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空を飛ぶ話

 強い風が広大の頬を打つ。

 息を思い切り吸いこんで、新鮮な空気で肺を満たせば鼻孔に不思議な香りが満ちた。

 春とも夏とも付かない香りだ。

「上空は……空気が澄んでるね」

 そこは、空である。

 上空に向かえば季節の変わり目は曖昧になるのかもしれない。

「綺麗な空気だ」

 ごうごうと鳴り響く風の音に負けぬよう、声を張り上げて広大は顎を少し持ち上げる。

 彼の肩に鋭い鉤爪が引っかかっていた。それは時計の足だ。彼女は広大の体を足で引っ掛け、宙を飛んでいるのである。

 広大の肩を足の爪で乱雑に掴んだまま、時計は羽根を大きく振るわせた。

「あの家の中に比べれば、どこでも澄んでるわよ」 

 激しい羽音の向こう側、時計の声がかすれて聞こえる。

 空を飛んでみたいといったのは広大だ。時計が広大のアトリエを覗いたように、広大もまた彼女の境界を越えてみようと思ったのである。

 嫌がるだろうと踏んだ広大だが、彼女は意外にも諒諾して空中散歩となった。

 とはいえ、足で掴まれ宙ぶらりんの広大は、空を飛んでいるというよりも鳥に運ばれる餌の類に似ている。

「随分高いね」

 目には見えないが高い場所にいるようだ。耳の奥がキン、と鳴って息が詰まる。

 広大は両の肩を時計に掴まれ、ぶらりとぶらさがったまま宙に浮かんでいる。

 足元の頼りなさはもちろんのこと、風が吹くたびに足がだらしなく揺れる感覚が新しい。

 そして顔を上げれば、光が目に飛び込んでくる。恐らく目の前には美しい青空が広がっているのだろう。雲の流れも、空を飛ぶ鳥の姿もあるはずだ。

 ここは、空中である。

 これまで感じたこともない浮遊感だ。飛ぶというのは、こういう事をいうのだろう。飛行機などに乗っていては感じることもできない、大気中のさまざまな香り、音、そして空気の乾き。

 喋るだけで喉の奥がかさかさと音をたてる。肺の中の空気が一新され唇が乾く。水分が少しずつ、この空中に離散していく。

 もし落とされれば広大の体は木の玩具のように、小さな破片となって大地に散らばるのではないか。そう思える。

「このまま落とされるかな、僕」

「落として殺してもいいけど」

 宙に在るのは慣れているのだろう。時計は平然と嘯いた。

「今日は広大さんが晩ご飯、つくるんでしょ。珍しく」

「そうだね。今日はキノコのオムレツって考えてた」

「それ昨日から楽しみだから」

 時計は緩やかに高度を落としていく。宙の彼女は驚くほど自由だ。

 人とそう変わらない肉体を持ちながらなぜ、これほど空中への馴染みがいいのか、空への恐怖をいかに取り払ったのか。広大は考えて苦笑する。

 あれほど殺してきた生き物だというのに、その精神について広大は何一つ理解していない。

 そして鳥人から離れた今でも、そんな事を考えてしまう自分が広大はおかしかった。

「時計は食欲を優先させるんだね」

「そうよ。だから落とさないであげる」

 とん、と広大の足が大地に触れて音をたてた。その瞬間、植物が大地から水分を吸い上げるように広大の体に水気が満ちる。

「人間は……植物なんだ」

 人間とは植物に近いのだろう。足は根、腕は葉。人とは、木に近い。

「なにいってるの、広大さん。さあ早く」

 大地の上で安堵の息をつく広大を、時計の羽根がせかすようにつついた。

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