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転ぶ三日月  作者: 瀬野とうこ
第四章 : 乙女の純情、ひきこもごも
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第二話

放課後、校舎には管楽器の音色が響き渡っていた。

明後日のイベントに向けて、ブラスバンド部が練習に熱を入れているのだろう。

イベントといっても、川原でのゴミ拾いが主なのだが、八重樫高校との合同作業だと張り切った千佳は、実行委員に名乗りを上げていた。

その千佳に誘われて、補習授業までの合間、三日はともに美術部へ顔を出していた。


この日は珍しく、部室には美術部員が何人もいた。

なんでも、展示会が近いらしい。

実行委員も幾人か、画材を借りて窓際で看板を制作している。


「涼一くんは何を描いているの?」

千佳がいそいそと涼一の元へ向かう。

「人魚をね」

さらりと告げたその言葉に興味をひかれて、三日もキャンバスをのぞきこんだ。


「人魚?」

絵の具の匂いが鼻をつく。

海辺に、人型のシルエットが描かれていた。

「まだ途中なんだ」

描かれた岩の並びに見覚えがある。


「これ、……五宝湾だよね」

「そう。よくわかったね」

「五宝湾には人魚の伝説があるもの。涼一さん、信じているの?」

問いかけると、穏やかな色の瞳が細められる。


「まさか。あそこで人魚を見たことなどないよ。いないよね、海に人魚なんて」

「そうかしら」

同意はしかねて言葉をにごすと、彼はきっぱりと首を振った。

「いないよ」


「ん、でも珍しいよね? 涼一くんが人物を描くなんて」

千佳がたずねる。

「そうかな。海にまつわるものなら、なんでも描くよ」

「そっか。人魚だもんね。それでもやっぱり気になるな。ほら、いつもは波とか魚とかばっかりじゃない。もちろん、それもとても好きなんだけど」


「人魚は人間っぽい?」

「うん。だから楽しみだな、涼一くんの人魚。完成したらぜひ見せて」

「もちろん。今週中に仕上げるつもりなんだ」


「珍しいといえば」

千佳は幾分頬を赤らめて、キャンバスから涼一へと視線を転じた。

「五宝湾って言ったよね。涼一くん、いつも美術部にいるけど、これを描くときは現地でスケッチとかしたの? それとも、写真を撮ってきたとか?」


「いや。……五宝湾は、前はよく足を運んだ場所なんだ。だから記憶を辿って描いてる」

「え、すごい。それでも見た人に場所を特定させちゃうんだから、すごいよね」

「そうかな。岩の並びが特徴的だからね。知ってる人ならわかるんじゃない」


ゴツゴツとした巨石が転がる荒れた岩場に、波が砕けている。

(記憶……?)

三日は眉根を寄せた。


五宝湾は、先祖にゆかりのある土地だから、両親とともに訪れることがある。

キャンバスに描かれた岩には、はっきりと見覚えがあるのだ。

(お母さんがいつも腰かける岩だ)

上が平らになっていて、高さもちょうどいいのだと言って。


「見て描いたんじゃないの?」

気づけばそう口にしていた。

「外で描こうとは思わないんだよね」

荷物持ちたくないでしょ、と涼一が微笑む。

「そうなんだ。ええ、そうね。本当にそっくりだから、驚いちゃった。記憶力がいいのかしら」


「三日さんは、五宝湾によく行くの?」

「ええ。たまに、家族で」

「何もないでしょう」

「そうなんだけど、……母が、行きたがるから」

「へえ」

涼一が目を見張る。


「涼一さんは? やっぱりよく海を見に行くの?」

「いや、行かないな。海にはめったに行かない」

「え、そうなの?」

千佳が驚きの声をもらす。


「海、好きなんでしょ?」

「どうかな。嫌いではないと思うけれど」

それは三日にとっても意外な返答だった。

(海の絵ばかり描いているのに)


「三日さんも、家族で訪れるというのなら、人魚なんていないと知っているでしょう」

涼一は否定するけれど、人魚自体は確かにいるのだ。

三日は母に何度もくりかえし聞かされていた。


「人魚に会ったことはないわ。でも、いつか会ってみたいとは思ってる」

「そう」

「涼一さんは? 人魚の絵は描いても、存在は信じていないの?」

「信じてないわけじゃないよ。海は広いからね、どこかにはいるんじゃない」


「会ってみたいとは?」

「人魚に?」

困惑をあらわに、涼一が瞳を揺らす。

「ええ」


「もし人魚に会ったら……」

涼一は苦く歪んだ笑顔をみせた。

「僕は、妬ましくて殺してしまうかもしれないな」






実行委員の看板制作にたずさわるという千佳を美術室に残し、放課後の補習授業に参加した。

さやかの姿のない教室は、以前の静けさを取り戻しており、特に奏はこの時間えらくのびのびとして見えた。

おそらく、茜を排除できるこの授業が、息抜きとなっているのだろう。

周囲の生徒と談笑する姿など、最近ではここでしか目にしていない。


(よほど嫌っているのね)

嫌いなのではなく、恐れているのかもしれないが。

詳しい事情は知らないが、痛ましくはある。


それはそうと、学期の区切りのこの季節、夏休みもそわそわと意識し始める時期となったが、休みの前にはテストがある。

三日はとにかく、得意科目と不得意科目の差がはげしいので、気を抜いてもいられない。

歴史や物理など、興味を持てない科目を頭につめこむのは苦痛だが、いったん成績などどうでもよいと考えてしまうと、そこでもう全てに対して後ろ向きになってしまいそうで怖い。


(せっかく家を出たんだから、がんばらないと)

三日だって自分なりに、このままではいけないという意識があるのだ。

(立派な人間になろう、とは思わないけど、人間としてもやっていけるようにはなりたいもの)


勉強などとは無縁だった小学生の頃は、人間を毛嫌いして、野山でかけずり回ってばかりいた。

中学になって、それではいけないと、一転してガチガチの優等生のふりをした。

優等生を目指したわけではなく、人との接し方がわからなかったから、とにかく真面目に登校して机にかじりついていただけなのだけど。

序盤、テストの点はさんざんだったけど、小学生の時分にくらべて学習内容が論理的で系統立っていたから、要領さえつかめば成績は上がっていった。


そうして高校生となった今は、健全な人間関係を構築できるようになるのが目標なのだ。

(いまのところ、うまくいってるはず)

なにせ、この学校だと、少しくらい常識外れな言動をしても、目をつむっていてもらえる。

(クラスの人ともおしゃべりできるようになったし)

見よう見まねで培ってきた対人能力も、板についてきた気がするのだ。


千佳のサポートが大きかったというのもある。

本人は意識していないかもしれないが、ずっと周囲との橋渡しをしてくれた。

(感謝しないとなあ)

初めて親しくなった人間だ。

愛想をつかされないように、大切にしたい。






サッカー部の練習があるという皐月と別れて、柾木はひとり学校を出た。

近頃、教室での話題といったら、夏休みのことばかりだ。

(ああ、あとは学外交流の件もあるか)

今週の金曜、川原で万理万里の生徒とゴミ拾いをしなくちゃならない。


(たしかあれって、三年生は免除なんだよね)

受験をひかえてそれどころではないのだろうが、正直なところ、他校と合同で清掃作業にあたる意味が柾木にはよくわからない。

(ゴミ拾いだけなら、億劫だけど仕方ないって思えるんだけどなあ)


万理万里学園は共学だ。

男子ばかりの八重樫の面々からすると、張り切るやつが出てくるのはわかる。

(そういう面でモチベーションをあげるために仕組んだわけでもないだろうに)


万理万里には、一度行ったことがある。

皐月の交流試合にかこつけて、興味本位で見学に行った。

それはそれは、おかしな学校だった。


(嫌うやつがいるのもわかる)

クラスメイトに、万理万里の生徒なんてろくなもんじゃないと言い張るやつがいる。

普段は気さくでふざけてばかりのいいやつなのに、あの学校の話題になると途端に冷めた目をするから、何か不愉快な経験でもしたのだろう。


(高槻くんもそうだけど、二階堂くんも気乗りしない様子だったし)

皐月は柾木と同じように、友人があの学校に通っている。

けれどそれ以上に、女子に騒がれたくないという意識が強いのだろう。

端で聞いていても、彼がつきあっているという年上の彼女を大切にしているのはわかるから、無理のないことかもしれないが。


(明後日か)

気が重いのは、柾木も同じだ。

万理万里学園には、吸血鬼がいる。


敵意を抱くと同時に、もどかしくも思う。

(……同じ学校に行っておけばよかった)

幼なじみが、よりにもよって同じクラスにいるという。

(奏)

二年ぶりに、とうとう顔を合わせるのだという緊張と、せめて友人とともにいてやりたいという焦燥がせめぎあう。


「――吸血鬼は敵だ」

頭上を、コウモリが飛ぶ。

茜の再来を知って以降、数の増えた不吉なシルエットを見上げる柾木に、背後から声がかかった。

「へえ。それ本当?」


はっとして振り返ると、そこに見知ったクラスメイトの真面目な顔があった。

「高槻」

黒いくせっ毛が特徴的な、気さくな友人。

「吸血鬼なんて、――会ったことあるような口ぶりじゃん」


おぞましいものでも見るように、目をすがめて頭上のコウモリを示す。

「最近とみに増えたよな。あんなもん、街中にいること自体、おかしいとは思わないか」

「まあ、そうだね。普通、人里では見ないよね」


「お前さ」

足をとめた柾木に身を寄せて、高槻は言った。

「あれが、使い魔だって知ってんの」

言葉につまった。

「知ってるんだな」

「まあ」


初めて見せる硬い表情で、高槻はきいた。

「だったら答えろ。吸血鬼はどこだ」

柾木は思わず、彼の首筋に目をやった。

高槻が鼻にシワを寄せる。

「なんだよ。俺、噛まれてねえぞ」

「あ、そうなんだ。ごめん」

あんまり彼が嫌そうに言うものだから、おかしくなって肩から力が抜けてしまう。


「――誰か噛まれたのか」

「以前にね」

「お前が?」

柾木はくしゃりと顔をゆがめた。

「だったらよかったんだけどね。僕じゃないんだ」

「いいわけないだろ」


「うん、まあ。それで君、吸血鬼を探しているの?」

「ああ。柾木、お前」

「知ってるよ。万理万里学園にいるんだ。ついこの間、転入してきたんだよね」

高槻のまなざしが厳しいものへと転ずる。


「確かか」

「らしいよ。僕もまだ見てはいないんだ。聞いただけ」

「……さっき、吸血鬼は敵だって言ったか」

「言ったね」

「事情を聞いても?」

「うーん、どうだろ。そんなこときいてどうするのさ」


まっすぐに向き合って、高槻は神妙な声を出した。

「協力してほしい。吸血鬼がいるなら、捕まえたいんだ」

「なぜ?」

「なぜって、あんなもの、野放しにしておいていい存在じゃないだろう」

(まあ、そうだよね)

きつく拳をにぎる彼に、胸の内で同意する。


「この街にいるなら、排除したい」

「素朴な疑問っていうか、思うんだけど。高槻くんにそれができるの?」

「手順をふめばな」

「手順って?」

「言えない」


「危なくないの?」

きくと、高槻は鼻で笑った。

「化け物と対峙して、危なくないわけがないだろ」


「そっか。おかしいね、噛まれたわけでもないのに、無理して手を出すことないじゃない。わからないな、どうしてわざわざ君がそんなマネをするのさ」

「俺もお前が何に関わっているのか、知りたくてたまらないよ。――話をきく気があるか?」

柾木はうなずいた。

「吸血鬼に関わることなら、何でも知りたい気分だよ」


「じゃあよかった。少し話をしようぜ。時間あるだろ」

そうして歩いた先で、高槻は柾木に告げた。

「俺は、ヴァンパイアハンターなんだ。えっとまあ、その、見習いだけど」

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