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喫茶店の話

 外はすっかりと夏だった。

 そもそも広大の家は鬱蒼とした緑に囲まれ夏でも妙に涼しいので、時計は時折季節感を失うことがある。

 夕暮れの赤い日差しが大地に乱反射する。その上を、時計はスキップした。大きく広げた羽根が心地よさげに上下し、その後ろを広大がゆっくりと追いかけてくるのである。

 数十歩ほど進んだそこに、かわいらしい一軒の喫茶店があった。


「いらっしゃい!」

 重厚な木の扉を引くと、涼しい音と共にかわいらしい声が出迎えた。

 扉に付けられた木の実が心地よく鳴るのだ。その木の実は深い森の奥にある、古い木の頂上に実を結ぶ。

 これをまだ若いうちに収穫し、しっかり乾かせば中の種が鈴のような音を立てるのだ。

 それをいくつも重ねてぶら下げると、りんりんりんと涼しい音をたてる。

 もちろん、人が採ることなどできない実だ。落下した実では種が腐ってしまうので、これほど良い音を出すことができない。

 この実を採り、美しいベルに仕立てたのは、喫茶店のカウンターで微笑む少女だった。

「こんにちは」

「時計さんは紅茶でもいい? 広大先生はお茶ですね」

 青にも見える美しい羽根を動かして、少女は笑う。

「山音ちゃんは元気ねえ」

 時計はいつもの席に腰掛けてため息をついた。山音と言うこの少女はもちろん鳥人で、時計よりも少しだけ年下だろう。

 といっても鳥人の年齢は見た目より若く見えるので、実際は随分年上なのかもしれない。

 年を聞くのは失礼に当たるため、時計はいまだに聞けずにいた。

「はい。今日は特別天気が良いから」

 山音は笑顔を崩さず、てきぱきとやかんを火にかける。5席ほどしかない店内には、日差しがゆるゆると差し込んでいた。

 窓が大きいのだ。小さな庭には日差しよけになる木が植えられていて、強い光が差し込むことはない。

 木の葉に透けるように光が店内へと落ちてくる。木の机の上、葉の形をした影が揺れていた。

 山音は羽根を左右に動かしながら、忙しげにカウンター内を走り回る。肩で切りそろえられた黒い髪が、そのたびに葉擦れのような音を立てた。

「羽根の調子はいいの?」

「ええ、おかげさまで」

 山音は羽根を怪我し飛べなくなったところを、この店のオーナーに拾われたのだという。

 もう一年ほど前の話。しかし落下の恐怖から、いまだに飛べないと彼女は苦笑いをする。

「鈴の音がする実を、また採りに行きたいのだけど。まだ10センチも飛べなくて。昨日も飛ぶ練習をしようとして、坂から転げ落ちちゃった」

 動きやすいジーンズと、白いシャツを着て青いエプロンを腰にまいた彼女は、しっかり大地を踏みしめて歩く。

 背の羽根が動くのは、意図しているのではない。単に肩と連動しているだけだろう。

 羽根の怪我はもう治っている。しかし飛べない。その恐怖心を、時計は理解できない。

「だからお買い物も、お散歩もずっと歩くばかりで……最近は、歩くのが上手になったね。ってみんなから褒められるの」

「……差別はされない?」

「この辺りはね、田舎過ぎてそんなのはないんだよ」

 出された水を口に含みながら、広大は笑う。

「昔から鳥人が定住していた土地だしね。共存の期間は、都会より長いんだ」

 奥から、ひょっこりとひげ面の男が顔を出した……店の、マスターだ。

 見れば見るほど悪人面だ、と時計はいつも思う。が、彼は性根が優しいのかもしれない。優しくなければ、鳥人を拾って面倒を見ようなどと思わないだろう。

「この子は特に愛想がいいから、近くのお婆ちゃんに人気でね」

 はは、とマスターが笑って山音も笑う。そして山音は笑顔のまま、広大と時計の前にカップを二つ置いた。煙の向こうに見えるのは、間違いなく幸福の風景である。

 鳥人と人間は生活を共にできるのだ。自分もそうだ、と時計はふいに気づく。気づくと、急に胸の奥にあるぜいんまい時計が鼓動を早めたような気がする。

「鳥人は顔が整ってるだろう。それに物腰も柔らかいし、学習もする。その学習スピードは、人間よりも早いんだ」

 広大はカウンターに肘を置いたまま、言葉を続けた。彼がしゃべりだすと、マスターの顔が真剣なものになる。

「確かに。鳥人はとても賢い。しかしその群れない性格のせいで、数は激減しましたね」

 マスターは洗い物を途中で放り出してカウンターに首を突き出した。

 彼はかつて、鳥人の研究施設に在籍していたという。彼は純粋に、鳥人の生態を。そして鳥人の保護を願っていた。

 しかし研究施設とは名ばかりに鳥人の扱いがあまりにも酷く、逃げるように施設を去った彼はこの地で喫茶店を開いたのだ。

「減った鳥人はどこへ行ってしまったのでしょうね、先生」

「山へ戻っているのかもしれない。鳥人の中でも、山に籠もる個体と町へ出る個体に分かれているからね」

 マスターは店のことなど忘れて、広大に尊敬のまなざしを向ける。

 鳥狩りの権威である広大を尊敬するのは少し筋違いだろう……その言葉を熱い紅茶で流し込み、時計は横目で見る。

 しかし彼が惚れ込んでいるのは、広大の知識に対して。なのかもしれない。鳥狩りで生計をたてていた広大は、誰より鳥人に詳しい。

「特に青い羽を持つ種族は好奇心が強くて凶暴さも少ないから、山よりもむしろ街が向いてる」

「先生は相変わらず、研究熱心ですね」

 マスターがため息をついたのはその時。その言葉に、時計は首をかしげた。

「鳥人の?」

「そうだよ」

 マスターは笑い、そして奥の戸棚から数冊の本を取り出して見せる。

 布張りのひどく立派な本だった。金の縁取りで何やら文字が描かれている。時計は文字を知らないので、恐る恐るそれに指を伸ばしてなぞってみる。

 それは不思議な形をしている。

「……村口広大。先生の名前が書かれてるんだよ」

 マスターは厚い本を丁寧にめくる。中にはびっしりと、小さな文字が敷き詰められている。目を細め、それを見つめてもただ埃の香りがするばかりである。

 その埃の香りは、広大の家でかおるものと似ている気がした。

「鳥人の遺伝子とその生態。名著だ。この本を読めば、鳥人の全てが詰まっている」

「褒めすぎだよ、マスター。そんなもの、本当の研究者から見るとただのコラムだよ」

 広大は静かに否定する。

 よくよく考えれば、時計は広大がどのような仕事をしているのか知らない。かつては鳥狩りの名手であった彼が何をしているのか、一切興味もなかったのだ。

 彼は朝、食事をとったあとは延々とアトリエとやらに籠もっている。

 そして夕刻、憔悴した顔で台所に現れ、そして食事にする。眠るのはその後だ。そんな規則正しい生活パターン、それが時計から見る広大の全てである。

「謙遜しすぎでしょう、先生。研究所の本はそりゃあ立派ですよ。でも愛が無い。先生の著書には、鳥人への愛がある、深みがある……先生は鳥人の生態の研究をしているんだ。多くの著書もある。最近は、書いてないみたいだけれど……その知識が勿体ない」

 マスターは広大を軽く睨むように見つめ、そして時計にほほえみかけた。

 しかし時計は、つい。っと顔を横に向けた。広大は先ほどから表情も変えず、茶をすすっている。

 広大が本を書こうが、鳥人の研究をしようが時計には関係の無い話だった。

 どれほど口で立派な事を言ってみても、彼は10年前までは鳥人を乱獲し、その手にかけていた。そのことに違いないのだから。

「興味無いわ。ねえ山音ちゃん、紅茶のお代わり……」

「何といってもすごい人だよ先生は。鳥人保護のために、立ち上がった最初の人なんだから」

 時計は思わず動きを止めた。保護、とマスターの口は語ったのだ。隣の広大は平然とした顔をして、茶をすすっている。

 山音は、カウンターの奥で子守歌のような鼻歌を口ずさんでいた。どこで覚えたのか、それは人間の子守歌である。

「その保護のために、生態の研究とそれから……」

 かち、かち、かち、と時計の奥で音が聞こえる。その音と山音の子守歌のせいで、マスターの声がかすむ。聞こえない、と声に出そうとするが唇が震えて声が出なかった。

 気がつけばマスターは広大に向かって何かを話し掛け、時計は山音に紅茶のお代わりを注いでもらっているところである。

 窓から差し込む夕日に、かすかに紺が混じっていた。

「……そろそろ帰らないと、広大さん」

 声がようやく喉をふるわせた。同時に、ぜんまい時計の音も静まる。先ほどまでの動揺など無かったように、時計は立ち上がった。

「時計さん」 

 そんな時計の羽根に山音がそっと触れる。

 夕日が当たっているのか、彼女の顔に少しだけ影が落ちていた。

「私も、いつか時計さんのように、綺麗に飛びたい」

「……今度」

 山音の羽根は美しい。飛べば夕日にも映えるだろう。そう考えると、時計もふいに一緒に飛びたくなってしまう。

 本来は群れないはずの鳥人だ。夫婦でもない限り、共に飛ぶなどあり得ない。

「一緒に、飛ぼうよ」

 しかし山音の笑顔を見ていると、時計もつい苦笑してしまうのだ。

「飛び方おしえてあげるから」

 うん、と山音はまるで花が綻ぶような微笑みを見せた。



 喫茶店から家までは、ほんの数十歩だ。飛び石のように配列された白の石を踏み、猫のモチーフが描かれた門を抜けると細い道が見える。その道を渡れば、広大の家である。

 広大の家の前には大きな門がある。それはもともと赤色だったのかもしれない。

 鬱蒼と茂った木々に門はすっかり隠されていた。その隙間からかすかに家の屋根が見える。

 今にも崩れそうな屋敷だったが、広い。そして音が無い。香りもない。風だけが良く抜ける。

 門をくぐりしっかりと施錠すると、ついっと広大が時計の隣に立った。

「時計も友達ができた?」

「……別に友達なんて、どうせ死ぬんだし」

 ぜんまい時計の音は収まっている。今は苦しみもないが、この時計が暴れはじめると焦燥感に苛まれるのだ。

 胸を押さえ立ち止まる時計の背を、広大が軽く叩いた。

「どうせ死ぬなら、友達がいたほうがよくない?」

「だって友達なんて、これまでいたことがないもの。それより広大さん」

 声をかけると、彼は明るい声で立ち止まる。

「なんだい……ああ、風が涼しいね、時計」

 彼は外に出るときだけ、色の薄いサングラスをする。それを彼は外して、深呼吸をするように腕を大きく広げる。

 さなぎのように盛り上がった二つの瞳が時計を見た。

「どうしたの、時計」

「……本当なの、鳥人の保護を……」

 保護をすると、最初に声をあげたのは広大なのだろうか。時計は先に立つ広大を見つめて息を整える。

「保護をしようと、したなんて」

 広大はその顔から少しだけ、笑みを落とした。

「……殺すより、共存できるならした方がいいだろう?」

 ほら、鳥人が飛んでるよ、と広大は空を指す。彼は目が見えなくとも、鳥人の音を聞き分けるのだ。

 天を振り仰ぐと、なるほどそこに黒い羽根を背負った巨大な鳥人が夕日に向かって飛んで行くところである。

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