夢の話
そこは真っ白な壁と真っ白な天井、そして真っ白な床だけが続く無機質な場所だった。
天井には白い光を放つ蛍光灯。この白い光が全てを白く染め上げているのだろう。
不愉快になるほど人工的な光だ。
(……ああ、ここは)
時計はぼんやりと、周囲を眺めていた。羽根も動いていないのに、彼女は宙に浮いている。そのすぐ足元に、鳥人の少女が見えた。
まだ5歳にもならない、本当に幼い雛だ。
そこで、彼女ははじめて気がつく。
(これは、夢だ)
時計は首を振って髪をかき乱す。長い髪が音を立てて広がった。逆立ったのだ。
肌が粟立ち、呼吸が苦しくなる。息が出来ない、と時計は魚のように何度も口を開閉した。
同時に、胸の時計が恐ろしく脈打ち始める。
(夢だ)
朝から今まで、胸の奥に収まったぜんまい時計の音を忘れていた。それなのに、今になって時計は急に存在を主張する。
かちりかちりと音がうるさく鳴り響き、今にも爆発してしまいそうだ。
(あたしの、夢だ。ここは研究所だ。あの、研究所だ)
早く目覚めろ、と時計は唇を噛み締める。乱れた髪を両手で掴み、それで顔を覆い隠す。何も見えないように。
……時計の足下に居るのは、時計自身である。幼い彼女は金属の枝の上に立ち、きょろきょろと周囲を眺めている。
瞳はいかにも美しく透き通り、羽根はまだ産毛のように小さい。その羽根と小さな手足が、楽しげにリズムを刻んでいる。
寝起きなのだろう。細い足でしっかりと、寝床である金属の枝を掴んだまま彼女は大きく伸びをする。薄い睫毛が小さく震えるところまでよく見えた。
やがて、足音が聞こえる。古ぼけた革の靴による定期的な音。時計の脈打つ音と、それはやがて同期する。
ああ。と宙に浮く時計はため息をついた。
真っ白な壁につけられた、真っ白な扉が開いたのだ。
(……夢なんて、鳥人は見ない。そんなの見るのは、人だけだ)
かちり、と扉は静かに動く。ただ白一色のそこに、黒い影が滲んだ。
(ベッドなんかで、寝たからだ。人みたいに眠ったから、だから夢なんて見たんだ)
だから目覚めろ、と時計は唇を噛み締める。
しかしその願いもむなしい。目の前の風景はますます鮮明になる。目を閉じても、風景が目に飛び込んでくる。
姿を見せたのは一人の男であった。
無口で無愛想で、何を考えているのか分からない顔をした初老の男。
彼は皺の寄った手で静かに時計を招く。
「……鳥、食事だ」
嗄れた声だった。隣の部屋に食事がある、と彼は感情のこもらない声でつぶやく。
(食事はみそ汁と白のご飯と、少しの漬物と。それに食事の間は無言で、喋っていいのは最後のお茶を飲んだ後だけで)
時計は男を睨みながら、いくども繰り替えされたその風景を思い浮かべる。
夢の中だというのに、その光景はやけにリアルだ。
(そして食事の後は少しの散歩と、部屋の掃除……全部、彼の決めたこと)
人とは決め事の好きな生き物だ、と時計は嘆息する。決め事が多いのは、家族の証だと初老の男は確かにそういった。
(家族じゃない……家族なんかじゃ無い)
「おいで……鳥」
男の声がかすかにやさしさを滲ませる。そうだ。名前を呼ぶときだけ、彼はいつも少しだけ優しい。
幼い時計は真っ白なワンピースを翻し、飼い主を見つけた子犬のような顔で駆け出して行くのだ。
(行かないで、あたし)
「所長さん!」
幼い鳥人の少女は、男の腕の中に飛び込み懐くような声をあげた。
(……お願い、行かないで)
「……おいで、私の娘」
宙に浮かぶ時計は、男の言葉をふさぐような悲鳴をあげた。