これぞクレリオ◇カイとインパス
網を片手に厨房へ入ったカイの耳に、もはや聞き慣れた含み笑いが聞こえてきた。
「ふふふっ…、よしよーしっ。余った食材がすっかり片付いたぞっ。スゴいぞ俺ッ、さっすが俺ッ!」
「なんだ、夕飯の仕込みはもう済んだのか」
「おわっ!?」
カイの存在に気付かなかったらしい。シンクに両手をついて悦に入っていたインパスが、驚きのあまりにおたまを床に投げつけた。
厨房に「カーン」と軽い音が響く。
「な…なんだ、カイかぁ」
「俺で悪かったな」
失笑混じりに厨房を見渡すカイ。
ホカホカと湯気が立ちのぼる鍋。下ごしらえが済んだ野菜達。魚介のダシの良い香りが厨房内に広がっている。
「ひと足遅かったか…。知り合いから貰ったんだが、使えるか?」
「何それ?」
じゃりっ、と鳴らしつつ網をシンクに置くと、のぞき込んだインパスが鼻息荒く「おーっ!」と興奮する。
「巨大アサリッ。さすがクレリオ産はデカいなぁ〜! 酒蒸し決定〜っ!」
飛び跳ねる勢いで喜ぶインパス。差し入れのアサリでこれだけハッピーになれるとは幸せな性格である。
幸せいっぱいなインパスを見るカイの目も自然と和む。
「とりあえず、海水汲んできてよカイ。このヒト達に涙ナミダの故郷との別れをさせてやるので」
「砂抜きはしてあるはずだが」
「食べる直前まで生かしておくのだーっ」
物騒なセリフと共に「だーっ」と拳を突き上げるインパス。元気で大いに結構だ。
そんなことを思いながらバケツを引っ張り出し――…、ふとカイは顔をあげる。
「ラティはどうした? 静かになったようだが」
あのままノンストップで雄叫びをあげ続けられても困るが、一転してデスティニィ号がこうも静かなのも不安だ。
「んー、寝てるんじゃない? カイが出掛けてからしばらくして静かになってさ。真っ白な顔して厨房にフラフラ入ってきて、水飲んで、厨房から出てったし」
「………」
話を聞いている間にも眉間にシワを寄せ、終いにはこめかみをグリグリと押さえるカイ。…このインパスに子守を任せた自分が愚かだったのかもしれない。
「あっれぇ? カイ、バケツ持っていってよー」
右手に持ったバケツをアピールするインパスをスルーしたカイは、厨房に盛大なため息を残し、ズンズンと大股でラティの部屋に向かう。
「ラティ、開けるぞ?」
ガッ…!
「…」
ガチャガチャッ…
「……」
施錠されていたドアノブを掴んだまま、眉間のシワをますます深く刻むカイ。
しばし考えた後、礼儀を忘れていたことに気付いたので、とりあえずノックをしてみる。
こんこんっ
「ラティ、俺だ。いないのか?」
………。
「…いないのか」
室内から気配を感じない。自室にはいないようだ。――となると、いささか困ったことになる。
子供の足ならば遠くには行けないはず、などという大人の甘い考えがラティには当てはまらない。なにせラティは有翼人、風にさえ乗ればどこにだって行ける。
「…」
キオウを喚び戻すべきか…? 苦悩に後頭部を掻いていると、僅かながら風に開閉しているドアが見えた。
キオウの部屋だ。
「…?」
結界により泥棒の心配が不要とはいえ、物騒なシロモノが山積した賢者の部屋である。興味を惹かれた乗組員――特にラティやキーシが不用意に入って怪我をしないようにと、キオウは船を離れる際には必ず施錠をしているはずだが。
「…」
不審に思いつつ中を覗き込む。
室内を埋めていたガラクタの数々を少しは片付けたようだが、その代わりとばかりに椅子やらベッドやらに投げ出され放置された衣類の数々。…その多くがシワクチャなので、後で洗濯やアイロン掛けをと、出しっぱなしにしているのだろう。たぶん。
「だからタンスにはキチンと畳んでから仕舞えと、昔から…」
やれやれと苦笑したカイの視界で、ベッドの毛布が「もぞっ」と動いた。
毛布や衣類の隙間から、茶色の羽毛がチラチラと見えている。
「ラティ…。お前、なんでここにいるんだ?」
安堵と呆れが混ざった思いで近寄ると、数秒の間を置いてラティがのっそりと顔を出した。
…その表情は気だるげで、目も赤い。
「……きもちわるい、から…」
「ん?」
「…ょ…よったの……」
「酔った…?」
訝しげなカイに、ラティは力なくコクンと頷く。
「かぜに、よったの…」
「………」
空の眷族たる有翼人が風に酔う。
一瞬不思議に感じたカイだったが「…そんなこともあるのだろうな」とひとり納得して頷く。自分も未熟な時代には長い航海の後に陸酔いをしたし、今も体調によっては日課の晩酌で悪酔いもする。
「キオウの部屋だと具合がマシか?」
「うん…」
ラティは小さく答えつつ、毛布にもぞもぞと深く潜っていく。どうやら声を出すことも辛いらしい…。
布団越しに軽く叩いてラティをあやし、カイは静かに退室した。
「あ、カイ。結果オーライだったよ!」
厨房に再度入った途端に投げられた、インパスの意味不明な言葉である。
ドアを潜るカイの動きが思わず止まる。
「…何がだ?」
「さっきのバケツ! 底に穴開いてたよー。適当なバケツが見つからなかったから、代わりに洗面器を代用しました」
エッヘン! とばかりに胸を張るインパス。その脇のシンクでは、アサリが入った洗面器が鎮座している。
ぴゅうぅ〜…
「おっ。アサリの水鉄砲、見事タワシに命中で〜す」
「………」
なんだろうな、この噛み合わない空気は…。
つい天井に向けてため息が漏れた。
「え? カイ、その反応は何?」
「…。
いや、いい」
「えぇー…? なーんか嫌な感じだなぁ。
あっ、そうそう。ラティはちゃんと寝てた?」
「…。ああ」
「そっか、よかった。やっぱりキオウの部屋ってトクベツなんだなぁ」
付き合いきれん…、と厨房から出ようとしていたカイの足が、最後の発言にピタリと止まった。
怪訝に振り返るも、インパスは我関せずとばかりにコップを磨いている。
「…。
なんだ、その…。ラティがキオウの部屋で寝ていると、知っていたのか?」
「あれ? そう言わなかったっけ?」
「………。
顔面蒼白で水を飲んで厨房から出ていった、と言っていたがな…」
カイの視線に含まれた抗議の意を感じているのかいないのか。平和に「そうだっけー?」と小首を傾げるインパス。
「水を飲んでいる間に、キオウの部屋の鍵をマスターキーで開けたんだよ。んで、ラティに『賢者サマの部屋で休んだらー?』って。あの部屋はこの船で一番の…聖域? みたいなモノだし。体調不良の有翼人には良さげじゃないかなー、って」
「………」
聞いているうちに、先ほどまで胸にあったイライラがラムネ菓子のごとく溶けていくのを感じた。
それを感じつつ、ふと――…そういえば、インパスとはキオウの次に長い仲なのだな…、と思いつく。
「…」
チビ時代のキオウは聞き分けも良く、さほどの手間もかからなかった。
――…だからといって、自分がキュクで拾ったあの悲惨な姿を忘れて良いはずがない。そして、自分の手には負えないからと、クティの賢者に『押し付けた』事実は変わらない。
そのクティの賢者――キオウの師から、再びキオウを託されたのだ。その責任は重い。罪悪感も重い。
自分が無意識に抱えていたそれらの苦悩を、インパスはさりげなく打ち負かした。
深夜に暗く酒を呑んでいると、気の利いた肴を持って問答無用で便乗して付き合ってくれた。何気なく呟いた悩みを拾い、何気ない言葉で晴らしてくれた。
そんな真似が出来るからこそ、ショウカの宮廷料理長を任されていたのだろうけれど…。
「…悪かったな」
――さっきは仲間を疑ってしまった。
「へ? 何が?」
磨いたコップを光にかざしながらの、相変わらずな応え。
思わず、フッ…、と笑みが浮かぶ。
「…いや、いい。
何か手伝えるか?」
「えー? カイもやりたいの? コップ磨き」
「軽く甲板の掃除でもするか…」
「あ、逃げた。言い出しっぺなのにー」
インパスの抗議を背中で聞きつつ、カイは厨房から夕焼け迫る甲板へ出た。




