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庭の話

 ざくざくと、聞き慣れない音を広大は聞きつけた。

 柔らかい土の上、細い物が突き刺さるような音だ。広大は粘土を捏ねる手を休め、軽く息を止める。

 こうすると聴覚が鋭くなり、音をクリアに聞き取れる気がするのだ。もちろんただの気休めに過ぎない。根拠があるわけでもない。 

 しかし目が見えなくなってから、気がつけば癖のようになっている。

「……時計?」

 音は庭から聞こえてきた。壁に軽く手を当てて、広大はそっと廊下を進む。花の香りと土の香りと、そしてどこか湿気ったような空気が家の中には充満していた。

 彼女が現れたのは春の終わり。気がつけば春も終わって夏もまもなく。その短い間に家の空気もずいぶん変わった。

 広大は庭へ続く戸に辿り着き、その薄い硝子を軽く押した。

「時計、庭を歩いているの?」

「うん」

 声は庭から聞こえてくる。彼女は庭をただひたすら、歩いているらしい。

 目が潰れてからというもの、広大は庭仕事を一切放棄した。もともと庭いじりが苦手な広大にとっては渡りに船だ。

 そして庭は完全に忘れ去られた存在となる。しかし、植物たちは逞しい。

 季節の花が咲き、雨が降れば土の香りが立ち上がる。夏になれば木々に新緑が育ち、秋には色づき冬にはすっかり枯れ落ちる。

 そんな当たり前の事に気付いたのは、時計がこの家を訪れてからだった。

 時計は庭を真上から眺めることを好み、一日に3度も4度も庭の上を旋回していた。

「ずっと空ばかり飛んでいたから。地上の植物をじっくりみるのは久しぶり」

 飛び方を忘れてしまった少女は、やや気落ち気味に呟く。いつも広大に突っかかる、その強気な部分がすっかり削ぎ落ちた声だった。

「こうしてみると地上の植物のほうが色が鮮やかで……」

 時計が歌うよう言う。続いてざくざくと何かを踏み抜くような、音。それは彼女の長い足の爪が、大地にめり込んでいるのだ。と広大は気がついた。

 鳥人特有の爪は長く、歩くのにあまり適していない。その爪が一歩進むごとに柔らかい大地にめり込むのだろう。

 そしてその都度、彼女は足を高くあげて土にまみれた指先を抜いているのに違いない。

 時計自身の苦悩はさておき、緩やかな彼女の歩行音は優しい音楽のように広大の耳に馴染む。

「うん。やっぱり上から見るより近くで見る方が綺麗な気がする」

「生き残るのに必死だからね。地上の花は」

「この薄桃の花はなに?」

 時計は憔悴した声を隠すように、広大に向かって声をかけた。

「どんな花?」

「小さい花弁がいっぱい……上に向かって桃色が濃いの。花は小さくていっぱい集まってる」

「レンゲかな」

 じゃあ。と時計は何かを探るように言葉を止めて、庭を数歩歩いたようだ。

「次はこれ。本当に濃い桃色で花弁は5つ。これは……あれに似てるわ。春になると木にたくさん花が付くでしょう? すぐに散ってしまうけど。あの花に似てる」

「それは桜。似ているのなら、その濃い桃色はサクラソウだ」

「盛りも過ぎた感じだけど」

 もうそんな季節か。と広大は心の中で思う。目にも鮮やかなサクラソウが大地を覆って盛りが過ぎれば、まもなく梅雨だ。熱さに弱いサクラソウは、深い眠りに入る。

 眠るまでの間は、ぽってりと太った独特な花が庭を賑やかすのだ。

「同じ桜の名前が付く花なら、多分この庭のどこかにあると思うよ。それは木に咲く花でね、小さな白い可愛い花がまるで箒のように丸く固まって咲いてる」

 広大は庭に向かって手を伸ばした。そこに穏やかな日差しがある。咲き乱れる花を見ることはできないが、想像することはできた。

「ウワミズザクラっていってね。その花は、よくみれば花の中心から沢山の雄しべが出てるはずだ。だから遠目に見ると、箒みたいに見える」

「あった」

「夏になるともっといっぱい花が咲くよ。薄荷とかね。香りのきついのも、色が綺麗なのもいろいろだ。僕はもう手入れなんて出来ないから、時計が好きにいじるといいよ」

 笑いながらそう言う広大に、時計の足音が重なった。飛べないことが落ち着かないのだろう。

 やがて時計は、誰に言うでなく呟いた。

「嘘ついちゃったな」

「なに?」

「山音ちゃんに」

 ざくり、ざくりと足音が庭を巡る。庭はここだけではない。奥に行けば、もっと手入れを怠った、原始林のような小さな森がある。

 そこは木々が生い茂り、大地には幾筋もの根が張っているはずだ。

 しかし奥まで行く勇気はまだ無いのだろう。時計は同じ場所をぐるぐると周遊している。

「……一緒に飛ぼうって」

 時計の足音が止まった。

「言ったのに」

 泣いているのだろうか。と広大は思った。しかしそれを口にはしない。この鳥人の少女は、誰よりも自尊心が高かった。

 その言葉をかける代わりに、広大はわざと音を立てて戸を全開にする。そして、まるで飛ぶように庭へと降り立った。

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