第五話
予定通り双子がグラウンドにやってきた。
人気もまばらな放課後のことだ。
普段は運動部が使用するここも、今日は全校生徒の刈った草が山と積んである。
心がはずんでいるんだろう。灯の足取りは軽い。
「よう。いよいよかい」
京堂が声をかけると、双子はそろいの顔でふり向いた。
「京堂さん。おかげさまで」
「そっか。うまくいくといいな。ボスも、明日は元気な姿が見たいって言ってたしなあ」
灯の手には、炎が渦巻く水晶がにぎられている。
「下がっていたほうがいいです。危ないから」
「そうさせてもらうよ」
うなずいて、距離をとる。
見晴らしのいい壁際まで行き、京堂自身もポケットから小さな水晶を取り出した。
カチッとはじくと、身体が水晶の膜に覆われる。
双子はもう、こちらを見てはいなかった。
それどころか、この中でじっとしているかぎり、ひとから京堂の姿は視認できなくなる。
非常に便利な、愛用の品だ。
物騒な生徒の多い学園で、気ままな日々を送るのに、おおいに役立っている。
(さてと。どうなるのかね)
双子の起こす騒動を、見守る必要はあったが、巻き込まれたくはないのだ。
知らぬふりをつらぬくのにも、必要な処置だった。
見守るなか、風太が草の山に火をつけた。
双子はどちらも火炎の妖精だ。
精霊ほどの力はなくとも、火を操る程度のことはできる。
風太の意志により、火はぐんぐんと勢いを増していく。
そろそろ、校舎に居残る生徒の中には、炎に気のつく者も出てきたのではないだろうか。
乾いていない草や枝が、黒い煙を吐き出している。
炎が人の背丈を超えたころ、灯は九十九から譲り受けた水晶を炎の中へと投げ込んだ。
(来た)
火の勢いはうなぎのぼりとなり、赤みがかった炎は見る間に青白い光を放った。
双子が互いに目くばせをする。
「待ちかねたわ」
灯はそう言い放ち、単身、炎のただ中へと身を投じた。
見守る京堂の喉が鳴る。
(心臓に悪い光景だな)
高温の炎にあぶられて、灯の髪が天をついた。
両手をひろげ、炎を抱きしめるようなそぶりをみせる彼女の身体は、しかし焼かれることはない。
それどころか、見る間に血色が増し、瞳がらんらんと輝くのだ。
その彼女が、何事かをつぶやいた。
火炎が大気を揺るがし、その声は聞こえない。
灯が手招き、風太も炎に飛び込んだ。
二人が手を取り、微笑むのがわかった。
口をそろえ、天に向かって叫ぶ。
(わ!)
パン! と、学校の周辺で破裂音がひびく。
遠く、悲鳴のあがるのが耳にとどいた。
双子を包む炎が大きく揺らぐ。
揺れる焔から、二枚の羽根が伸び上がった。
かがめていた身を起こすように、炎が上空へと分離する。
激しい上昇気流が起こった。同時に、双子の身体をあぶっていた地上の炎が、四方へと飛び散った。
「ああ――」
感じ入ったのか、双子が天を仰いで吐息をもらす。
「やった。鳳凰だ」
彼らの頭上に舞うのは、一羽の大きな鳥だった。
全身を炎でかたどった、実体を持たない鳥。
鳳凰、またはフェニックスと呼ばれることもある巨鳥が、万理万里のグラウンドに出現していた。
(うまくいったな)
京堂は胸をなでおろす。
双子の目的は鳳凰を呼び出し、祝福を受けることだが、京堂は違う。
学内にエネルギー体を召喚することで、学園を守る結界を内側から破壊することを狙っていた。
(これでようやく明日の準備が整ったな)
明日は終業式だ。九十九が学校にやってくる。
視線の先では、双子が宙を舞う巨鳥に手を伸ばし、再び炎に包まれていた。
恍惚とした表情の灯を目にし、苦笑がもれる。
(あの子も完全復活だな。いいんだか悪いんだかねえ)
昨年の冬から春にかけて体調を崩す前、灯は誰の手にも余るほど活発な少女だった。
スポーツで発散する風太と異なり、灯は日常生活の節々で攻撃的な面をみせたため、当時の生徒会役員からは目をつけられていたはずだ。
(血色の悪い顔を見ているのも面白くはなかったけど、……まあ、お近づきにはなりたくないよな)
多少こそこそ動き回るのが得意だとはいえ、京堂は人の身だ。
文字通りの意味で火花を散らすような女子とは、あまり接点をもちたくない。
荒々しい足音が聞こえてきた。
(誰か来るな)
当然だ。火事と見紛い、逃げるものもいれば、消火のために駆けつけるものもいるだろう。
はたして現れたのは、現国の教師の斉藤だった。
グラウンドの惨状を見るなり、怒鳴り声をあげる。
「何をやっとる! このバカモンが!」
大きな体躯から、大音声が轟いた。
ビクッと身をすくませる双子に駆け寄り、斉藤は拳を振り上げると、頭上に羽根を広げる鳳凰を、えいやと殴りつけたのだ。
「うわあ!」
風太が頭をかかえて膝を折る。
続けて、ゲンコツが二人の頭頂部にも落とされた。
「いたっ」
「てっ!」
斉藤の拳を受け、鳳凰は消失した。
(すごいな)
生身であれば、自身が燃えても仕方のないところだ。
なのに、斉藤にはやけどを負った節もない。
(さすが先生)
人畜無害な人柄では、学園の教師は務まらない。
斉藤はたしか学園主任だったはずだ。そして彼は、入道だ。
図体が大きいだけではなく、力もある。
自慢の拳の風圧で、鳳凰も吹き飛ばしたというのだろうか。
感心する京堂をよそに、斉藤は目をむき怒鳴りつけた。
「学校で火遊びするなど、どういう了見だ!」
風太が涙目になって見上げる。
「……すみません」
「お前も!」
灯の背筋が、ぴっと伸びた。
「ごめんなさい。でも」
「でもじゃない。まずこの火を消せ」
「はぁい」
灯は足元でくすぶる炎を吸い込むようにして鎮火させた。
風太も駆け回り、あちこちに飛び火したぶんを消していく。
あたりには、視界をくらませるほどの激しい熱気が残っていた。
(怒ってるなぁ)
それでも、がみがみと叱りつけられる双子の表情は明るかった。
特に灯は、念願も叶ってひとしおだ。
鬱屈して過ごした半年間の反動か、いきいきと瞳を輝かせて、周囲に火花も散らしている。
グラウンドには草や燃えかすが散乱し、備品にもちらほらとダメージが見受けられる。
後始末は大変だろうが、まあなんとかなるだろう――と、京堂が楽観視していると、後始末の担当者が二名やってきた。
「何事だ」
けわしく顔をしかめて大股でやってきたのは生徒会長の橘 十夜だ。
後ろからうんざりした様子であたりを見回す副会長の姿もある。
浮かれ調子の灯に代わり、風太が肩をすくめて頭をさげた。
ざっと事情を説明する風太に、二人は厳しい眼差しを向ける。
「ふうん。活力を得るために鳳凰をね」
「迂闊だな。なぜそれを学内でやるんだ」
「えっと、それは……」
風太が所在なさげに視線をさまよわせる。
「ちょうどいいたきつけがあったからよ。じゃんじゃん燃やさないと、降りてきてくれないもの」
あっけらかんと灯が述べる。
「頭の悪い子はきらいだな。どう始末をつけるつもりだい」
「見過ごせる範囲を超えているな、まったく」
「きみたちが本調子だと、周囲が迷惑をこうむるんだよ、わかってる?」
「なによ。勝手なこと言うじゃない」
肩をそびやかす灯は、周囲の迷惑など知ったことかと言わんばかりだ。
「せっかくいい気分だっていうのに、水を差すことないじゃないの。文句があるなら、堂々と言いなさいよ」
「おいおい」
苦笑をにじませ、斉藤が割って入った。
「騒動をおこし、しっちゃかめっちゃかにしたのはお前らだろう。胸を張れるところじゃないぞ、怒られて当然だ」
「だって」
「だってじゃない。よし、まずは掃除だな。お前ら二人で、グラウンドを片づけろ。もちろん、飛び散った草だけじゃなく、燃えた網とか焦げたポールとかもきれいにするんだ」
「――わかったわ。きれいになればいいのね」
「待て」
不適な笑みを浮かべる灯を、十夜が制した。
「ろくなことを考えていなさそうだ。言っておくが、これ以上燃やすのは認めないぞ」
「えーっ」
「浅はかだなあ」
秋もあきれた声を出す。
風太が灯の背をたたいた。
「まあ、仕方ないね。いいじゃない掃除くらい」
「んー、まあそうね。いいね、どうでも」
「でしょ」
双子は納得した様子で、うなずきあった。
斉藤がどやしつける。
「わかったら、とっとと掃除道具を取ってこい」
「はーい」
きびすを返す双子に、十夜が声をかけた。
「仁木。わかってると思うが、次に羽目を外したら責任をとるだけじゃ済まさない。行動に移す前によく考えろよ」
べーっと灯が舌を出し、二人は背を向け駆けだした。
「困るなぁ」
うんざりした様子で秋が言う。
「甘いよ十夜。結局ああいう手合いは、経験しないとわからないんだ」
「かもな」
「先生も、まさか掃除だけで許してやるおつもりではないですよね」
「グラウンドより……」
十夜が上空に目をやった。斉藤もうなずく。
「ああ。見事に消し飛んじまったな」
春先に穴が開いたことなどかすんでしまうほど、見事に結界がはじけ飛んでしまった。
「こうまで無防備だと、いっそすがすがしいですね」
「しょうがない。夏休みの間に教員総出で張り直すさ。仁木にも最後まで手伝わせる。それでいいだろう」
「明日だけ、困りますね」
「終業式だもんね」
十夜と秋が渋面をつくる。
「やっぱり許しがたいな。あの二人、人柱にして臨時の結界を張ったらどうさ」
「おいおい、一之瀬」
「僕はわりと本気です。明日は来賓が多いですからね、きっとろくなことになりませんよ」
「まあな。職員会議で話し合うか」
口重く、十夜が言った。
「後援会の仕業でしょうか」
「どうだかな」
「間が悪すぎます。今日の明日では修復しきれないのは明白でしょう」
「後援会かぁ。いっそ終業式、取りやめにしちゃったらどうです?」
「そんなわけにいくか。……警戒は必要だが、そこはこっちに任せろ」
秋がうなった。
「長期休みくらい、すがすがしい気持ちで迎えさせてほしいもんですよね」
「ああ、まったくだ。お前らも気苦労が絶えないな。仁木の監督は任せていいぞ」
「わかりました。しっかり反省させてやってください、頼みます。……明日、何かあったら、とっちめてやる」
「ああ、そうだな」
十夜も同意を示した。
「では先生、明日は変更なしで、目だけ極力光らせておくことにします」
「おう。まあ一日だけだ。なんとでもなるだろうさ」
請け負う斉藤に会釈をし、十夜と秋は校舎へ戻った。
去り際、十夜がぼやくのが耳に届く。
「どいつもこいつも」
秋が笑った。
「災難だね。でもほら、髪の毛乾いたじゃないか」
十夜がプールに飛び込む原因を作った京堂は、水晶の中に潜んだまま、眉尻を下げた。
生徒会の面々にわずかばかりの同情を示しつつ、騒ぎに乗じて自分への小言は忘れてくれやしないかと、かすかな望みを抱くのだった。