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転ぶ三日月  作者: 瀬野とうこ
第四章 : 乙女の純情、ひきこもごも
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第四話

「ねえ、あなた。――望月 三日さん」

登校中、廊下で声をかけられた。

誰がいるのかは、とうに知っていた。

なぜなら二人とも、とても目立っていたから。


ふり向くと、色気と覇気を振りまく女生徒が並んでいる。

千葉 茜と、音無 百々だ。

「おはようございます」

返事をするかわりに、挨拶をかえす。


呼び止められるような心当たりはなかった。

茜とは同じクラスだが、彼女はいつも女生徒に囲まれていて、会話をする機会はなかったし、百々に至っては接触するのもこれが初めてだ。


(生徒会の、モテモテの人)

そんな印象しかない。

近頃小耳に挟んだところによると、この二人は非常に親密に見えるとかなんとか。

そんな噂話を茜の取り巻きが口にするほど、なるほど、肩を寄せ合い立っている。


二人とも、ウェーブのかかった髪を、百々はおろして、茜は結わえている。

黒と金の、人形みたいだ。

ただ、夜の闇が似合いそうな茜に対し、百々の瞳には、明るく活発な生命力が宿っていた。

その百々が言う。


「あら、あなたが『三日ちゃん』?」

「ええ。一年の望月です」

「八百坂神社の三日ちゃんね。皆が話題にしてたことがあるわ。わたし、二年の音無 百々。よろしくね」


「話題、ですか」

あまり良い予感はしない。

「生徒会の勧誘、ことわったんでしょう。一之瀬さんが誘うなんて、めったにないのよ。めずらしいから覚えてたの」

「そうなんですか。そういえば、そんなことがあった気がします。冗談だったと思うんだけど……」


百々が人差し指を立てて振る。

「一之瀬さん、たぶん本気よ。気が変わったらいつでもいらっしゃいね。女の子は歓迎しちゃうから」

「ありがとうございます」

いささか尻すぼみになりながら、礼を言う。


「ところで」

ここからが本題だとばかりに、茜が割って入った。

「望月さん、奏は元気かしら」

「知りません」

自信を持って即答できた。


「あら、知らないの?」

茜が不思議そうに首をかしげる。

「知りませんよ。まあ、このところ毎日ピリピリしているなとは思ったけど」

(むしろあなたにどうにかしてほしいくらいなんだけどな)


「仲、いいんじゃないの?」

「わりとよく喋る人ではあります」

「ふうん」

自分からきいたわりに、さして興味もない様子で聞き流す。


「あの子、ちっとも寄ってきてくれないの。最近、ろくに顔も見てないかなあと思って」

(そりゃあ、あからさまに避けられてるものね)

「まあ、離れていても、どこにいるのかとかはだいたいわかるんだけどね」

「……そうですか」


ふふ、と茜は顔をほころばせる。

「血が呼び合うのよ」

頬を染めるさまはまるで恋する乙女のようだが、眼差しは捕食者のものだ。

目をつけられ、手綱まで握られたクラスメイトを気の毒に思い、幾分気分も重くなった。


そこに百々が困り顔で入ってくる。

「ちょっと、ダメよ。奏くんは大事な生徒会のマスコットなんだから。あんまりいじめないであげてね」

「あたしのなのにぃ」

茜がくちびるを尖らせる。

「だったらなおさら、きちんと合意をとりつけなくちゃ」


「でも、でもね」

茜がそわそわと体を揺らす。

「あの子、嫌がる顔が最高なんだもの」


ぱん、と百々が手をたたく。

「まあ。わかるわ」

「でしょう」

「同じこと、一之瀬さんも言ってた!」


はじけるように笑う二人を前にして、三日は思った。

(もう、行っていいかな。私)

そして少しだけ、奏に親切にしてやろうかと思うのだ。


笑いをおさめた茜が言う。

「で、そうそう。それでね、望月さん。あなた家庭科部だってきいたんだけど」

「そうですが」

「あたし、見学にいきたいのよね。今日の放課後いいかしら」

「え?」

「いろいろな部活動を見学してるの。家庭科部も見たいわ」


意外だったが、拒絶はできない。

「そうですね、はい。見学だったらいつでも歓迎するって、部長が以前言っていました」

「そ。嬉しいわ。家庭科室でやっているんでしょう。放課後行くわね」

「わかりました」


(……大丈夫かなあ)

千佳だけでも逃がしたほうがいいのではないかと考えたが、そういえば今日は実行委員の仕事があるから欠席すると話していたのを思い出し、ほっと胸をなでおろす。

気詰まりな放課後になりそうだった。






三日と話して、茜は思い立った。

(そういえば、まだ挨拶に行ってなかったわね)


この学園は面白い。

けして短くはない年月を生きてきた茜の、馴染みの顔が何人もいるのだ。

今日は挨拶まわりの日にしようと考え、昼休みに向かったのは、やけに清廉な空気のただよう美術室だった。


「こんにちは」

開きっぱなしのドアをくぐる。

看板やキャンバスの並ぶ室内に、涼一が絵筆を手にして腰かけている。

「茜さんか。久しぶりだね」


さらりとした印象の、色の白い少年だった。

「変わらないのね」

変わりばえしないのはお互いさまだ。

だが、めまぐるしく変化するこの世界で、昔の面影を宿す存在と再会するというのは、悪くないものだった。


「元気そうでなによりだわ」

「あなたも」

とはいえ、彼の洋装を目にするのは初めてだ。


「制服、意外と似合うのね」

「茜さんは、よく高校生に成りすまそうなんて考えたね。仮装のようだ」

「ひどいわ。嫌味?」

「まさか。純然たる感想だよ」

「あたし、けっこう十代で通用するのよ」

「故郷では、でしょう。ここは日本だ。大学ならまだしも、高校だと目立つだろうに」


そうはいうが、彼のように馴染んでいるほうがおかしいのだ。

透明感のある相貌は、冷たさと裏表だ。


「お互い、思いも寄らないところで居合わせるものね」

涼一が人間のふりをして学校に通うなど、当人ですら一顧だにしたことがなかったのではなかろうか。

茜は気の向くままに様々な場所に顔を突っ込むが、彼は非常に閉鎖的な性質をしている。


「驚いたのよ。まさかと思った」

しかし、学内を探り、動機にたどり着いたとき、納得もした。

閉鎖的だということは、手の内のものには深い情を抱くということだ。


「――あの子なのね」

涼一の眼差しが厳しさを増す。

「茜さん」


背筋が寒くなる。茜は手を振った。

友好的な間柄ではないが、敵対したくはない相手だ。

「やあね、そんなに警戒しないでよ。彼女に手を出すつもりはないわ」


「茜さんは、なぜここに?」

「楽しそうだったのよ」

いつだって、茜は刺激に飢えている。


「最初は、子飼いの少年の顔を見たらすぐに立ち去るつもりだったの」

(奏はまだ、食べちゃうには早いからね)

「なのに彼ったら、あたしに会っても平気な顔で。素性のはっきりしない少女といるんだもの。何事かと思うじゃない」

「それが、三日だった?」

涼一は、情を感じさせない射貫くような瞳を向ける。


「ええ。あの少女のせいで彼が人間社会に踏みとどまっていられるのかと思ったのだけど、どうやら違ったみたい。この学校には、お節介焼きがたくさんいるようね」

「前に気の毒な若者がいるという話は耳にしていたんだ。それが茜さんの犬だとは思わなかったけど、――僕としては、とっととそいつを連れて、消えてほしいものだがね」


よほど彼女が大事なのだろう。

「約束するわ。昔のよしみだもの、望月さんに危害は加えない。今日は、それを伝えに来たのよ」

なんでもないことのように、涼一がうなずく。

「当然だ」


筋を通しに来たものの、実際のところ彼女に危害を加えるのは、茜にとっては難しい。

(奏を静めるなんて、なんて娘かと思ったけど)

茜の毒が効かない娘に興味を持ち、調べた先には涼一がいた。

「まあ、ああまで不安定な娘なら、あなたくらいの後ろ盾は必要よね」


不安定な存在を見ているのは、大好きだ。

思わず口元をゆるめる茜に、涼一は冷たく言い放つ。

「茜さんの自制心に期待しているよ」

剣呑な声だった。


「過保護ねえ」

大切にしている小鳥を、構い過ぎて殺すタイプだ。

(あらいやだ。望月さんにちょっぴり同情しちゃったじゃないの)

彼女を守る盾は、やがて足枷にもなるだろう。

「ほどほどにしなさいよ。過干渉は嫌われるんだから」


憎たらしいことに、茜のささやかなアドバイスを、涼一は驚きもあらわに受け止めた。

「茜さんの口からそんな言葉が聞けるとはね。あなたも成長したのだろうか。いや、そっくりそのままお返しするよ」

「かわいくないわ」

「あなたにかわいいと思われたら身の破滅だよ」

「んもう!」


気を取り直そうと、せきばらいをひとつした。

「……ところで、さっきから気になっていたのだけど、あなた絵なんて描くの」

涼一が肩をすくめる。

「趣味でね。僕も他にすることがないんだ」

「見せて」


ひょいと回り込み、キャンバスをのぞきこむ。

(あらん)

「上手いじゃない」

それはもう、意外なほどだ。

「よく言われる」

鼻持ちならない人物だが、嘘はつかない。


海辺に座る人魚の絵。

(歪んでるわ)


茜は描かれた人魚を指さした。

「これ、あの子?」

髪の長い、警戒心の乏しい印象の人魚だった。


「あなたにはそう見えるのかな」

薄ら寒い笑顔で、涼一が否定する。

「そうね、望月さんより大人びてるわ」

「それに、三日より美人でしょう」

(まあ遠慮がないこと)


こちらに背を向けた人魚が、ふり向いた構図だ。

人魚の顔には喜びがあふれ、視線の先に、彼女の名を呼ぶ人物の存在を連想させる。

瑞々しく、幻想的な一枚だった。


「きれいね」

「本人はもっと美人だ」

なぜか得意げに、涼一が目を伏せる。

「大切な人なのね」

きくまでもないことだ。絵を見ればわかる。


(ああ、だけど)

胸の奥が、ひんやりするのだ。

口の中で、つぶやいた。

「美しすぎて、これは儚い夢のよう」

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