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転ぶ三日月  作者: 瀬野とうこ
第四章 : 乙女の純情、ひきこもごも
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第三話

「天保の改革、享保の改革。……保ってなんだろう」

寛政の改革だけ、保の字がつかない。

「歴史は謎だわ」


教科書をかかえてソファに沈む三日に、キッチンから声がかかる。

「まだやってんの? だらだら見てても頭に入らないんじゃないのか」

今日の皐月は、デミグラスソース作りに意欲をもやしている。


三日は鼻をくんくんさせた。

「おなかすいた」

「オレも!」

じゅーっとハンバーグの焼ける音が響く。

(ごはんー、ごはんー)


期待に胸を高鳴らせていると、場違いな電子音が耳をついた。

「ええ、今時分に誰だろう」

めったに鳴らないインターフォンに、重い腰をあげる。

「母ちゃんかも?」

皐月がキッチンから首を出して言った。

それはありうる話だった。


ところが見やった先のカメラ映像には、玄関先にたたずむ千佳が映っていたのだ。

「あらら、なんで?」

初の来訪に、三日はとまどう。


「んー、誰?」

「友達」

「へえ、珍しいな」

そう声をかけて、皐月は再びキッチンにこもる。


三日は小走りに玄関に向かい、鍵を開けた。

「はーい、おまたせ」

「急にごめんね」

眉根を下げた千佳が現れる。


「うん、驚いた。どうしたの?」

学校の知り合いが家に来るなんて、初めてだ。

「うん、ちょっと、聞いてほしいことがあって。電話でもよかったんだけど、ミカ携帯持ってないし、家の番号は知らないし……」

申し訳なさそうに視線をさまよわせる。


「だから来ちゃった。えっと、時間ある?」

「うん」

とは言ったものの、どうしようかと三日は頭を悩ませた。

(皐月のごはん……)


家にあがってもらったほうがいいのだろうか。

それとも、もうすぐできあがる食事に未練はあるが、千佳をつれてどこかに出たほうがいいのだろうか。

「あー、そうだね、じゃあ」

(どうしよう)


ためらう三日の背中に、声がかかる。

「三日-? あがってもらえば?」

びくんと肩がはねた。

「わ」

「え? あ、きゃあ」

千佳が小さな悲鳴をあげる。


「いらっしゃい。友達なんだよね、どうぞ?」

タオルで手をふきながら、皐月が顔を出していた。

(あー、うん。まあいいか)

腹を決めて、三日もうながす。

「だそうなので、どうぞ、入って」


「急いでもう一人前焼くね。ごはんまだでしょ?」

なぜか皐月は上機嫌だ。

千佳に満面の笑みを向けて、いそいそとキッチンに戻っていった。


うわあ、うわあと、うめいて千佳が真っ赤になる。

「今の……」

「うん」

「八重樫の」

「幼なじみの皐月」


「――恋人?」

「幼なじみだってば。隣に住んでるの」

「隣?」

「そう。ね、千佳、今からごはんなの。一緒に食べるでしょう」

「うう、うん」

「よし、じゃあ行こう。皐月のごはんはおいしいよ」


ぼけっと突っ立つ千佳の背を押し、リビングへ向かう。

「カバン置いて。座って待ってて」

「うん。うん。わかった」


「あ、そうだ」

キッチンから皐月が顔を出すと、千佳の肩がびくっと跳ねた。

「目玉焼き、半熟でいい?」

「はい!」

意気込んで答える千佳に、にんまり笑顔を向けると、皐月は三日を手招きする。


「ほら、お客さんいるんだから手伝って」

「はーい」

鼻歌まじりの皐月の背中を追いかける。


「ねえ、なんで急に機嫌がいいの」

「えー、オレ? だって嬉しいじゃん。三日、友達いたんだな」

「ひとりだけできたって話したよね」

「そうそれ。実在したんだなあ!」


手を打って喜ぶ皐月に、苦笑がもれる。

「そんなに嬉しいの?」

「んー、そうだな。言ってみれば、娘が初めてランドセル背負って登校するのを見送る父親の気分だ」

「ええ、なにそれ」

さすがに面白くなくて、ふてくされる。


「よし。もてなすぞ」

意欲に燃える皐月に、次々と指示を出される。

「レタスちぎって」

「うん」

「チーズ散らして」

「はいはい」

「これ運んで。……って、おい、飲み物出してないだろ」

「はーい、いますぐ!」


グラスはこっちだの、普段は使わない箸置きだのと言われるがまま動きながらも、皐月が上機嫌なのは、三日にとっても喜ばしいことだ。

「ああ。こんなことなら、スープも作っておくんだった」

悔やむ皐月の背中を叩き、準備の整った食卓へと千佳を招く。


「おまたせ。ごはんだよ」

「うん。ありがとう」

「どうぞ」

皐月が千佳の椅子をひいてやる。

せっかく通常の顔色に戻っていた千佳が、再びぱっと赤くなる。


「お口に合うかな。今日はロコモコ丼と、アスパラとベーコンのサラダ。たくさん食べて」

「はい。ありがとうございます!」

しゃきんと背筋を伸ばす千佳に、皐月が甘ったるい視線を向ける。


「初めまして。オレ、八重樫高校一年の二階堂 皐月。君は?」

「あ、あたしは、ミカと同じクラスの大瓦 千佳といいます」

「大瓦さん、同い年でしょう。敬語はいらないよ。よろしくね」

「こちらこそよろしく! ええと、二階堂くん。よろしくね」


「よく来てくれたね。ゆっくりしていって」

「はい。ありがとう。あとその、急に押しかけてごめんなさい」

千佳が二人に頭を下げる。

「いいんだよ。三日の友達が来るなんて初めてで、オレ嬉しいんだ」

「だからって、皐月はちょっとはしゃぎすぎだよ」


このままだと、「ふつつかな娘ですがよろしくお願いします」とでも、言いそうだ。

「大瓦さん。三日はこのとおり世慣れていなくて、ふつつかな……」

「わあ、ストップ!」

慌てて三日は制止した。

(お父さんすぎるでしょう)


さすがに恥ずかしくなって、うながした。

「挨拶はいいよ。ごはん。ごはん食べよう。今日はね、ソースがんばって作ったんだよ」

「そう、がんばった。オレがな」

「皐月がんばってた。ね、千佳、食べてみて」

「え、うん。いただきます」


皐月がやけにキラキラしたまなざしを千佳に向けている。

「わ、おいしい」

千佳がつぶやくと、ありありと見てとれた期待が、満足げなものへと変わった。

「よかった。ほら、三日も冷めないうちに食べろよ」

「いただきます」


おおぶりなスプーンを手にとり、ハンバーグとライスを口に運ぶ。

(うん、おいしい)

自分でハンバーグを焼くときは、市販のソースとケチャップを混ぜた簡易的なものをかけることが多いから、手の込んだ味わいが舌に嬉しい。

皐月の料理の腕は、彼の母親仕込みだ。

見よう見まねで一人暮らしを始めた三日とは、基礎が違う。

ツヤのある卵も、宣言通りの半熟具合だ。


「二階堂くん、お料理上手なんだね」

「母ちゃんが作れ作れってうるさいからさ」

「皐月のお母さんも、ごはんおいしいんだよ」

緊張がほぐれてきたのか、千佳の表情にほがらかさが戻る。

「そうなの。でもなかなかここまでできないよ。立派だね」

「大瓦さんも家庭科部なんでしょ。オレよくおすそわけもらうんだけど、このあいだのゼリーおいしかったね」

「ああ、あれ!」


互いの部活の話や、近くにせまった交流活動の話に華が咲く。

食事が終わり、さげた食器を食器洗い機にかけたところで、皐月は千佳に声をかけた。

「じゃあオレ、部屋にひっこんでるから。ごゆっくり」

「え? うん」


軽い足取りでリビングを横切り、自室へこもった皐月を見送った千佳は、顔を覆ってうずくまった。

「はー。びっくりしたぁ」

ソファに座ると、非難がましい目をして、三日につめよる。

「住んでるの? ねえ、一緒に住んでるの?」


あいまいに三日は首をひねる。

「うーん、皐月のおうちは隣だよ」

「じゃああの部屋は?」

「うちに来たときの皐月の部屋」


わっと、千佳が嘆いてみせる。

「さっき、洗面所に歯ブラシが二本あった!」

「うん?」

「でもいい。でもいいの。三日、ありがとう」

「ううん?」

「美人に囲まれて食事をするって夢が叶ったの!」


千佳の感情の浮き沈みに、三日はさっぱりついていけなかった。

「嬉しいの?」

おおきく千佳が首を振る。

「そっか、だったらよかったね」


「二階堂くん、やさしいね」

「うんまあ、過保護だけど」

「おしゃべりできる日がくるなんて思わなかったな。三日のおかげね。――ねえ、でも」

ふいに表情を陰らせて、千佳はたずねた。


「あたし、三日は、委員長と付き合うんだと思ってた」

「……委員長って、三鷹くん?」

「うん。ねえ、本当は、どっちが好きなの?」

(うううううん?)


とまどいながらも、話の筋が見えてきた。

皐月との仲を疑われるのは、いつものことだ。

今回は少し趣が異なっているだけで、つまりはそういう話なのだろう。


「待って。なぜ急に三鷹くん?」

「なに言ってるの。お似合いじゃない」

千佳が言う。

(そんなばかな。いやそもそも、彼は売約済みだよね)

エサとしてだけれど。

熱烈に請われているのを知っている。


三日は頭を整理した。

「つまり、千佳は私が、皐月と三鷹くんのどちらを性的な目で見ているのかと聞いているのね」

「え、いや、性的ってどうかな」

「違うの?」

「うん、そうね。そうよ。ああでも、そこはせめて、恋愛感情って言葉を使おうよ」

「そっか。恋愛感情ね。で、それでだよ、それだったらどっちも違うよ」

「うそぉ」

「嘘なんてつかないよ。どっちとも付き合うつもりはありません」

きっぱりと言い切った。


釈然としない様子で、千佳がきく。

「好きな人、いないの?」

「いないよ。いたことないもの」

「え、やだ。一緒にいて、どきっとしたような覚えはない?」

(どき?)


ふと、先日校舎の踊り場で、京堂に首筋を舐められたときの衝撃が頭をよぎる。

三日はふるふるとかぶりを振った。

(ああ、違った。あれは、どきっとしたんじゃなくて、ぞわっとしたんだ)

「うん、ないね」


ぞわっとしたといえば、一番は、入学して間もないころに、秋に見せられた悪夢だろう。

(うう、思い出しただけで寒気がするわ)

あとは、さやかに手のひらを返すように好意を向けられたときにも、どきっとした。

(そう。あれこそどきっとしたよね。ドキドキはしてないけど、ぎょっとした)

二の腕をさすりながら、思考が脱線していく三日に、千佳はぽつんとこう述べた。


「あたしはね、いるんだ。好きなひと」

「え」

目をまたたいて、顔をあげる。

「本当はね、今日はそれをきいてほしくて、ここに来たの」


(うわあ)

三日はかたまった。

「……恋愛、相談」

千佳がはにかむ。

「うん。そう」


(ど、どうしよう)

日本史どころではない、不得意分野だ。

(そうだ皐月。皐月呼んだほうがいいんじゃない)

内心おたおたする三日に真摯なまなざしを向けて、千佳が言った。


「あのね、――涼一くんが、好きなんだ」

ぽかんと三日の口が開く。

「え。ああ、涼一さん」

「うん。そうなの」

頬を染めて、千佳がうなずく。


(意外)

あまり接点があるようには、見えなかったのだ。

「そうなの、ぜんぜん気がつかなかった」


「ほらあたし、きれいな人とか物とか、好きでしょ」

「うんうん」

「この学校に入って、一番心が動いたのが、初めて涼一くんの絵を見たときだった」

(ああ、あの亀のときの)

学校中にキノコが蔓延した時期のことだ。


「最初は、絵が好きなだけかと思ってた。でもね、ずっと考えてるうちに、本当は絵じゃなくて、あの絵を生み出す人のことがもっと知りたいんだなって気がついたの」

(へええ)

そうやって人は他人を好きになるのかと、ひたすらに耳をかたむける。


「彼は、特別美人じゃないけど、雰囲気がきれいで」

「あ、それはわかる」

「でしょ?」

嬉しそうに、千佳が微笑む。


「おっとりしてるのに、絵筆を運ぶ右手は力強くて。瞳が澄んでて、他の人とぜんぜん違う」

「そっかぁ」

「俗世とかけはなれた部分があるというか。生身の人間とは思えなくて」


(う……)

三日は一気に気詰まりに感じた。

(それは、あるよね)

涼一のまとう清涼な空気といい、彼は人間の気配をまとってはいない。


「だからあたし、涼一くんが色恋沙汰に興味があるとは思えないの」

「――なるほど」

なんとも口を挟みづらい問題だった。

三日からしても、女子生徒にうつつをぬかす涼一というのは、想像のつかないものだったのだ。


「ねえ、どう思う。好きって言ったら迷惑かな。下世話な女だって嫌われちゃうかな」

三日は、おのれの非力をうらめしく思った。

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