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タンポポの話

 目が見えないというのに、広大の足取りは軽い。

 まるで見えているかのように、彼は確実な足取りで時計の前に足を止めた。

「ねえ時計、花の名前を教えてあげるよ」

 その足元を見て、時計は眉を寄せる。

「広大さん、足」

 彼はさきほどまでアトリエに篭っていたのだろう。アトリエに入るとき、彼は必ず素足になる。すぐに足が粘土で汚れてしまうせいだ。

 その素足のまま、彼は庭に降り立った。

 緑がかった独特な粘土汚れの上に、土汚れが重なる。湿度の高い土は柔らかい。そのふかふかとした感触を楽しむように広大はその場で何度も足踏みをする。

「これは気持がいいね、時計」

 そして、ふいに頭を巡らせた。

「時計。たとえば……タンポポ」

 サナギのようにつぶれた目で、広大は庭を見渡す。見えてはいないのだろうが、彼は確実に花の群生のある辺りへと目を転じた。

「わかるかな。黄色の花で、中には白い綿毛が付いているものもあるはずだ」

 広大の頭が向く方角、そちらに黄色の花が揺れている。まるで黄色の絨毯のような、群生地である。

 近づいて覗き込めば、黄色だけではない。白い綿毛に変化したものもある。一つを根元から引き抜いて広大に渡すと、彼は静かに花の花弁を撫でた。

「こればノボロギク」

 それだけで彼には分るのだろう。彼の指は粘土で形を生み出す。食事も作る。こうして花を選別することもできる。

 しかしその手で同時に多くの命も奪ってきた。時計はそう考えて、一度だけ震える。

「残念。似てるけど別物だよ。雪の中でも枯れずに咲く。一年中咲いている花だね」

 広大は時計の震えに気付かない。ノボロギクの花を、彼はそっと庭に落とした。

「……似てるのにちがうんだ」

 時計は再び庭を歩き、似た花を探しだす。先ほどのものよりも綿毛が大きく、そして淡くて繊細だ。

 彼はまたその花に指を這わせて、そして小さく肯いた。

「正解。これがたんぽぽ、似てるけど違うんだ。鳥人と人間だって似てるけど違うだろう」

 広大はこともなげに言い、花を時計の手に託す。

 揺れただけで、その柔らかい綿毛は意志でもあるよう震えた。

「これに向かって息を吹いてみて」

 時計は指に挟んだそれをまじまじと見つめ、猜疑に満ちた瞳で広大を見る。

 しかし年長のこの男は時計の視線など気付くことなく笑顔だ。

 だから時計も諦めて、手の中にある白い固まりにそっと息を吹きかける。

 と。

「……散った」

 ひとかたまりであった綿毛が、時計の吹きかけた息でばらばらになった。そして一斉に、飛ぶ。まるで白い雪のように、ちらりちらりと宙を飛ぶのだ。

 それは風の流れに翻弄されて、あっという間に天や地へと消えていく。残ったのはただ時計の手の中にある細い茎だけだ。

「あの白い部分は種。風に乗って運ばれる。ちょうど君たちみたいにね」

 広大は額に浮かんだ汗を腕で拭い、その場に腰を下ろした。ズボンが土で汚れることなど、気にする様子もない。

 そして広大は地面に指で丸い円を描く。周囲に花弁も付ける。それは黄色のタンポポによく似ていた。

「タンポポはね。最初、この国独自の品種があったんだ。でもあるとき、他国から別の品種が持ち込まれた。その品種の種がこんなふうに風で国中に散って、気づくともともとの種族は淘汰された」

 恐ろしいほどに軽い種である。確かにこの種ならば風にどこまでも乗ることが出来るだろう。飛び方を忘れた時計は、憎々しげに、その茎を庭に投げ捨てる。

「なんで淘汰されたの?」

「持ち込まれた品種のほうが強かったからだよ。異国の地に難なく馴染んだ。そして元々あった国産の品種は繊細過ぎた」

 広大は手探りで地面を探る。そのうち、その指がタンポポに触れた。彼は慎重に花を抜くと、それを天へと差し向ける。

 そんな些細な風だけで、綿毛ははらりはらりと宙を舞った。

「……鳥人も、そんな感じで現れた」

「え?」

 元鳥狩りである広大が呟く鳥人の響きに、時計はいつまでも慣れない。しかし最近、その名を呼ぶ広大の口元がやや柔らかい事に気がついた。

「鳥人というのはね、もともとはこの国には生息しなかった生き物なんだ。ある人間が研究対象でこの国に持ちこんで」

「……逃げたの?」

「そうだ」

 鳥人の歴史を知るのは、初めてである。

 遙か昔、人と鳥人は共存したのだ……と、時計は聞いた事があった。

 やがて人間が鳥人を狩り始めたので、鳥人も人間を殺すようになった。今ではもう、殺し合う歴史しか記録に残らないのだと。

 もちろんただのおとぎ話だ。時計は微塵も信じていない。

「このタンポポのように君たち種族は強かった。けれど、僕達は淘汰されなかった」

「戦えるから?」

「そう」

 広大は力強く肯いて、やがて驚くほど優しい笑みを浮かべる。

「僕たち人間は君たち鳥人から見れば、弱々しい存在だ。でも、頭を使って考えることができる。複数人で戦うこともできる。勝つための努力もできる。人間が必死に努力をしているその頃、鳥人はその力を過信し過ぎたんだ」

 鳥人はけして群れない。空を飛び、長い爪を持つ鳥人に、恐い物など無かったのだ。

 そして鳥人は、人の力に圧倒された。

「そう考えると面白いだろう」

「でもあたしたちだって淘汰されなかったわ」

「そうだよ、だから僕は思ったんだ。互いに淘汰されず生き残った僕達は」

 広大がふ、とタンポポから手を離した。茎だけとなったそれは風に乗って庭の隅へと消えていく。

「……互いに共存できるのではないかって」

 広大はそして、ふと笑った。笑えばサナギのようにつぶれた目がかすかに隆起する。

 痛みなどありもしないような微笑みだ。その笑みから目を逸らし、時計は庭へと視線を転じる。

 綿のように可愛い……広大の言うところの種は、すでに空へと消えた後だった。

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