朝食の話
「最近、ちょっと嫌なことがあるの」
それは朝食の途中のこと。
時計はぼんやりと朝の食卓を眺めつつ、欠伸を噛み殺した。
「嫌な事?」
食卓には珍しく洋食が並んでいる。味噌汁と白いご飯を好む時計だが、広大は時折パンを食べたいと主張した。
幾度かの喧嘩と話し合いの結果、一週間に一度は洋食にしよう。と話がまとまったのである。
黄金色になるまで焼いた薄い食パンに黄色のオムレツ、トマトのサラダにジャガイモのスープ。それらの乗った食卓に朝日が降り注ぎ、色がいっそう鮮やかになる。
……確かに洋食も綺麗だな、と時計も最近思い始めてきた。
「最近心臓が時々とまるのよ」
時計はパンをむしる手を止めて、白い皿の上にパンくずを落とす。
「このまま死ぬのかなっておもう。もしかして爆発せずに死んじゃうのかも」
胸の奥が、定期的に脈を打っていた。普段は煩いほどだというのに、最近気づけば止まっていることがある。
脈は打っているのだが、時計の音だけが突然止まるのだ。所詮はぜんまい式。もしかすると壊れてしまったのか。
だとすれば、時計と連動してこの体も死んでしまうのではないか。爆発などせず、急に心音が止まってしまうのではないか。
しかし不思議なことに、恐怖は浅い。どくどくと脈打つ時のほうが、よほど恐怖を感じる。このまま止まってしまってもいいのかもしれない、などと思うことさえある。
「残念だね」
広大はちらり、と顔を上げた。さなぎのような目が、時計を見る。
「……君としては」
広大の台詞は時に冷たい。その声を受けて、時計は彼を軽く睨んだ。
「何よ」
「だって爆発して僕を巻き添えにしたいんでしょ? それが出来なくて残念だね。って言ったまでさ。ね、ジャムとって」
時計はちらり、とテーブルの上を眺め見て、黄色の瓶に手を伸ばす。
「話を聞いてよ」
その瓶を広大に手渡して、時計は食卓に肘をついた。
まだ羽根はぴくりとも動かない。しかし最近はその羽根を椅子の背もたれに引っかけて、華麗に着座する技術を身につけた。無論、誰が見てくれるわけでもないのだが。
「もし仮にあたしがすぐ死んだとして、広大さんが生き残ったとしたらどうする? あたしの死体を研究機関に渡す?」
「どうやって葬ろうか悩むかなあ」
広大は瓶を開け、中のペーストを器用にナイフの上へ乗せる。
そしてそれをたっぷりとパンに付け、彼はゆっくりと時間をかけ伸ばしはじめた。
パンは一面、黄色だ。それはタンポポの花に似ている。
「だって鳥人の埋葬法を僕は知らないからね」
「あたしが爆発をすれば埋葬なんてできないでしょ。体なんて残らないし、そもそも広大さんだって生き残らない。ただ、あたしがもし普通に死んでしまったら」
もし、ぜんまい時計の爆発よりも先に命が終わってしまったら。
「……林に放てばいいの」
時計はぼんやりと、窓の外を眺めた。
この家の庭は、やけに広い。広くて、そして自由だ。様々な植物が育っている。
まるで密林のようである。香りが濃いのだ。
鳥人は最期の場所を、森や林の中に定める。この庭の森でも、鳥人は死ねるだろう。
「鳥人はね、死んでもなお、宙を飛ぶの。そして木に落ちてくる」
鳥人は、体が死にかけても羽だけは少しだけ長く生きる。死にかけた体を運ぶように羽が動き、そして力尽きたように鳥人は死ぬのだった。
「昔、死んでいく仲間を見たわ。研究所を逃げ出してどこも良く当てがなくて」
時計はその時の光景を今でも夢に見る。
「高い木の枝に仲間が落ちてきたの。助けようとして、噛まれた」
「鳥人は群れないからね」
男なのか女なのか、分からない。よれよれになったその生き物は、ボロ着れのような服を着て宙から落ちてきたのである。
大きな枝振りの木に引っかかり、まるで首吊り死体のように揺れていた。
風が吹く度、ゆらりゆらりと揺れていた。
「だから腐るまで、見てた」
噛まれたあと、時計はその死体の真下で上を眺めて過ごしたのだ。
少しずつ仲間の死体は腐り、やがて果実が落ちるようにそれは時計の目の前に落下した。すでに命は無く、やがて大地に帰るのだ。鳥人の、見事な死に様である。
これが死ぬということであると納得した。
同時に、このような死に方を選べないであろう自分の運命を呪った。
「爆発をしなければ、あたしはこの家の中で、ベッドの中で、死ぬんだわ。まるで人間みたいに」
「そんなに嫌そうじゃないね」
「不思議とね」
広大はふと、手を止めた。口に運ぼうとしたパンを止めて、一瞬だけ物思いに耽る顔をする。
「……緩やかな自殺のようだね、時計」
パンを握る広大の腕は細い。良く見れば、全体的に線の細い男である。手元には散剤の入った薬袋がある。朝食の後、彼はこれを欠かさず飲むのだ。
甘い香りのする、不思議な薬だった。
「ちょ……っと、時計」
ペーストをたっぷり塗り込んだパンをようやく口に含んだ広大は、眉を寄せて口をぽかんと開く。
「これ、マスタードじゃないか」
「いやがらせよ」
舌を出して、時計はさっさと食卓の上を片付けた。
(……庭を歩こう)
と、時計は思う。
(木にも、登ろう)
高い木に登れば、空を飛べなくても鳥人らしく死ねるはず。
胸の奥に眠る時計が爆発を起こすより前に、この森で死ねるのならそれは幸福な事だろう。




