これぞクレリオ◇不思議な出逢い
半端な閉じ方だったドアを風が開けたのか、ゆっくりと蝶番が開く音が聞こえた。
何気なくそれに目をやると――、そこには何故か幼い子供が立っている。
「え…っ」
これにはさすがに驚いた。この自分が、ドアの開閉音がなければ、他人の存在に気付かなかっただなんて。
「………」
動揺しているのは自分だけで、目の前にいるこの子は静かなものだ。
5歳くらいの男の子…だろうか? 何を考えているのか、こちらをじーっと見つめている。
この子は何処から入って来たのだろう…?
「ねぇ僕?」
話し掛けると、子供は不思議そうに小首を傾げるだけ。
その仕草に揺れたのは、柔らかそうな金の髪。アリシアの民をルーツに持つこの国では、金色の髪は珍しい。つまり、他国からの礼拝客か。
「参拝に来たの? おじいさまなら、1階の大聖堂にいるよ?」
白い法衣を翻して男の子に近付く。その途中でテーブル上にあった果物を手に持つ。
「はい、ピアナの実だよ。あげる」
この地方原産である橙色の果物を、膝をついて目線を合わせてから優しく差し出す。
男の子はしばらくそれを見つめていたが…、やがて小さな手を伸ばして受け取った。
「親御さんは? ひとりで来たの?」
両手に包み持つピアナの実を見つめている男の子は、問い掛けにまったく反応をしてくれない。
他国の者なら、自分が話す言葉がわからないのかもしれない。まるで小鳥にでも話し掛けているかのような気分になる。
「えーと…、一緒に1階に降りていった方がいいのかな…」
こんな子供がたったひとりで異国への旅をして来た、とは考えにくい。ならば、保護者がいるはず。その保護者を捜してあげるべきか、手っ取り早く祖父に言語理解の術をかけてもらうべきか…。
悩みながら男の子を観察し――…、ようやく気が付いた。
男の子の足元には、影がないことに。
男の子の背中には、翼があることに。
「え…?」
有翼人…いや、影がない有翼人だなんて聞いたことがない。だが、影がない存在は幽霊や精霊や神霊の類いのはず。けれど、それらが放つ独特な波動をこの子からは感じられない。
「君は、いったい…」
だれ――?
そう問い掛けようとした――その瞬間。
「うわっぷ…ッ!?」
突如の強風が窓から舞い込んだ!
風はレースのカーテンをバタバタと暴走させ、机に広げていた紙を散らかし、髪や法衣をめちゃめちゃにしていく。
反射的に腕で目を庇ったが…、強風はほんの数秒でおさまった。
「…ふぅ…」
ほっと息をついて目を開き――…今度は息を呑む。
強風の前までは確かに目の前にいたあの子が、忽然といなくなっていた。
あまりにも突然で不可解な出来事に混乱してしまう。一体、いつの間に、何処へ――…?
『――風はね、世界中を流れているんだよ』
「だれ…っ?」
声は聞こえるのに、姿が見えない。それどころか、この声が部屋の何処から聞こえてくるのか。その方向すらわからなければ、距離までわからない。
『古の神がこの世界を創ったとき、まず最初に何を創造した?』
「………海…」
――主フィレリアは海を創られ、そこを生命の母体とした。
『海は全ての生き物の源。海の流れは命の流れ。《流れ》のない場所では生き物は生きられない』
「でも、陸地や空にも、こうして…」
『古の神が海の次に創ったのは陸地。生き物はこの新天地に進出を始めようとする。
けれど《流れ》のない場所では生き物は生きることが出来ない。
そこで、古の神は新たな《流れ》を創った』
「それは…、風、のこと…?」
『海の《流れ》は形がないし、色もない。
空の《流れ》も形がないし、色もない…』
「………」
『透明って…《色》と呼べるのかな?』
「え…っ?」
姿なき声は幼子の純粋な問い掛け。質問者が別の存在であれば、質問の答えを放棄していたかもしれない。
だが…何故か、この問い掛けには答えなければならない気がして――…。
「…」
答えを紡ぐ語彙に悩んでいると、小さく温かな笑い声が聞こえた。
『お話ありがとう。また来るね』
ばいばい――…。
「………」
――…茫然としたまま視線を落とす。
男の子に渡したはずのピアナの実が、床にコロンと転がっていた。




