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転ぶ三日月  作者: 瀬野とうこ
第一章 : 血染めの手を持つ生徒会長
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第七話

帰宅した三日は、この日も皐月の家のインターフォンを押した。

「今日もいないの?」

自宅でひとりになってみると、昨夜の悪夢が頭をよぎり、今日は一緒にいてもらおうと

思ったのだ。


帰ってきてほしいとメールをしようかとも考えたのだけれど、そこまでのこともないだろうと思いなおして、三日は大人しく自分の家に戻った。

「添い寝のあてがはずれちゃったな」

くちびるをとがらせる。


まさか二日もつづけて嫌な夢は見ないだろうけれど、なにせ自分にとっての天敵が出てくる夢なんて見たことがないから、気分がわるい。

三日は体をふるわせた。

「ああもうなんてこと。思い出すだけで血も凍るわ」


三日は心底ムカデがきらいだった。名前を口にするのもいとわしいほどだ。

たぶんこれは、母方の血が原因なのだと思う。

生まれながらにして、細胞に刻み込まれているのだろう。

ムカデは忌避の対象だ。あれだけは、この世に存在していてはならないものなのだ。


一瞬、今日くらいは実家に戻ろうかなとも考えた。

三日の実家は、タクシーでわずか十五分。白睡山のふもとにある。

行けばあたたかく出迎えてくれるのはわかっていたが、この年で夢が怖いと泣きつくのもどうかと思えて、あきらめた。

家を出るときに、夏休みまでは実家の門をくぐらないと決めていたこともある。


「きっと、お腹がすいているから悲観的になるんだ」

自分にそう言いきかせて、三日は夕飯のしたくをはじめた。






怒ればいいのか、嘆けばいいのか。――三日はふたたび、悪夢のただなかにいた。

昨夜と同じ、赤一色におおわれた大地で、ひとり立ちつくしている。


歩いたら、また出るだろうか。そう思うと、歩を進めるのにもためらいが生じる。

だが、昨夜の夢では、血の池も大量のムカデも、とうとつに現れたのではなかったか。

ならば、ここに立ち止まっていても、どこにむかって進もうとも同じではないかと、三日は足のむくまま歩きはじめた。

行けども行けども景色のまるで変わらない世界を歩いていると、自分の存在があいまいに感じられるようになってくる。


(ここはきっと、閉じた空間なんだわ)

停滞した空気をかきわけて、三日は思う。

どこにもつながってなどいない、閉鎖された場所では、歩くことに意味などない。

胸の内に変化を望む気持ちがある。

昨夜のような身の毛もよだつ展開はごめんだが、こうしてわけもなく足を動かしていると、どうしても考えてしまう。

(ずっとここに閉じ込められたままだったらどうしよう)


この状況が長びけば、その恐怖がいや増すことは確実だった。

――きっと、そのうち耐えきれなくなる。

三日は足をとめて、地面を見つめた。

(穴を掘ってみたらどうだろう)

道具はないが、粘膜にも似たこの大地は、やってみたら意外と簡単にやぶることができるかもしれない。


(ちがう、そうだ)

はっとする思いで、三日はくらく垂れこめる空を見上げた。

(ああ、どうして気がつかなかったんだろう)


夢にしては、ここはやけにリアルではないか。

三日は、かけていた眼鏡のフレームに指をそえた。

(もし、この夢が私のストレスに起因しているのだとしても、眼鏡をはずせば、見えてくるものがあるかもしれない)

夢占いというものがあるくらいだ。夢にはおのれが強く反映するのだろう。

だったら、それと向き合うためにも眼鏡は不要だ。


眼鏡をかけているときの三日は、おのれを偽っている。

(夢の中では、視界をせばめることに意味なんてないもの)

三日が眼鏡をはずそうとしたとき、大地がかしいで、彼女は血だまりにヒザをついた。

息をのんで、顔にはねた鮮血を制服の袖でぬぐう。


大地には血の池がひろがっていた。

昨晩とは異なり、三日が今ひたっている場所は、足首までの深さしかない。

三日は顔をしかめた。

(さっきまで、ちゃんと地面があったのに)


体をひたす池の血は、生ぬるくて気持ちがわるい。

すると、池の表面にぽつぽつと水泡があがってきて、水面が波打ち、手をのばせば届くような距離に、池の中から大グモが浮かび上がってきた。

地面を這うのと等しい動きで、こちらに、つーっと近寄ってくる。


(オオツチグモ?)

俗称をタランチュラというクモに似ている。

もし、本当のタランチュラなら、世間に出回るイメージとは異なり、さして害のある生物ではないはずだ。


だが、眼前のクモには不気味な赤い斑点もようがあった。

(毒があるかもしれない)

そう思いたって、三日は距離をとろうと後ずさる。


だが、クモが這うぶんを三日が後退していくと、池の深さはどんどんと増し、とうとう腿のあたりまで血につかるようになってしまった。

このままではらちがあかないと、三日は大きく息をつく。


(大丈夫。やれる)

すばやく眼鏡をはずし、右手の二本の指先に意識を集中して、四縦五横に早九字をきった。


「きえちゃえ」

三日の声とともに、パンと乾いた音がして、クモが消失した。

クモだけではなく、血の池も、大地も、空も、――ありとあらゆるものが消えうせた。


(え?)

三日は目をぱちくりとさせた。

大地も空もない真っ白な空間に、三日と、それからつい先日知りあったばかりの人物が二名、向かい合う形で立ちつくしていた。


「生徒会の……」

かすれた声が口からもれる。

対面する二人も、おどろきを隠せずにいるようだ。


「うわ、すごいな」

一之瀬 秋は、まじまじと三日を見つめた。

「こんなのはじめてだ。護身法だけで全部打ち破るなんて」


「望月 三日か」

ともにいた十夜が、一歩前に出る。

「まずは謝罪しよう。不快な思いをさせて、すまなかった」

「え、え?」


秋はゆるくかぶりをふると、常に口もとをおおっている笑みを消し、三日を見すえる。

「ぼくは謝らないよ。きみ、なにが目的で万理万里に入学したの」

「目的、ですか。あのう、その前に、謝罪ってどういう意味です?」


今は夜空の藍をうつした、秋の瞳がまたたく。

「気づいてないの? ぼくらをこうしておもてに引っ張り出しておいて?」

「すみません、さっぱりわけが……」

「あきれた」

秋がさげすむような目をむける。


「そうだな、昨日ぼくがきみの眼鏡をはずしたのを覚えているでしょう」

三日はうなずいた。

秋の藍色の瞳は深く澄んだ色をおびていて、眼鏡ごしにうつる茶色の瞳より、ずっときれいだと思ったのだ。

「ぼくが他人の夢の中に入るには、目と目を見交わして、マーキングをしておく必要があるんだ」

そのための行動だと、秋は告げた。

「それって」

三日は心底おどろいて、ならぶ二人の顔を見比べた。


「私がわざと悪夢を見せられたという意味ですか」

「ぼくは夢魔だからね。夢に入りこんで、その人と親しくなるのが仕事なのさ」

「昨日の、夢も?」

「ああ。夢の中では、人は正直だ。きみも、ぼくも」

三日の体が微かにふるえた。


「怒った?」

「……なんのためにですか」

「きみのことが知りたくて」

瞳にからかいの色をまぜた秋を押しのけて、十夜が口をはさんだ。

「お前が怪しかったからだ」


「あやしいですか」

「怪しいな」

「そうだね、すごく」

口々に言われて、そういえばと、ようやく三日は事の起こりを思い出した。


「私が、橘さんの手を見てしまったから……?」

「そうだ」

三日はうなだれた。

理不尽だと思った。そんなことが原因でムカデに囲まれたなんて、あんまりじゃないだろうか。

「さすがに、わりにあわないよ」

そうしておそらく、自分はいまだに疑われているのだ。


「私、あやしいものじゃありません」

三日の告白に、秋が目をすがめる。

「なにそれ、なにかの冗談?」

「いえ、ほんとうに。だいたい、あやしいってなんですか。なにをもってそんなことを言うんです」


「きみの目には、十夜の手はどんなふうに見えるの」

「血みどろでえぐいです。ご自分の血ではないように見えます。垂れた血液がどこに消えてしまうのか、気になります」

「夢の中でそう見えるのは正常なんだ」

そういう秋に、三日は視線で問いかけた。


「夢は真実をあらわすから。ここでは十夜の手は、誰が見ても、あるがままに見えるってこと。でも、きみは昼間の学校でも見たのでしょう」

「俺のこの手に気づく者は少ない。お前の目のよさは、尋常じゃないな」

秋がそれに付け加えた。

「護身法をきる技量もね」


三日は困った。

「ええと私、そんなにたいそうな者ではありません」

「だったらなんなの」


「九字法は、父に教わったんです。うち、そういうトラブルを持ち込まれることが多いから」

「お父さん?」

「はい。あの、八百坂神社やおさかじんじゃってご存知ですか。お山のふもとの」

「ああうん、知ってる」

「退魔で有名なところだな」


「私、そこの一人娘なんです」

三日はおのれの身の上を語った。

魔を払う力の強い家系に生まれたこと。

神が住むといわれる白睡山が近いことから、もののけに遭遇する機会が多かったこと。

神社をたずねてくる人たちの事情に巻き込まれる危険もあったこと。

二人はだまって耳をかたむけていた。


「たしか、白睡山を住まいにしているという神は、白蛇だったな」

「よくご存知ですね」

「有名な話だ」


けしてそんなことはないはずだが、十夜はさも当然だというように、言葉をついだ。

「禁忌の山を背負う娘か」

「背負っているつもりはありませんが。なので、よく見えるのは血筋かと」

「眼鏡は伊達か」

三日は眼鏡のフレームを指でたどった。

「この眼鏡は、祖父に作ってもらったんです。見えすぎる目を封じるために。そのほうが、平穏に暮らせますから」


秋がじっと三日を見つめたまま、口をひらいた。

「で、話を元にもどすけど、この学校に入学したわけは」

「両親が勧めたからです。たぶん、私に向いていると思ったんでしょう」

しぜんと三日の顔がしかめられる。

複雑な思いはあるが、中学まで、人間ばかりが集まるごく一般的な学校に在籍し、まったく馴染めずに過ごしたのだから、文句を言うことはできなかった。


「学校に結界がはりめぐらされているのは知っている?」

「はい、なんとなくは」

「最近、これを壊そうとしてやっきになっているヤツがいるんだよ。ぼくは、きみのしわざなのかとも思ったのだけど」


「ちがいます」

断固としてこたえた。

「もし、その疑いのせいでこんな目にあってるのだとしたら、おかどちがいです。してません」

「んー、そっか」

秋は肩をまわした。

「わかった。もういいよ」


――最近、貧乏くじをひいたと言っていたのは誰だったろう。

(ああ、三鷹くんね)

まさしく、そんな気分だった。


三日は、十夜の血染めの手を見つめた。

そういえば、流れたあの血がどこに消えるのか、教えてはもらえなかった。

「気になるか」

重々しい声で、十夜がきいた。


「あ、いえ。不思議だなと思っただけです。あと、不便じゃないのかな、とも。触れられたくない事柄なのだったら、すみません」

「いや、かまわない。お前には迷惑をかけたからな。質問があるなら答えよう」

「ええとでは、とめどなく流れてるその血はいったい……?」

「うわ、要領を得ない質問だなあ」そう、秋がひとりごちた。


十夜はかまわず、ゆっくりと語りだした。

「この血は、俺が吸い込んだあやかしどもの呪いなんだ」

「まあ、目に見える形で残った断末魔の悲鳴のようなもんだよね。十夜は、獏なんだよ」

「ばく?」

「そう、獏。動物園にいる、カバっぽいやつのことじゃないよ。知ってるでしょう? 夢を食べる獏」


そう説明されても、じつのところ、三日は動物園に行った経験がない。

お山に生きる動植物にはくわしいのだが、獏という名前の動物にはこころあたりがなかった。

ばく、ばく……、と幾度かつぶやき、目覚めたら調べてみようと心にとめる。

しかし、悪夢を食べてくれるという種族については耳にしたことがあったので、うなずいた。


「あれ、でも私、悪夢を食べてもらっていませんよ」

「悪夢を食べるというのは、人間の願望だ。俺はそんなことはしない」

「食べないのですか」

十夜は赤い左手をかかげてみせた。

「食べるのではなく、吸い込むんだ。手のひらから吸収する」


三日はもうしわけないと思いながらも口にした。

「……掃除機みたいに?」

上体をかがめて、秋がふきだす。

十夜は真面目な顔のまま、こたえた。

「まあそうだ。夢だけではなく、霊魂や妖怪、妄執などを吸い込むこともある。世の中に害をなすような者ほど、抵抗するからな。その恨みが、血になって残る」


笑いをおさめて秋が、補足した。

「あの学校、いろんなやつらが集まってるぶん、トラブルが多いんだよ。言ってもわからない悪い子は、ぼくがここに連れてきて、十夜が処分する。適材適所ってやつだね」

「処分ですか」

不穏な単語に、ひっかかりを覚える。


「命まではとらないよ。十夜は優秀なんだ。生きたままでも処分はできる。見てみたい?」

「あ、いえ。遠慮します」

三日はあわてて手をふった。

「よっぽど悪いことをしないかぎり、そんなお仕置きはされないから大丈夫だよ」


「ほかに質問は」

十夜が問う。

ききたいことはまだまだある気がするのに、どれも言葉にならなかった。

「いえ、ありません」

「そうか」


落ち着いた物腰の彼は、表情は乏しいものの、もしかしたら誠実な人かもしれないと、三日は思った。

さんざんな目にはあったけれど、十夜と言葉を交わしたせいか、さして怒りはわいてこなかった。

ただ、これだけは伝えておこうと、三日は硬い口調で言った。


「もう、私の夢に入り込むのは、これきりにしてくださいね」

「ああ」

「了解。必要がないかぎりは、しないよ」

秋が言った。


「そうだね、ぼくからも最後にひとつききたいことがあるんだ。きみはさ、学園生活をどんなふうに過ごしたいの」

質問の意図がつかみそこねたものの、三日は率直な気持ちを口にのぼらせた。

「私、今まであまり、人間とは親しくなかったんです。人間のことを知りたくて、――ともに歩む方法を探りたくて、入学しました。そうですね、それもできれば平穏に」


「ふうん」

秋のあいづちを合図に、彼らがその答えに満足したのかどうかわからないまま、夢はさめた。

画面が切り替わるような、あっけない幕切れだった。


しばし頭がおいつかず、自室のベッドで目を覚ました三日は、身じろぎせずに天井を見つめた。

挨拶もできなかったと思ったけれど、さようならと声をかけあうというのも、おかしなことかもしれなかった。


夜はとても静かで、いましがたの出来事と、こうして見上げる天井と、どちらが現実なのかが非常に曖昧な気がした。

ようやくの思いで寝返りをうち、時計を見ると、夜明けにはまだ間があった。

眠れないだろうとは思ったが、三日はそっと目をとじた。

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