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転ぶ三日月  作者: 瀬野とうこ
第四章 : 乙女の純情、ひきこもごも
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第五話

奏は決めた。

(保健室に行こう)


既に放課後だが、ここ数日悩まされている頭痛がいよいよひどくなってきた。

(薬をもらって、休んでから帰るか)

忌々しい学校とは一刻も早くおさらばしたい気持ちもあるが、現状でバスの振動に耐えるのは難しそうだ。


保健室前にさしかかると、扉が開いた。

肩の上で切りそろえられている黒髪が揺れる。

「あなたも保健室に用? 今、先生いないよ」

顔色のよくない二年の女子生徒だった。


(見たことあるな)

体が弱いので有名な、仁木 灯だ。

サッカー部のエースの双子の妹。


「そうなんですか。ありがとう。中で少し待ってみます」

互いに会釈をし、通り過ぎる。

(線が細いな)

通り過ぎざま、そう思った。


保健室に入ると、誰もおらず、奏は記帳に記載して勝手にベッドに横たわった。

大きく息をつき、目を閉じる。

(疲れた)

これといって何もしていないのに、精神だけが疲弊していく。


――気づけば、うたた寝をしていたようだ。

ベッドのきしむ感覚に、ぼんやりと目を覚ます。

(夕焼け……?)


視界に映るまばゆい黄金色を、目で追ったのは一瞬だった。

人種の異なる白い肌に、緑の瞳が輝いていた。

奏の意識が激しい警戒とともに明確となり、びくりと体が震え上がった。


「なん……」

白くて硬い保健室のベッドに、いつの間にか茜が乗り上げ、奏をのぞき込んでいた。

「おはよう、少年。お姫様のキスで目が覚めた?」

ぎょっとして口元をごしごしと手でこすると、茜はからかいの声をあげる。

「冗談よ。まだしてないわ。だめじゃない、そんなふうに無防備な寝顔をさらしてちゃ」


「そこ、どけよ」

恐怖にすくんだせいか、口の中が乾いていた。

「そんなのもちろん、おことわりよ」

茜がころころと笑う。

眉間にくちびるが落ちる。

「そんなに顔をしかめないの。シワになるわよ」


のしかかる体を押し返そうとするが、吸血鬼はびくともしない。

鬼と名のつくものは力持ちなのだと、初対面のときに当の茜が言っていた。

「どけって言ってるだろ」

「せっかく会えたのに?」

顔の両側に茜がヒジをついた。

金の髪がふりそそぎ、からめとる視線の強さに息がつまる。


「なぜ、ここに」

「保健の先生に会いに来たのよ。顔なじみだから」

(……くそ)

茜から逃げ回りながらも、別の吸血鬼の根城でうたた寝などした迂闊さに、舌打ちしたい気分になる。

「だったらもう行け。先生、いなかっただろ。日を改めたらいい」


「ええ、そうね。挨拶はまた今度にするわ」

肯定しながら、茜の指は奏の髪をすくってくるくる回した。

「予定が狂っちゃった。少し遊んでちょうだい」


側頭部から首をたどって、指がワイシャツのボタンにかかる。

「触るな」

「いやよ。せっかく二人になれたんですもの」

ひとつふたつと、上から順にはずれていく。

蹴り上げようした足を、茜の膝が踏んでとどめる。


「どけって、この馬鹿力!」

シャツをたくしあげられ、ベルトをはずすカチャカチャという音に、背筋に冷たい汗がつたう。

びくともしない両肩を、押しのけようと力をこめる。

なけなしの抵抗など意に介さない様子で、茜は余裕の笑顔をみせると、額からこめかみ、顎に向けてとしっとりとした触感のキスをおとした。


ぎゅっと目をつむって首を振る。

至近距離で茜の喉を鳴らす音がした。

「ここ、まだ痕が残ってるわね」

ひんやりとした指先が鎖骨をたどり、奏は肩をふるわせた。

見なくてもわかる。噛まれた痕だ。


「お前のせいだろ」

「ええ。もちろん、あたしのせいね」

茜の声がはずむ。

上体が覆いかぶさり、傷跡に彼女が顔をよせた。

ひくりと喉がひきつれる。

「……よせ」

恐怖がにじみ、声がかすれた。


熱くぬめる舌が、黒く変色した傷口に触れる。

腕に力がはいらなかった。全身に、彼女の体温を感じる。

「いやだ、よせ」

肩口に舌が這う。しめった音が耳を打つ。

唇が肌をはみ、時折当たる硬い歯の感触に、ぎくりと身をこわばらせる。

胸から腹、背中にも、素肌をさする手のひらの感触があった。

重石を乗せられたかのような両足が、痺れて痛みを訴えている。


「――おいしそう」

首に顔をうずめた茜が、低くつぶやいた。

目を見開いて固まる奏の耳に、くぐもった笑い声がひびく。

「おびえないで。大丈夫よ、まだ食べたりしない。あなた、まだ若すぎるもの」


(ふざけるな)

奏は歯がみした。

抵抗するだけの力もなく、おびえるばかりの自分に嫌気がさした。


傷口を舐め回した舌が、首を襲う。

「ぐ……」

にごったうめき声がもれた。

舌を押し込めるように、執拗に喉仏の下を探られる。

茜の腕に爪をたてた。圧迫感に、息ができない。

(ふざけんな、くそ。――苦しい)


もがいて体をそらす奏に、ようやく茜が舌をひっこめる。

奏の肩から力が抜けた。額に汗をかいていた。荒い息が口からもれる。

触れるだけのキスが頬におちる。


「かわいい。ねえ、奏の声が聞きたいわ」

名を呼ばれて、鼓動が跳ねた。

ベッドに体をなげだす奏の頭を、白く優しい手のひらがなでる。

目元にかかる髪をかきあげられて、深い緑の瞳と視線が合う。

「いい子ね、奏。楽しませてちょうだい」

残酷な熱をはらんだ、底冷えのする眼差しだった。


吐息が触れ、耳朶をはまれた。

くちびるの裏の粘膜が、耳の外周を刺激する。

内からこみあげる震えに、きつく下唇を噛んだ。


「だめよ、口開けて」

鼻をつままれて、ゆるんだくちびるの隙間に、指を二本ねじこまれる。

「噛んじゃだめよ、あたしの血を飲んだら、戻れなくなるわ」


「も、やめ……」

押し返そうとあがく舌を、細い指先が挟んでこする。

歯列の裏から、頬の裏、舌の根元を、唾液にまみれた茜の指がやんわりとうごめいた。


「う、あ」

ゆっくりと形状をなぞる舌先が、つぷんと耳に差し込まれた。

熱いぬめりが駆け抜け、水音が鼓膜を打った。

顔をゆがめた奏の口から、くぐもって乱れた声がもれる。

(いやだ。いやだ、離せ)


口内をねぶる側とは逆の手が、裸の脇腹をさする。

「力がはいってる。震えてるわ」

舌を引き抜かれると同時に、ささやかれた。

「うるさい、いい加減にしろ」

開かされたままの口で、形にならない言葉をつむぐ。


舌の裏側を爪で押し上げられ、にじむ快感に喉が鳴る。

音をたてて引き抜かれた指が、下唇をつまんでひっぱった。

「ここ、歯の痕がついてる。もう噛んじゃだめよ」


「黙れ、離せ、触んな」

うるむ視界で懸命に睨みつけた。

腰骨をさする手のひらがあたたかい。

手だけではない。のしかかる体のすべてがぬくもりを発している。


「暑いんだよ。離せもう」

あがる息でそれだけ言うと、茜は面白そうにくすくすと笑った。

「奏がひとりで熱くなってるんでしょう」


下着のへりに指がかかる。

「邪魔ね。脱がすわ、腰あげて」

「やめろ」

「あら、どうして?」


楽しげに、触れるか触れないかのぎりぎりのところを、指先がたどる。

重たく熱をもった欲望を誇示するように、薄い布地越しに、上下に指が行き来した。

「苦しそう。かわいそうだわ」

「うるさい……っ。もうやめろ、本当に。触んなって言ってんだろ」

茜がうっとりとした眼差しを向ける。

「涙目になって、かわいいのね。素敵よ」


「いいから、やめ――!」

強く与えられた刺激に、喉がつまった。

立ち上がった先端を、握り込んだ指が押した。

悲鳴にも似た声がもれた。

総毛立つ肌が、期待と恐怖に飲み込まれる。

ふるふると、力なく首を振った。


「たのむから、――いやだ」

みじめったらしく、懇願する声がきこえた。

(ああ、くそ)

撫でさすられて、思考が遠のく。

(オレの声か)


喉を鳴らすだけの、乾いた笑いがもれる。

抱いた殺意は、自分に向けてのものなのか、目の前の吸血鬼に向けてのものなのか、判別はつかなかった。


「ね。直接触ってほしいよね」

甘くしたたる声がうながす。

「いや、だ」

形ばかりの拒絶を示す。


そんなものになんの効力もないことなど承知していた。

茜の腕が背中に回り、体がわずかに持ち上がった。

奏が諦観に屈しようとしたとき、意識の外側から、突如破裂音がした。


はっとして、おもてを上げる。

パン、というその音は、手を打ち鳴らした音だった。

「あ……」

呆然としてベッドサイドを見上げる。


そこには、いささかあきれた面持ちの、保険医が立っていた。

「ちょっとー。はいはい、そこまででおしまいですよ」

「わ」

あわてて茜を押しのける。


「あーあ」と、残念そうに肩をすくめた彼女は、素直にその身を上からどけた。

「いいところだってわかるでしょう。どうして邪魔するのよ」

「ここは連れ込み宿ではありません」

保険医の六崎が胸を張る。


「まったく。おうちに帰ってからやりなさいよ」

「おうちに帰ってからまでするようなことじゃないわよ。ただの挨拶でしょ」

「んもう。それをいうなら、ここは学校の保健室です。ベッドの用途は別にあります」

「おかたいわね」

「教師ですから」


軽口を交わす二人を横目に、奏はあたふたと衣服を整えた。

火照る体に、いやな汗をかいている。

(あぶなかった)

半端にあおられた体は熱をもち、精神に負荷をかけるが、あいにくと奏にとってそれは慣れ親しんだ衝動だ。

やり過ごすのに慣れたとはまではいわないものの、今は頭を冷やしたかった。

(落ち着け)

力の入らない指先を駆使して、ボタンを順にとめていく。


「麦。ひさしぶりね」

フランクに接する茜に対し、六崎はいくぶん硬い表情でこたえる。

「ええ、本当に。あなたらしい無体だけれど、彼はうちの生徒ですからね。会ったら言おうと思ってたんだけど、卒業するまでは手を出しちゃだめよ」

「ええー」

「わかってるでしょう」


髪をかきあげてベッドから足をおろした奏を見やって、茜がふてくされてみせる。

「手なんて出してないわよ。未成年だものね」

「そう。だめよ」

「あらやだ、麦ったら本当に教師みたい」


そうして茜は、思わせぶりな視線を奏にくれた。

「卒業したら、ね。成人を迎えたら、楽しみにしていてね。少年」

口を閉ざす奏に微笑みかけると、茜はさっときびすを返した。


「じゃ、あたしもう行くわ。懐かしい顔にも会えたし、これから部活動の見学にも行かなくちゃならないのよね」

「あら、部活に入るの?」

「入らないわよ。見るだけ。ヒマだから全部見て回ってるの」

「生徒に迷惑かけちゃだめよ」


保健室のドアを開け、振り返らずに茜は軽く手をあげた。

「何もしないわよ。それに今日は家庭科部だもの、怖い保護者がついてるじゃないの」

そう言い残し、部屋を出た茜は後ろ手にドアを閉めた。


彼女の姿が視界から消え、奏はおおきく息をついた。

今更ながら、ひどく緊張していたことに気がついた。


「災難だったわね」

六崎が生暖かい視線を向ける。

奏はうつむき、頭をさげた。

「たすかりました。ありがとうございます」


どんな顔をしていいのか、わからない。

ひとりになりたかった。

誰かといるのはいたたまれない。ことにそれが、己の痴態を見咎めた相手となれば、なおさらだった。

今作唯一のぬるい濡れ場でした。

この場面のためだけに、R15タグつけたようなもんです。

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