第七話
「皐月」
ゴミ袋とトングを手に持ち、声をかける。
「三日。大瓦さんもおはよう。一緒に拾う?」
おはようと言っても、もう十時だ。
週の最後の金曜日、午前中の二時間をつかって、川原で二高合同でゴミ拾いをおこなっている。
例年開催される行事らしく、両校共に三年生は不参加なのだが、見慣れない体操着が半数を占めるというのは、妙に落ち着かないものだ。
皐月に手招きをされて近づくと、同じサッカー部の面々だというのを紹介される。
「うわあ、女の子だ」
「えっと、はい。そうです、こんにちは」
なにやら熱い眼差しに迎えられて、腰がひけてしまう。
「万理万里の女の子! かわいいね、よろしくね」
「よろしくね」
「よろしくね!」
「よろしくお願いします?」
(何を?)
たたみこまれてあっけにとられる三日の背中を、皐月がたたく。
「気にするな。こいつらちょっと浮かれてるんだ」
「彼氏気取り!」
そのうちの一人が、皐月を指さし非難する。
「ばっか、そんなんじゃないだろ」
(うう、ちょっと怖いかも)
名前と顔が一致しない初対面の生徒に、とまどいを隠せない。
口ごもりがちな三日を補うように、千佳が気安く会話を交わす。
「サッカー部のみなさん、先月うちの学校来てたよね」
「そうそう、雨降られたときなー!」
「あのときも万理万里の女の子いっぱいいたっけ」
「あたしも見に行ったの。中止になっちゃって残念だったね」
「え。嬉しい! っていっても、おれ補欠だったけど」
「だよなー」
(千佳さすが!)
和気藹々と転がる会話に、尊敬の念がかきたてられる。
「あいつのプレイ見たかったんだけどな」
「ああ、俺も」
口々に示された先に、同じ学校の二年生がいる。
はしっこそうな印象の、短髪の男子生徒だ。
「誰?」
すかさず彼らは教えてくれる。
「サッカー部のエース」
「知らない? 仁木 風太。燃えちゃうほどすごいボールを蹴るんだって」
「いや、さすがにそれは眉唾だろ」
「いくらなんでもなあ。たしかに燃えるって聞くけど、でもなー」
半信半疑といった様子で、さざめきあう。
(ふうん)
いまいち想像がつかないけど、燃えてるボールでサッカーをするのは、少し楽しげだと思う。
(鬼火を蹴って遊ぶ子鬼たちみたい)
夏の夜、白睡山の山中を駆け回って遊ぶ子鬼の無邪気な笑顔を思い出して、ほほえましい気持ちになる。
(冬場に同じことをやると、火事になるからやめなさいって怒られるんだよね)
ボール遊びが楽しいのだというサッカー部員たちに、ほのかな親近感が芽生える。
(皐月の友達だったら、怖くないよね)
積極的に会話に参加はできないまでも、笑顔で相槌を打つくらい、できるようにはなりたいものだ。
「おまえら、ちっとは拾えよー」
通りざま、顔見知りらしい八重樫の生徒が声をかける。
すっかり手が止まっていたことに気づいて、千佳と顔を見合わせる。
「いけない、あたし実行委員だった」
「あっち、拾いに行こうか」
かたまっているのは、効率が悪い。
すると千佳は、何かを探すように視線をさまよわせる。
「どうしたの」
「ん、うん。ちょっと……あの人、いないかなって」
「うん?」
「涼一くん」
(ああ!)
頬を染める千佳につられて、なぜか三日まで赤くなった。
「そうだね、えっと、……あ、いた、あそこ」
川からだいぶ離れた木陰に、やる気のなさそうな姿を発見する。
「どこ? ああ、あれかあ。すごい、よく見えたね」
眼鏡をかけているから誤解されがちだが、視力はいいほうだ。
「行く?」
「う、うん」
「どこに?」
ひょいと眼前に皐月の顔があらわれる。
「ええとね、前にほら、亀の絵を描いていた人」
「ああ」
すぐに皐月はうなずいた。
「いるのか。どれ?」
「あの木の下」
「細身の?」
「そう」
涼一のたたずむ木陰まで、だいぶ距離はあるものの、皐月は三日より視力がいい。
「へえ。どんなやつ? 興味あるな。紹介して」
二人の背中を押して、皐月が背後の部活仲間に声をかける。
「オレたちあっち行くわ。じゃあな」
「はあ? ちょっとふざけんなよ、抜け駆け!」
「二階堂ずっるい」
「待ってよ、二人とも一緒にいようよー」
「知り合い見つけたんだ。悪いな」
不平の声を軽くあしらい、挨拶を交わして彼らと別れる。
「で、どんな人?」
「涼一くんはね、あのね……」
途端に瞳をかがやかせて、千佳が熱弁をふるう。
「涼しげで、透明感があって、時折見せる物憂げな瞳がたまらないの」
すっかり様相は恋する乙女だ。
「話し方とかはひかえめなんだけど、なんていうか、まとう空気が凛としててきれいで」
皐月がぱちぱちとまばたきをする。
「そう、なんだ」
「うん。それでね、なんといってもすばらしいのは彼の描く絵で。引き込まれるような絵を描くのよ。青くてきれいな、海の絵を」
そうして木陰であからさまにさぼっている涼一のところへ三人で顔を出すと、涼一は皐月に、「おや」と目をとめた。
「どうも」
声をかけた皐月も、不思議そうに目をすがめる。
見つめ合ってどうしたのかと注視していると、皐月が、「しずくさんと同じ匂いだ」とつぶやく。
「しずくさん?」
ややあって思い当たる。皐月の年上の彼女だ。
涼一の視線が三日に移り、彼の瞳にぬくもりが宿った。
「やあ、三日さん。彼は?」
「幼馴染みの皐月です。涼一さんの絵の話をしたら、会ってみたいって」
「へえ。僕は浦和 涼一。はじめまして」
皐月も名乗り、会釈を返す。
「浦和さんの描く海の絵には、引き込まれそうな魅力があるって、大瓦さんも言ってました」
頬を染める千佳に、涼一が礼を述べる。
三日は皐月の脇腹をつついた。
「なんで敬語?」
「なんとなく」
こっそりとささやきあう。
「涼一さん、今は人魚の絵を描いてるんだよね。完成したら教えてほしいな。楽しみなの」
「それなら昨日遅くに完成したよ」
千佳が目を丸くする。
「わあ、本当?」
涼一は穏やかな笑みをうかべて、うなずきかえした。
「夏休みに入るまでは、美術室に置いてあると思う。いつでも見においで」
「人魚……ですか」
物言いたげな目をして、皐月がきいた。
「そう、人魚。空想的だと笑うかい」
「いえ」
ぎこちなく、皐月が首を振る。
「オレも、見せてもらっても?」
「もちろんどうぞ。ああそうだ、三日さん、以前きみに絵を贈ると話していたっけ。終業式の日にでも取りにおいで。きみにあげるよ」
「えっ」
三日は目を丸くした。
「約束したから」
遠慮の言葉を口にするより先に、涼一が牽制する。
「ありがとう……」
(人魚の絵を、私に?)
心中は複雑だった。とまどいと、引け目と、疑問と喜びが渦を巻いた。
(涼一さんの描く人魚はどんなだろう)
見てみたいと、強く思う。
見ると皐月も、気むずかしげな顔をしている。
「もらったら、見せて」
「うん」
たまたまなのか、それとも、人魚の絵だからこそ自分に渡そうというのか、問うてみたい衝動がある。
(不思議なひと)
何でも見透かしてしまいそうな、褐色の瞳と目が合った。
「いいなあ!」
ふいに横から叫ばれて、はっとふり向く。
顔を真っ赤にした千佳が、ふるふると拳を握っていた。
「いいな、いいなあ」
「わ、ご、ごめん」
うるんだ眼差しを向けられて、とっさに謝る。
涼一は、ちらとも動じず、千佳に微笑みかけた。
「千佳さんは、人魚の絵よりも、珊瑚や熱帯魚を描いたもののほうが似合いそうだね」
「いる?」と、問いかけられて、大げさなまでに首を振る。
「いいの? 素敵、ありがとう!」
全身から、喜びがあふれてはじけそうだ。
と、ふいに、皐月が体をすくませ、耳をふさいだ。
「――皐月?」
満月の夜だったなら、全身の毛を逆立てそうな勢いで、目を見開き、固まっている。
額には汗がにじみ、呼吸も浅く速い。
「どうしたの。苦しい?」
そっと頬に触れてみると、しめった肌がひくりと震えた。眉間にぐっとシワが寄る。
「嫌な音がする」
「音?」
あたりを見回し、耳を澄ますが、聞こえない。
千佳と涼一にも視線で問いかけるが、思い当たる音は拾えていないようだ。
(皐月は耳がいいから)
聴かなくていいものまで聞こえてしまったのだろう。
両耳を覆う皐月の手の上から、三日も重ねて手でふさぐ。
(タオルがあればよかったな)
しばらくして、ため息とともに、皐月が全身から力を抜いた。
「おさまった?」
渋面をつくって彼方を睨み、顎をひく。
「ああ。ああ、まったく。制服のときなら耳栓あったんだけどな」
汗で額にはりついた髪をかきあげ、苛立ちもあらわに手櫛で乱す。
「ひどい目にあった」
ぼやく皐月に、千佳がとまどいの目を向ける。
「あの……?」
しかし皐月は音源の方に気がとられているらしく、千佳の疑問に答える様子はない。
「頭が痛かったの? 大丈夫?」
心配げに見つめる彼女に、代わりに三日が口を開いた。
「皐月、他の人より可聴音域が広いの。たまにキーンって高い音が聞こえちゃうみたい」
「ええ、かわいそう。それで耳栓」
「うん。でも、もう聞こえなくなったんだよね?」
問いかけると、曖昧にうなずき返す。
「そっか」
「どんな音だったのかな」
涼一が、動じた様子もなく問いかける。
皐月はようやく振り返り、考えながらぽつぽつと答えた。
「ぞっとするような音だったな。ピーっと鋭い、……笛のような?」
「ふうん、楽器の音。仮に違ったとしても、人為的に発した音なのだろうね」
「わざとだろうな。聞いたことのない、不自然な音だった。――迷惑な話」
皐月はそう言うと、持参していたゴミ袋を木の根元に置き、三日を見た。
「オレ、気になるから見てくるわ」
「どこだかわかるの」
「わかる。文句言ってやらないと、オレだけじゃなくて、きっと今のは動物とかも辛い」
「そう」
三日もトングとゴミ袋を重ねて置いた。
「私も行く。また鳴ったら嫌でしょう」
皐月はそれには返事をせず、肩をすくめて歩き出した。
「えっと、ミカ?」
「ごめん、ちょっと何の音だったのか見てくるね。千佳は涼一さんと待ってて」
「え!」
千佳が三日と涼一の顔を交互に見やり、眉根を下げる。
「三日さん、危なかったら戻ってくるんだよ」
千佳に手を振り、涼一に頭を下げて、三日は皐月の背中を追った。