家族の話
広大と時計が共に暮らすにあたり、彼女が最初に定めたこと。それは食事は一日に最低二回ということだった。
食事は一度だけ、その意味もただ体に栄養を与えるため……そう思いこんでいた広大にとって一日二度の食事の習慣は、驚きと同時に多少の煩雑さを感じるものである。
「……広大さんには、昔……」
味噌汁を飲みながら、時計が言う。彼女は鳥人の癖に、偏食だった。
果物や生の野菜を好まない。味噌汁に白米、漬け物などを好む。
育った研究機関での食事がそうだったのだ、と時計は広大に語った。
随分アットホームな研究機関だったのだね、と言えば彼女は眉を寄せて怒る。かつての場所から引き継いだ思い出は、味の好みだけだったのだろう。
だから広大も、彼女の偏食に口を出さないようになった。
共に暮らし始めてもう一ヶ月が過ぎようとしている。二人の間には、暗黙の了解というものが生まれた。
以前ほど時計は広大を殺すと言わなくなったし、言わないからといって気を緩めて良いということでもない。
二人の間には相変わらずの溝があり、そしてその上を細い糸のような絆が橋のように渡っている。
今の二人は、そんな関係だった。
「昔?」
「昔、家族がいたの?」
時計は言いにくそうに、詰まり詰まりに言う。
「もしくは、どこかに家族がいるの?」
時計が広大の過去を聞くことなど、これまで一度も無かった。暗黙の了解のように、二人の過去には触れないできたのだ。
その深い溝に投石をするかのごとき彼女の質問。広大はさり気なく疑問で返す。
「なんで?」
「家が広すぎるから」
「昔はね」
広大も味噌汁を口に含む。
目は見えなくても、食卓の上の様子はだいたい分かった。最初、時計はその事に驚いたものである。
「昔は、家族がいたんだ。だから家だって広い……うん、今日の味噌汁も美味しいね」
食事は知らず、時計が作るようになっていた。鳥人は長い爪を持つというのに、彼女は器用に料理を作る。
料理が得意ではない広大にとって、非常に有り難い事である。
毒でも含まされるかと思ったが、今のところその素振りもない。
「親子だった? えっと……雄と雌がいて、子供がいる。そういう形態のことね」
「まあ、そういったところ」
「ここにもう居ないってことは……死んだ?」
「そういったところ」
箸で漬け物をつつき、ご飯に乗せる。
朝食のようだが、時刻はもう夕暮れ。窓から夕陽の香りが届いている。一日にわたって窓を開ける癖、これは時計も受け入れてくれた癖だった。
その代わり、広大も食事は最低一日二回。という時計の条件を呑むことにした。
家族とは、こうして妥協と協調の連続でできあがっていくのだろう。
かつて家族を持っていた広大にとって、この感覚は懐かしいものだった。
「……あたしと同じか」
「奇遇だね」
「あたしの場合は、あんたが殺したのよ。変なところで同意しないでよ」
時計は机に茶碗を叩きつけ、叫んだ。そして不機嫌そうにしばらく無言となる。……やがて恐る恐る口を開いた。
「ところで、広大さんの家族は何で……」
「ん?」
その時、風が強く吹きつける。カーテンを巻き上げて広大の顔にかかったのだ。
ばさりばさりと不快な音をたてて、カーテンがなびいた。外から湿気った夕暮れの香りが運ばれてくる。気付けば外は、もう夏本番の香りだ。夏は緑が濃い香りをたてる。
「あ! 倒れる!」
時計が慌てて声を荒げた。
カーテンの端が机の上を払ったのだろう。何かが倒れる音と、水のこぼれる音。そして時計が小さく悲鳴を上げる声が聞こえた。
鼻に緑茶の香りが届くのと同時に、膝の上に暖かい何かが垂れてくる。
ああ、と広大はため息をついてこぼれた茶を手で拭う。意外に広範囲にこぼれたそれを拭い終わる頃、二人の間に沈黙が落ちていた。
「……で、何の話だったっけ?」
「あ……と」
「ん?」
時計は先ほどの言葉を飲み込んだようだ。空気を探るように、彼女は言葉を選んだ。
「……猫の喫茶店にいかない?」
広大の家のすぐそばに、小さな喫茶店があるのだ。門のところに黒猫のモチーフがあるという。無論、広大は知らなかった。
はじめてその喫茶店に足を運んだとき、時計が嬉しそうにそう言ったのだ。
洒落た西欧風の一軒家スタイルの、喫茶店。黒猫のいる喫茶店。だからいつか二人はその店本来の名を忘れ、猫の喫茶店と呼んでいる。
「紅茶を飲みたいから」
「いいよ」
時計は味噌汁と同じくらい、紅茶を好む。それも淹れ立ての熱いミルクティだ。牛乳が無ければ時計は紅茶を一滴だって飲めない。これも彼女の好き嫌いの一つである。
じゃあ行こうか、と広大は立ち上がり時計も立ち上がったようだ。
家の中では極力飛行を避ける時計だが、それでも彼女が動くと羽根が部屋の中に風を巻き起こす。
その羽風で埃が舞い上がっても、最近時計は文句も言わない。
……家族とは、やはり妥協と協調の連続である。