第八話
朝から十夜は学園の敷地内を奔走していた。
おそらく十夜よりも、結界を維持することに長けた九条のほうが負担が大きかったが、今朝になって外部からの攻撃が激化し、要となる複数の定点を同時に崩されそうになったため、手が回らなくなっていた。
週末がくれば、教職員が補強にあたってくれるという話だが、このままであと二日、やりすごせるかは微妙な線だ。
溝口が情報屋としての腕をふるい、学園の異変をいち早く知らせてくれるから、今のところなんとかなってはいるものの、依然として犯人の目処も目的も、わかってはいない。
――時折、自分がなぜこんな役割をかってでているのだろうと、冷めた目で見つめてしまうことがある。
九条は疲労の色が濃いし、秋は目にみえて機嫌が悪くなっている。
残る一人のメンバー、会計の音無 百々だけが、ハードワークには慣れていると言って、余裕しゃくしゃくといった態度をみせる。
(女は強いな)
常に生気と自信に満ちあふれている彼女ならば、十夜のように、自分の置かれた立場を疑問に思うこともないのだろう。
「わたしが決めて、好きでやってることだから」とでも言いそうだ。
自分に割り振られた定点の補強が終わる。
臨時のもので、応急処置ていどの効果しかなさない出来だ。
この場の修復にあたるのは、二度目だった。
二日前に、九条が焼きつけた魔よけの呪符が、黒く輝きを放っている。
力強いその波動に、十夜はいくばくかの力添えをしたようなものだ。
壊すのは得意だが、守るのは不得手だ。
それでも、十夜にしたって、自分で決めて好きでやっていることなのだった。
「さすがに疲れたな」
肩をまわして、上体を伸ばす。
秋と奏がいなければ、生徒会役員など引き受けはしなかった。
大多数の生徒など、どうなろうともかまいはしないが、彼らと過ごす自分の居場所を守るために、十夜はおのれにできることをこなしていくしかないのだ。
「次にいくか」
十夜は携帯を取り出し、溝口に電話で手の足りていない箇所を確認した。
若草の萌える季節に、さわやかさとはほど遠い厳しい目つきで、十夜は次の定点へと足を運んだ。
奏は早朝に届いたメールを読み返し、まるで流れに乗りきれていないおのれを感じていた。
(とりあえず、望月さんに伝えればいいんだよな)
立場の弱さをかみしめて、教室のドアをひらく。
(あれ)
いつもなら奏より先に登校しているはずの、三日の姿がこの日はなかった。
クラスの男子とてきとうに会話を楽しんでいると、始業時間ギリギリになって、彼女が教室へと駆け込んできた。
「めずらしいね」そう声をかけると、はにかんだ様子で、
「ねぼうしちゃった」と肩をすくめてみせる。
よほど急いで来たのだろう。息があがっているのに、すとんと下にたれた髪はちっとも乱れていなくて、彼女の髪はなにでできているのだろうかと、くだらないことを考える。
すぐに授業がはじまり、私語を交わす間などなかったため、彼女への伝言は後まわしとなった。
ようやく落ち着いて会話のもてる機会がおとずれたのは、昼食後のことだった。
学食でカツカレーセットを食べて教室に戻ると、三日がひとりで本を読んでいた。
「なに読んでるの」
「ん、盆栽図鑑」
席につこうとしていた奏の動きが、一瞬とまる。
「……望月さん、盆栽に興味があるの?」
「家で育てているのはひとつだけで、増やすつもりはないんだけど、この本はいろいろな家庭の盆栽が載っていておもしろいわ。こういうのって、手をかけている人のこだわりが如実にあらわれるの。一本の木に対して深く関わろうとする考え方って、とても不思議ね」
「それはオレも不思議だ。望月さんのおうちは、誰が世話をしてるの」
「もちろん私よ。ひとり暮らしだもの」
(え)
なぜ盆栽なのかと突っ込むべきか、それともひとり暮らしのほうに話題をそらすべきか、しばし悩んだ。
(地味な性格だと思ってはいたけど、いくらなんでも地味すぎやしないか?)
なんてモテなさそうな趣味なんだ、と思ったけれど、さすがに余計なお世話なので口をつぐんだ。
「そう。ええと、ひとり暮らししてるんだね。実家は遠いの?」
「いいえ、すぐ近くなの。ただ、見聞を広めようと思って家を出ただけ」
「よく許してくれたね」
世間知らずな印象をうける娘だ。家族はさぞかし心配だろう。
「最初は反対されたけど、説得したらわかってくれたみたい」
「へえ。ああそうだ、ところで」
「なあに?」
秋からの伝言を口にのぼらせようとして、奏はためらった。
(なんて言えばいいんだ?)
なんせメールには、
『彼女、八百坂神社の娘だった。魔よけの腕はプロ並み。うさんくさいところもあるけど、とりあえず監視まではしなくていいや。なにか気づいたことがあったら教えて。それと、生徒会に入る気はないか、きいてみて』
と、あったのだ。
(ああくそ、誘いたいなら自分でやればいいのに)
心の中で毒づいて、奏はしぶしぶ話しだした。
「その、副会長から望月さんに伝言をたのまれてるんだけど」
三日の表情がいくぶん硬くなる。
「ええと、いや、たいしたことじゃなくて、その、……生徒会に加わるつもりはないかって」
「生徒会ってどういうこと?」
「さあ。オレもよくわからないけど、気に入られたんじゃないかな、たぶん」
三日がもの問いたげな眼差しをする。
それはそうだろう。彼女の態度から察するに、あまり好意的にはとらえられていない様子だ。
(また余計なことしたんだろ、あの人)
目の前の少女に、いくばくかの同情を覚える。
「私、そんなつもりはないから」
「じゃあ、そう伝えておく。もし、しつこく誘われることがあっても、嫌ならきちんと断ったほうがいいよ。すこし強引なところのある人だから」
「うん。ありがとう。……それにしても、突然でびっくりしちゃった。どうして私なんだろう」
「さあ。それはオレにはさっぱり」
「副会長とは親しいの?」
「いや、そうでもない」
と、思いたい。と、胸中でつけ加える。
三日にその気がないことを、すぐにメールで伝えようかと思ったが、考えなおす。
早朝のメール以降、生徒会の誰からも連絡がない。
秋からの、返信をうながすメールすらきていない。
それはすなわち、彼らが忙しくしており、こちらにかまけるゆとりを失っているということだ。
(触らぬ神にたたりなし、と)
「それにしても、意外だったな。ひとり暮らしってたいへんそうだけど、すこし憧れるよ」
あたりさわりのない話題を口にして、いま学園を襲っているのであろう問題からは意識をそらした。
人にはそれぞれの領分というものがある。
一般の生徒としては、おとなしくしているのが最良の選択だというものだ。
放課後、三日は千佳とともに家庭科室にいた。
「今日はりんごのケーキを焼くからね」
京子がレシピの載ったプリントを手渡してくれる。
調理後の試食のほかに、それぞれひとつずつ持ち帰ることができるというから、三日は昨日世話になった体操部の人たちに、お礼をかねて持っていこうかと考えた。
芽衣が、りんごが好きだと言って、はしゃいでいる。
「アップルパイ、タルト、焼きりんご。りんごってほんとうにおいしいわよね」
「ですねー。りんごあめも、食べきれないくせについ買っちゃいます。かわいくて」
「わかるわ」
千佳と芽衣が意気投合して、りんごのすばらしさについて語る。
「生のりんごもいいんですよ。最初にりんごをウサギにみたてた人は、天才だと思います」
「誰かにむいてもらうのも嬉しいものよね」
「ああ、いいですね!」
「わたし、ジュースにして飲むのも好きなの」
「あー、わかります。おいしいです!」
「ジャムも、甘いのにどこかさっぱりしていて、好きだわ」
「ゼリーにしてもおいしいし」
「ヨーグルトとあえるのも好きよ」
「りんご、ヨーグルト、はちみつ。最強です」
「ああ、たのしみね、りんごケーキ」
盛り上がる二人に、京子があきれた様子で声をかける。
「好きなのはわかったから、食べたかったらほら、手を動かす」
「はーい」
そんな光景のただなかにいて、三日はじんわりと思った。
(平和だなあ)
二晩つづけてみた悪夢が、まさしく夢のようだった。
平穏な日常のなかで、人間らしさを学ぶ。それこそが、三日の目標であり、願いでもあった。
「やぶられた」
十夜がさけんだ。
九条はすぐさま手をひいて、自分たちの周囲に守護の結界をしいていく。
太い筆が地面をすべり、墨で円陣が描かれる。
「中に」
九条にうながされて、秋が陣の中へ入る。
「あーあ、とうとう壊れちゃったか。まあ、放課後でよかったかもね」
「しかしまだ、学内に残っている者も多いだろう」
学校を覆う柵をのりこえて、全長三メートルはありそうな甲殻類が、校内へ侵入しようとしていた。
「……カブトムシ」
九条がぽつりとつぶやく。
「ああうん、カブトムシとかクワガタとか、それっぽいよね。子どもが見たら喜びそう」
「泣くだろう」
十夜がつっこむ。
昆虫のように見えるのは外見だけで、色はまだらなオレンジだ。
巨大な毒々しい、動くオブジェといったところだろうか。
それが、進入をはたすと同時に、触角をふりまわして暴れだした。
口もとからは、黄色みがかった唾液がしたたりおち、垂れた先ではジュッという音とともに、白い煙がたちのぼる。
秋が首をまわして、億劫そうに名乗り出た。
「しかたないなあ。ぼくがやるよ」
そうして九条のはった陣から出ようとしたとき、目の前の昆虫の触角が、ばっさりと切り落とされた。
「おまたせ」
空をよぎった光の来た先を見ると、会計の音無 百々が駆けつけるところだった。
「いいところに来るなあ。ラッキー」
百々の姿をみとめて、秋が円陣の中央へ後退する。
「これ一匹?」
「ああ」
「わたしがやるわ」
そういって、百々は、触角を失って身悶える巨大な昆虫に相対した。
腰にさげたポーチから、ナイフを四本、抜いてかまえる。
昆虫の額からはえた短いツノが、百々のグラマラスな肢体にぴたりと向けられた。
百々の呼気のもれる音がした。
両手から放たれたナイフが、身をよじる昆虫の、顎下と腹に二本ずつ刺さる。
見ると、立ち位置をずらした百々の手には、ふたたび四本のナイフが握られていた。
気をはりつめたままの百々の見つめる先で、昆虫はどう、と倒れた。
唾液が散り、ところどころから煙があがる。
しばらく身構えたままだった百々は、やがて足元からとがった石を選び手に取ると、折った枝の先にくくりつけ、投擲の要領で昆虫の口内に突き刺した。
「動かないわね。死んだかしら」
「百々ちゃん、おつかれ」
秋がねぎらいの声をかける。
「あっけないわね。まだ来るかもよ」
「おそらくな」
結界が破壊されたのは、今いる柵に沿った一角だけだ。
後続が来るならばここだろうと予想はついたが、念のために溝口に電話をかけて、周囲の状況を確認する。
すると溝口は、十夜に意外な情報をもたらした。
「家庭科室で騒動がおこってるんだ。召喚のおこなわれた形跡がある。もしかすると、今回のトラブルの本命はそっちなんじゃないかな」
「なんだと」
「京子さん一人じゃ心配だな。そっちの手があいたら、様子を見にいってあげてよ」
じゃあね、といって、通話が切れる。
溝口とのやりとりを残りの三人に説明すると、百々が厳しいおももちで柵の向こうに目をやった。
「来たわね」
今、百々に倒され、地面に転がっているのと同種の昆虫が、全部で五匹あらわれる。
柵を越えようとする敵にナイフをあびせ、百々が言う。
「さすがにひとりじゃキツいわね。一之瀬さん、手伝って」
「了解」
秋につづいて、十夜も一歩をふみだした。
「俺もやろう。手早く済ませて、家庭科室を見にいくぞ」
柵を越え、一匹二匹と、昆虫が地面に転がる。
十夜は地面を強く蹴った。
騒動の糸を引く人物を、今日こそ特定してやると、心に決めた。




