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転ぶ三日月  作者: 瀬野とうこ
第四章 : 乙女の純情、ひきこもごも
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第八話

茜が百々といたって真面目にゴミ拾いをしていると、場違いなコウモリが頭上を旋回し、茂みの向こうへと飛んでいった。

誘うような態度に興味をひかれ、茜が百々のそでを引く。


「あたし、ちょっと見てくるわ」

百々も手を休め、茂みの先へと目を向ける。

「一緒に行きましょう」

「あら、なぜ?」

「好奇心って伝染するのよ」

二人分のゴミ袋をまとめて置き、その場を離れる。


「コウモリなんて初めて見たわ」百々が言う。

「ええ、とても不自然だったわね」

茜にとって、コウモリとは使い魔だ。

頭上を無言で通過するなど、通常考えられることではない。


茂みの先は、小さな空き地になっていた。

木々が重なりあい、川原からの視線は遮られるつくりになっている。


そこに一人の男がいた。

八重樫の体操服をまとった、くせ毛の男だ。

「あらん、あなた昨日の坊やじゃないの」


校門の外で因縁をつけてきた無礼者だ。

(なあんだ)

とたんに関心が薄れ、引き返したい思いにとらわれる。

(彼って、あたしの好みじゃないのよねえ)

緊張のにじむ顔を見れば、彼が自分を待ち伏せしていたのは明らかだ。

感情をおもてに出す率直さは嫌いじゃないが、食指が動くほどかわいげのある面構えというわけではない。


茜の鼻にシワが寄る。

「またあなたなの。悪いけど、あなたとわざわざ遊ぶ気分じゃないのよね」

「遊ぶつもりは俺にもない」

彼は気合い十分といった態度で、茜の言には耳をかさず、手にしたハーモニカを口へと当てた。

ひゅっと空気が流れ込む。


「は――」

全身がビリビリと震えた。一瞬、何が起こったのか把握できなかった。

男の奏でたハーモニカの旋律は、犬笛にも似た暴力的なまでに高音域の波動だ。

体内の全ての血液を泡立てるかのような、おぞましい音が鼓膜といわず肌といわず、四方八方から押し寄せ、茜をさいなんだ。


(気持ち悪い……っ)

たまらず地面に膝をつく。

人間の耳にはとらえられない音なのか、百々にはなんら陰りがないようで、

「え? やだちょっと、どうしたのよ」

ハーモニカを吹く男の口元と、うずくまる茜を交互に見やって、茜の背に手をかけた。


「ねえ、キミ、何をしたの。やめてよ、つらそうじゃない」

「そうとも」

不審をあらわにする百々の声にかぶって、木陰からもう一人、男に声をかける人物がいた。

「高槻くん、ストップだ。奏まで苦しんでる」

万理万里の体操服姿の少年を抱えて、転げ出てきたのは、かつて奏に目をつけたときに共にいた、友人だという少年の――二年ぶりに目にする少しだけ成長した姿だった。


「なんだと」

高槻と呼ばれた男は、険しい顔をしてハーモニカをおろした。

「そいつにも効いているのか」

「知らない。急に苦しみだしたんだ。高槻くん、きみ何をしたのさ」

柾木の問いに、高槻は眼差しを鋭くする。

「柾木、離れろ。三鷹といったか。おそらくそいつも吸血鬼だ」


「奏はちがう!」

青ざめる奏を支え、柾木はきっぱり否定した。

「奏は――」

「いいや。吸血鬼の持つ血小板にしか作用しない音のはずだ。身動きがとれなくなった時点で、証明されたようなものだ」


(やだもう、全然力がはいらないじゃないの。やっかいなものを持ち出さないでよ)

音はやんでいるはずなのに、体の内側で虫が這っているかのような不快感がやまない。

「う……」

うめくことも満足にできず、茜は身を震わせていた。


背中をさすっていた百々が、小声でたずねる。

「あいつ、敵なの? やっつけようか」

体操服の内側から、きらりと光を反射する小刀があらわれ、百々の手に握り込まれる。


「うん? どうした」

しかし不穏な空気を察知したのか、百々がナイフを放つよりもはやく、高槻は再びハーモニカを構えて吹いた。

身構えた茜の耳に、次はたしかな旋律が響く。

打って変わった低い音階の、ゆったりとしたメロディーだ。角笛の音を思わせる、にごった音が反響をくりかえす。


やがて高槻が吹き終えると、今度は柾木と百々の膝が折れ、二人の体は地面に倒れた。

高槻が、いつのまにやら装着していた耳栓を取り去り、口を開く。

「今のが、人間の動きを封じる音。つらくはないだろう? 五分もすれば動けるようになるから、おとなしくしてろよ」


柾木の支えをなくした奏が、体をふらつかせる。

それでも立っていられるということは、最初の音波の影響が、茜よりも薄いということなのだろう。

「高槻……」

かすれた声で話しかける気力もあるようだ。


「三鷹くん、まさか君が吸血鬼だなんて。理解者が得られたかと思ったのに、残念だよ」

高槻は奏に歩み寄ると、腕を取り手荒く引いて、地に伏す茜の上に重なるように突きとばした。

ぐう、と痛みをこらえる声がもれる。

「くそ」 奏の罵声が耳を打つ。


「吸血鬼に油断は禁物。いつ動けるようになるかわからないからな。手早くすませちまおう。溜血丸、ひとつしかないんだ。二人まとめて浴びてくれ」

そう告げた男の取り出した丸薬を目にして、茜はくらりとめまいをおこした。

(最悪ね)


紅くつややかな、ビー玉サイズの丸薬だ。

薄く硬い膜の内側に、煮詰めた人魚の血がつまっている。

膜が破れて血を浴びると、――人魚の血は猛毒だ。たいていの者はひとたまりもなく命を落とす。

茜のように純正の吸血鬼ならば深手を負うだけですむだろうが、いまだ人間でしかない奏の助かる見込みはない。


(冗談じゃない。少年はあたしのものよ)

手袋をはめた手で慎重に丸薬を扱う男に殺意を抱く。

早合点をして、自分の所有物に害をなそうなどと、許せる所行ではない。

「ふざけないで」

そう口にしたつもりが、喉に力がはいらず、声にならない。


男の手の中の丸薬に、視線が吸い寄せられる。

(なんて忌々しい)

油断していた己に腹が立つ。

どうにか逃れる手段はないかと思考を巡らせる茜の耳に、草をかき分ける音とさわやかな声音がひびいたのは、このときだった。






奏は見た。

新たに姿を現したのは、柾木のクラスメイトだという皐月だ。

日本人ばなれした明るい髪が陽にすけて、華やかな立ち姿はいっそ腹立たしいほどだ。

幼馴染みの三日までひっさげ、こちらの苦境とはうらはらに涼しげな登場だった。


(まあいい)

溜血丸とやらの威力のほどは知らないが、自分がピンチに立たされているというのは嫌でもわかる。

下敷きにした茜から、焦燥感が伝わってくるほどなのだ。

場を転じてくれるのならば、何者だろうとかまわなかった。


成り行きを見守る奏の眼前で、皐月がのんきな声を出す。

「こんなところでツノ突き合わせて、穏やかじゃない雰囲気だけど、なにやってんの?」

「二階堂」

高槻のおもてに動揺がはしる。


(知り合いか)

そういえば、どちらも柾木のクラスメイトだという話だ。

クラスメイトといえば、なぜか突然現れた三日も、目を丸くして奏を見ている。

「三鷹くん……」

つぶやく声が耳に届く。

(そういや、望月さんには情けないところばかり見られているな)

歩を進めようとする三日をおしとどめて、皐月が高槻に問いかけた。


「事情は知らないけどさ。見たところバタバタ人が倒れてて、お前すげえ悪いヤツみたいに見えるんだけど。どうなってんだ」

高槻が眉をひそめる。

「悪い。部外者は下がっててくれないか。後で説明するから、たのむよ」

「って、言われてもな」

「近づくと、危ないんだよ、お前ら」


皐月が首をひねる。

「危ないって、もしかしてそれか? お前の持ってる丸いの何だ」

口を閉ざす高槻に代わり、奏が口をはさんだ。

「吸血鬼退治のお道具らしいな。溜血丸とかいって、人魚の血を丸めたものだと説明してた。使い方までは知らないが、皆がびくついてるから危険な物なんじゃないか」


「人魚?」

皐月の後ろで、三日がいぶかしげな声をあげる。

「うわあ」と、皐月も目を瞬いた。

「人魚の血って危険物なんだろ。そうとう強い毒性があるってきいたことあるぜ。やばくねえかそれ」


「だから下がってろって言ってるだろ」

語気荒く高槻が言う。

「時間がないんだ。暴れ出す前に手を打たないと」


茜の体がびくんと跳ねた。

高槻がこちらに向き直り、手をふりかぶる。

溜血丸が、紅い光を照り返す。

(ああ――)


陽に映える朱色が、禍々しい物だと今ならわかる。

高槻の手によって丸薬が投げつけられ、破滅がふりそそぐイメージが如実にわくのに、硬直した体はびくとも動かず、ただその瞬間が訪れるのを待つだけだ。


「これで終わりだ」

高槻が告げた。

せめて、玉が飛んでくるのを見届けようと思った。

「だめよ!」

しかしなぜか視界をふさいだのはふりそそぐ金の海で、――地面に頭部を打ち付けた痛みの中で、奏はそれが茜の髪なのだと思い当たった。

立ち位置をひっくり返し、奏の上に茜が覆いかぶさっていた。


「ああもう! 行け、三日」

叫ぶ皐月の声もした。

金の髪の彼方から、放たれた紅い玉が垣間見えた。――同時に、急接近する黒い人影も。

混乱する意識が状況を把握するより先に、体が潰れるような衝撃と、大きな叫び声が耳をうった。

「二階堂!」


茜の体にうずもれて、激しい痛みに身をよじった。

「少年、命あっての物種よ」

茜の発言をうけて、ようやくまぶたをこじ開けた奏の視界にはいってきたのは、真っ赤な血に身を汚した、望月 三日の姿であった。

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