを装備した姿のレイヴ。どこからどう見ても、今から海に潜る気満々であった。
頭のバンダナをねじりハチマキのように巻き直すレイヴ。あとは服を脱ぎ捨てさえすれば、潜水の準備はバッチリである。
「あっ。コレは俺が使うモリだからさ、ジークが使うモリは今取りに戻」
「戻らなくていい戻らなくていい。テメェはこのまま回れ右して、とっとと俺の部屋から出て行きやがれ。
んでもって、そのまままっすぐ海に飛び込みやがれ」
「ノリが悪いなぁ。元気もないなぁ。いくら今が春先だからって、ここら辺は南からの海流であったかいんだよ?」
「水温の問題じゃねーよ。頼むから、俺をひとりにしやがれ…」
「おーおー、なんだかストレス蓄積しまくりだねぇ。潜るのってホントに気持ちいいしスカッとするからさ、一緒に行こうってば。適度のガス抜きは健康にも良――…。
って、ちょッ!? 待っ!? ボウガンなんて物騒なモンをいつの間に構えてたのジークッ!? 目ぇ怖ッ!」
“真空のジーク”の完全に据わった目で捕捉され、反射的に室外の陰へと素早く逃げるレイヴ。
対してジークは気のない声で「俺はコレで水中の標的も狙えるからなー…」などとぼやいている。矢を無駄に放つほど馬鹿ではない。
「…」
おそるおそると、ドアの陰から顔を出すレイヴ。
ジークはすでにボウガンを片付けて、そっぽを向いて丸まっている。
「…なぁ、何をイライラしてるんだよ? 俺で良ければ、相談に乗るよ?」
「いらねぇ」
「そりゃあキオウほどじゃあないけどさ、俺だって意外と役に立ちますよー? “探求のレイヴェイ・グレイド”であるところのレイヴさんは、実は色々と人生経験も豊富なので」
「修羅場の数なら俺の方が上だな」
売り言葉に買い言葉。いつもの調子でついレイヴに応えたジークだったが。
「………………。はぁ~…」
超弩級のため息をついて、顔面を枕にずっぽりと埋めた。
予想外の反応に、レイヴは思わず身構える。
「えっ? いや、あの、今の嫌~な間はなんですか? てか、なんでソレで鬱になんの? 墓穴なの? 地雷なの?
あっ。もしや、転職のお悩みですか?」
「おいテメェそのドタマにマジで風穴開けてやろーか?」
「あー、なるほどー。ベッドの下にボウガンあったのなー。どこから出し入れしてたのか気になってたんだよー。うんうん。
だから、わかったから、もうソレ片して下さいな」
「…。何に対しての『わかった』だよ…」
顔面を枕に埋めたまま、しかし照準はしっかりとレイヴを捉えていたボウガンを、再びベッド下へと戻すジーク。
足元に追いやられていた毛布を手繰り寄せると、そのまますっぽりと潜ってしまった。…外界を遮断したいらしい。
ジークがこれほど抱え込む悩みならば、すでに賢者サマに相談済みかもしれない…。レイヴは苦笑気味にやれやれとため息をつき、モリを持ち直して踵を返す。
「――…なぁ」
ドアを潜る瞬間に声を掛けられて、レイヴは「んー?」と応えつつ振り返った。
ジークは毛布でミノムシと化している。
「…小娘の趣味って、なんだ?」
「………」
あまりにも想定外な変化球に、たっぷりと空っぽになるレイヴの思考。
驚きのあまりにバックリと見開いた眼球が次第に乾いてきたので、慌ててパチパチと瞬きする。
「…えー、と?
ジークはロリコン派だったの?」
ばちゅんっ!
「ぬわぁッ! ウソですゴメンナサイまじスミマセンゆるしてモウシマセンおねがいダカラもうソレしまってコワいからマジでコワいからヤメテッ!!」
驚異の素早さで放たれたボウガンに――否、放たれた事実を脳ミソが理解した途端に吹き出た冷や汗に、全力で謝罪と弁明を吐き出すレイヴ。
その背後の壁では、レイヴのこめかみギリギリを掠めて突き刺さっていたボウガンの矢が「ばいぃ〜ん…っ」と小刻みに揺れている。
「………」
ジークは据わった半目でギロリとレイヴを一瞥すると、ようやくボウガンをベッド下に戻した。
そしてそのまま勢いよく毛布を被ると、再度のミノムシで籠城状態になる。…どうやら勇気を振り絞って口にした言葉を茶化されて傷付いたらしい。
参ったなぁ…、と頭を掻くレイヴ。
「…えーと? キーシの趣味が知りたいんだっけ?」
「………」
ジークはムスッとした気配しか返さない。…これはこれで面倒臭いが、逆をいえば子供のようなもの。これまで満足な友人関係がなかったせいで、情緒の成長が中途半端なのかもしれない…、とレイヴは勝手に推察する。
そんなジークのベッド脇には、何故か乱雑に投げ捨てられた女子向けの流行雑誌。一体どこから調達したのだろう…? 凄まじくツッコミを入れたいレイヴであったが、そんな真似をしては今度こそ額のど真ん中を矢で射抜かれるだろうから、ここはグッと我慢した。
「キーシの趣味、ねぇ…。見張り台で海を眺めるのが好きだよなぁ。他にはー…」
レイヴは顎を擦りつつ、キーシの行動を思い返してみる。
一日の大半を見張り台で過ごすキーシ。そこでラティと遊んでいたり、望遠鏡で周囲を眺めていたり、愛読書をじっくりと読み返していたり。
雨の日はほとんどを自室でのんびり過ごしているようだ。それ以外では…、たまにキオウやカイに読み書きを教わるか、厨房を占拠してお菓子を作るか。
「部屋では何をやってんだろうな…」
少しだけ顔を出してボソリと呟くミノムシ。ちょっとは機嫌を直したらしい。
「意外かもしれないけど、キーシは裁縫もするんだよ。ほら、いつだったかなぁ…。キーシの部屋に入ったことがあっただろ?」
「…ピエロ事件のとき、か?」
ピエロ事件…! ジークが可愛い名前を付けているっ。あああっ、ツッコミを入れたいッ。我慢だレイヴ! 頑張れ俺っ!
表情筋を引き締めて、何度も何度も頷くレイヴ。
「キオウから聞いたんだけど、あのピエロがキーシに危害を与えなかったのには理由があってさ。ほつれて取れかかっていた腕や衣装を、キーシが直してやったんだって。その恩があったみたい」
「な、ん、だよ…。いいヤツじゃねーか、あのピエロ。始末する必要なかったんじゃねーの? てか、なんで俺達ピエロを始末する羽目になったんだっけ?」
「我らが賢者サマがくたばりかけたから」
「…。キオウがへこたれなけりゃあ、あのままピエロがいても害はなかったんじゃねーのか? 軟体ネズミみたく」
「済んだことにクヨクヨしない。ズンズン前に進みましょー」
「…はいはい…」
気だるげなミノムシもといジークが、胸まで姿を現した。散々暴れた後なので、黒髪がぐちゃぐちゃになっている。
「キーシの部屋にタぺストリーがあったのを覚えてる? あれもキーシの力作なんだよ」
「なら、手芸の道具って手もあるか…。くそっ、そんなモンわかんねーぞっ」
「キーシにプレゼントがしたいんだ?」
何やらブツブツ呟いているジークに、レイヴはキョトンと首を傾げた。
途端にますます口ごもるジーク。
「いや、なんつーか…。昨日は俺が傍にいたのに、怖ぇ思いさせちまっただろ?
なんかさ…、悪いことしちまったな、って…」
「………ジーク、お前…」
じわじわと沸き上がる感情にうち震えたレイヴは、わしっ! とジークの両肩を掴む。
「おわっ、なんだよッ?」
「お前ってば本ッ当に良いヤツだなぁっ! アレはお前のせいじゃなかったってのに、それでもキーシが心配だなんてッ。レイヴさんは感動が止まりませんっ!」
「気持ち悪りぃっつーのッ! 即刻止まれッ、その感動ッ!」
「照れない照れない! それに、あの場にはレイヴさんも一緒におりましたッ。他人事ではございませんッ。全力で協力させていただきまっす!!」
「はぁ!? なんか無駄に大げさになってねーか!? あくまでも俺の狙いは、さりげなーく何気なーく――」
「じゃあ、ジークが考えた『さりげなく何気ないプレゼント』って、何?」
レイヴの問い掛けに「うっ」と答えを詰まらせるジーク。
そして。
「だ、だから…ッ、それを考えてんじゃねーかッ!」
案の定、逆ギレである。
チッチッチッ…、と指を振るレイヴ。
「やはりここは任せたまえっ。3人の姉貴に囲まれて鍛えられたこの感性に!」
「………」
レイヴに向けるジークの視線が生ぬるい。
「なら、聞かせてもらおうか? お前の鍛えられた感性が出した答えを」
「フッ…」
軽く鼻で笑うレイヴ。
「世の中の女子が一番欲するプレゼント。――…それは」
ズバリ。
「現金ッ!!!」
「………。カネかよ」
レイヴに向けるジークの視線がますます生ぬるい。
「いやいや、マジでそうなんだってば! 現金が一番喜ぶんだってば!」
「なんか汚ねぇ発想だなー…」
「ピュアなジークに現実を突きつけてあげよう。
プレゼントを貰った女子が『わぁ~っ、コレ欲しかったんだぁーっ。ありがとー☆』とか満面の笑顔で言ったとしても、そのプレゼントが欲しくもないよーなブツだったら、内心では『うーわー…、何コレぇ~…? マジいらねぇー…』と蔑みの目で冷ややかに淡々と舌打ちしてるんだよ。んで、女友達に『アイツこんなくだらないモノくれたんだけどー』『えー、何ソレぇ? マジいらなーい』『だよねー☆』とかダークに盛り上がるんだよ。
レイヴさんは実際にソレを見てしまいましたからね。姉貴の部屋の前を通ったら、偶然ドアが少しだけ開いていて、たまたま目撃してしまいましたからね。あの空間は、マジで怖い」
「………」
レイヴに向けるジークの視線が更に生ぬるい。
「だからね、現金が一番なんだよ。好きなモノを買えるから」
「…もういい。お前に少しでも期待した俺が愚かだった」
「えぇー? レイヴさんは自分の経験に基づいた的確な助言をしただけですよー?
ちょいとジークさーん、ミノムシにならないで下さーい。もっしもーし」
またもや毛布で全身をグルグル巻きにするジーク。それをガクガクと揺さぶるレイヴ。揺さぶりに合わせてユサユサと揺れる簡易シュノーケル。
デスティニィ号の朝は、やはり愉快に始まるのであった。




