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転ぶ三日月  作者: 瀬野とうこ
第五章 : 四分の一程度はきっと大団円
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第四話

三日の着替える気配がする。

ベッドのまわりを囲む白いカーテンの向こうで、布のこすれる音が漏れる。

スツールに腰掛けて、手持ち無沙汰に自分の鞄の中身を確認していた奏は、暗い面持ちをしていた。


(ああ、嫌なものを見つけちまったな)

鞄を置き、机の上にいくつか私物を並べていく。

小ぶりな密閉容器、メントール配合のクリーム、チューブのワサビに携帯用のレモン汁。

それと、チャーム効果のあるコフレのボトル。

奏は迷った。


マナーを守って許可を得るか、もしくは強引にことに及ぶか。

断られるリスクを考えると、不意をついて採取したほうがいいのだ。

どのように泣いてもらうかなど、さしたる問題ではない。

ターゲットとふたりきりで、相手はおそらく油断していて、――たかが一滴の涙を手に入れるのに、さほどの苦労は必要としないだろう。


それでも。

ハートのアクセントのついたアトマイザーを手に取る。

(これだけは使いたくないよな)

彼女にも見覚えはあるだろう。魔女の秘薬だ。

三日に向けてひとふきすれば、彼女は自分のいうことをきいて涙を流してくれるかもしれない。

とはいえ、その代償に人為的にクラスメイトの気持ちをもてあそぶことになるとなれば、気持ちがわるくて使用には踏み切れなかった。


(けど、こっちは使える)

キャップをはずすと、細く小さな針がのぞく。

痺れ薬だ。自分でも使用してみた。十分ほど、体の動きがにぶくなる。

結局、針で動きを制しているうちに、メントールを目元に塗って泣いてもらうのが一番確実かと思い定める。


針を露出した香水瓶と、涙をおさめる予定の容器、それにスースーするバームのみっつを手に、奏は待った。

カーテンがひらく。

「着替え終わった?」

カーテンをつかむ白い腕。その腕をつかみ、奏は針を突き刺した。


「たっ」

顔をしかめる三日を、奏はベッドに押し倒した。

「わ、わ。三鷹くん?」

黒いフレームの眼鏡が邪魔で取り除く。黒い瞳がこちらを見ていた。

「ごめん。すぐ済む」


クラスメイトの女子を組み敷くのは初めてだ。

ひとによっては心のはずむひとときだろうに、このずしりと思い胸のうちときたら、たまったものではない。

甘さのかけらもにじまない渋面をして、奏は指先でメントールのバームをすくってみせる。

三日がおののいた。


「ちょっと待って。それはなに」

「スースーするやつ。目元に塗らせて。じっとして」

お互い、嫌なことははやくすませるにかぎるだろう。

彼女の顔を押さえつけて迫る奏の胴に、不意に衝撃が襲った。

「え、や、こわい」

そんな声を聞いたと思った。


突き飛ばされたのだと気づいたのは、したたかに床に背中を打ちつけたあとだった。

「つ……」

「ああ! ごめん、三鷹くんごめん」

「いや」

これはなにかの天罰だろうか。息がつまるほど痛かった。


あせった様子で、体を起こした三日がのぞきこむ。

「ケガ、してない?」

「たぶん」

立ち上がり、ベッドに手をつくと、三日はわずかに体をそらせる。

(だよな)

すっかり警戒させてしまった。


「……動けるのか」

「どういう意味?」

奏はかぶりを振った。

「いや、いいんだ。すまなかった」

「いや、よくないよ。なんだったの」

腹を据え、ベッドに腰かけ、頭を下げる。


「頼みがあるんだ。どうしても涙が欲しい。無理に泣かせようとして悪かったよ」

「涙。――ああ」

思い当たるふしがあるのか、腑に落ちたような顔をみせる。

「人魚の涙が欲しいというのね。でもなぜ」


「呪いを解くのに有効だときいた。困ってるんだ。助けて欲しい」

「呪われてるの? 人に? 妖怪? それとも精霊?」

「吸血鬼」

ふっと三日の肩がおちる。

「鬼か」


「ああ。だから……」

言いつのろうとする奏を、三日は手をかざしてさえぎった。

「ごめん。まじないとかだったら、実家で祓えるものもあるんだけど、体に溶け込むたぐいのものは手に負えないんだ」

「涙で解毒ができると教えられたんだ。ええとその、世話になったことのある人に」

「人魚の体液はつよいっていうものね。でも違うんだよ。私の涙じゃだめだと思う」

「なぜ」

「簡単だよ。人魚じゃないから」

「は……」

意表をつかれた。


「うそだろ」

「うそなんてつかないよ。私の血に、そこまでの力はないと思う」

がくりと奏は肩をおとした。

「本当にか」

「ええ。役にたてなかったね。そうだ、夏に実家に戻ったら、私、親に相談してみようか」

「家の人に?」

「そういうの、私よりはくわしいよ。といっても、人魚の涙が手に入るわけじゃないけれど」

「そうか」

すっかり力が抜けてしまった。残ったのは自己嫌悪だけか。


(まいった)

「誤解したあげく、無理をしこうとして悪かったな。まあ、申し訳ないついでに、もし何かわかったら教えてくれるとうれしいけど」

「うん」

希望がみえていたぶん、落ち込みそうだ。

やるせなさにどっぷりとつかり、うなだれた。


すべての努力は無駄なのではないかとか、どうしたってあの女からは逃れられないのではないかといった、無力感にとらわれそうになる。

もちろん応援してくれる人たちだっているのだから、恩義にむくいるためにも自暴自棄になどなってはいられないのだが、……浮上するにはいささか時間がかかりそうだ。

(強くなりたいな)

茜に屈しないだけの、強い心を持ちたい。


――保健室に静寂が満ちた。

互いに、発する言葉を持たずにいたのだろうか。

だが、にわかに廊下が騒がしくなり、沈黙は外部から破られることとなった。

「いた!」

「望月さん、いたぁ!」


バンと音を立てて開いたドアから乱入してきたのは、さやかと原田だ。

なぜかさやかは青い顔をして、右手をタオルでぐるぐる巻きにしている。

ケガでもしたのかと、口をはさむ間もなかった。


「もう。本当になんなのよ、あの男!」

「ねえねえ、今ならいいよね。ちょうだいよ血液。ちょびっとでいいからさあ」

「痛いのよ、すっごく痛いの。あたしまたケガしちゃったんじゃないの?」

「ナイフなくなっちゃったから、家庭科室の包丁とか、あ、そうだ」

「ずっと気に入らなかったのよ。望月さん、男の趣味悪いんじゃない?」

「ソーイングセット持ってないかな。針とかハサミとかあるでしょ」

「やめておきなさい、あんな暴力的な男。結局、二階堂くんに勝る男なんていないのよ」

「あー、でも、針じゃ無理かな。さすがに注射器ってわけにはいかないしね」


「ねえ、あたし望月さんに会って確かめたいことがあったの。あたし、あんたのこと嫌いよね?」

「あ。やった、保健室、ハサミあったよ」

「あたし、二階堂くんが好きだったはずなのよ。なのに、それじゃあ望月さんへの気持ちはなんだったの?」

「さ、望月さん、腕を出して」

「薬のせいだって、頭ではわかってるの。でも、でもね。あたしあのときの気持ち、嘘だったって思いたくないのよ」

「右腕と左腕、どっちがいい?」

「だってあたし、本当にあなたが好きだったんだわ」


「ほら、はやく。大丈夫だよ、ここ、包帯も薬もいっぱいあるからね」

「あ、今は違うのよ。もちろん。あたし、二階堂くん好きだもの。ただね、終わったからって、ニセモノだったと決めつけなくたっていいでしょ」

「さ、さ。ずずいっと」

「望月さんはどう思う? あたし、嫌いなのか好きなのか、もうわかんなくなってきちゃって……」


(――うるさい)

奏は立ち上がった。

ふたりとも、自分の姿など視界にはいっていないのだろう。

三日につめより、原田などはハサミを握ってよだれをたらさんばかりにしている。

その原田が、三日の手をとり、ハサミをふりあげた。


「おい、やめろ!」

静止しようとした右手に、いつしかコフレを握っていた。

あ。と、思ったときには押していた。

魔女の秘薬だ。浴びた人間は周囲を魅了する。

奏はとっさに息をとめ、原田の腕を払いのけた。


「やばい。ああもう。望月さん、逃げよう」

極力顔をそむけ、三日の肩をつかむ。

「今の……」

「いいから、はやく」


「ええ。まだ血液もらってないよう」

いいつのる原田を押しのける。バランスをくずした彼の体を、横からさっと、さやかが支えた。

「わ、っと。ありがとう、八又さん」

「う、ううん。……うん?」

原田を見つめるさやかの顔が赤い。


(……うう)

奏の背を冷や汗が伝う。

「もしかして、それ。三鷹くん」

三日が眉根を寄せている。

あわてて三日を連れ、ベッドを離れて距離をおく。

「あ。待って、荷物」


「そうだよ待ってってば。まだ血をもらってないよ!」

手をとり、保健室から逃げ出そうとしたところ、三日と原田からストップがかかる。

追いすがろうとした原田のそでを、さやかが引いた。

「あ、ねえ待ってよ。あれ、あたし、誰が好きなの?」

「はい? 何言ってるの。知らないよ」

「あたし、やだ、あたし、困るわ」


この隙にと、三日と奏は服と荷物をかきあつめた。

「行こう」

駆け足で扉に向かうと、奏が手をかけるよりもわずかにはやく、扉が開いた。

「わっ」

危うくぶつかるところだった。

「おおっと。奏、あぶないよ」

のんきな声をあげ、袋を片手に一歩引いたのは、涼しげなおももちをした秋だった。


「ごめん、秋さん」

「どうした。慌てて」

「あ。それ、袋」

少し大きめの半透明の袋だ。

「うんこれ、十夜に言われたんだけど。いるんでしょう?」

三日がほっとした様子で声をかける。

「そうなんです。濡れた服を入れたくて。ありがとうございました」


「ああ。プールに落ちたんだって。三日ちゃん、災難だったねえ」

「橘さんに助けてもらったんです」

秋がくすりと笑った。

「そうらしいね。あいつもみすぼらしいことになってたから」

いや、のんびりと立ち話をしている場合ではないのだ。


「三日さん、血!」

「行かないで。逃がさないわよ、原田くん」

騒々しい二人に、秋が眉をひそめる。

「なんだい、あれは」

肩身がせまい。


「すみません。オレも良くなかったんだけど、いろいろあって」

「要点を明確に伝えようか。あいまいな言い方はきらいだよ」

「ええと、つまり逃げたいんです」

「そ。わかった、いいよ」

奏と三日を廊下に押し出し、秋が扉の前に立ちはだかる。


「副会長! どいてください」

「あきらめてよ、原田くん」

「……二人とも、保健室は騒ぐところではないんだよ。少し静かにしようか」

これほどこの背中が頼もしく見えるとは。高校に入学してからは初めてだ。


「ありがとう、秋さん」

秋が手を振り、追い払うしぐさをみせる。

三日もぺこりと頭を下げた。

「ありがとうございます」


荷物を抱え、奏と三日はその場を去った。

後ろで、秋の原田をおどしつける声が聞こえた。

「あまりしつこいと、味覚を奪うよ。美食家さん」

放課後の校内に、悲痛な少年の悲鳴があがった。


あいだがあいちゃってすみませんでした。

再会します。

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