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転ぶ三日月  作者: 瀬野とうこ
第三章 : 疑惑に満ちた恋の季節
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第九話

虚脱した。

悪い夢から覚めたように、何が真実なのかがわからなかった。


左手を茜の腰にまわしたまま、右手でつかんだ顎の持ち主は、ひとりの少女だ。

二人から手を離し、後ずさる。

「――は」

空虚な笑いが漏れる。


(何だこれは)

自分が何を成したのかが理解できない。

選び取ったものなら覚えてる。

「オレは吸血鬼の犬だ」


(そのはずなのに)

――やけに、すっきりしているのは、なぜなのだろう。

とりまく全てがまやかしに見える。

(オレの気持ちも。……どうなってんだ)


呆然としてかぶりを振る。

「奏……?」

茜が問いかける。

いぶかしげな表情は、彼女にも、奏に何が起こったのか把握できていないことを示している。


(だったら)

奏はもう一人の少女に目を向けた。

「望月さん」

ようやくその名に思い当たる。


「君、なぜ」

血迷って、それはもう、完璧に取り乱して、三日のくちびるを奪った記憶がある。

ぽかんと見上げる少女に、はっとして謝罪する。

「あ、いや、……その、ごめん」


再び、ガラガラと大きな音がして、皐月もこちらへやってきた。

(そういや、よくあの壁を越えられたな)

無造作に積まれただけの足場は、さぞかし不安定だったろう。


「あらん」

皐月に目をとめた茜が、ニタリと笑う。

「上玉ね」

「……だったら、ぜひとも鞍替えしてくれ」

ぼやく奏に、茜がうろんな目を向ける。


「少年。――変ね。あたしとセックスしたくならない?」

「ええ?」

三日が裏返った声を出す。

奏は、自身も疑念にとらわれながら、うなずいた。

「今は、全く」


「そう。どうやって逃れたの?」

「さあ。あんたは何もしてないんだろ」

「ええ。そうね。だったら」

茜の視線が三日を示す。

「この娘さんのせいかしら」


「望月さんが?」

そう指摘されてもしかたのないタイミングではあったけれど、心情的には素直にうなずきたくはない。

(まあ、いいさ)

理由なんてどうでもいい。


ふつふつと、喜びがわいてくる。

結果が大事だ。

原因が何であろうと、たとえ一時的なものであったとしても、現在呪縛からは解放されている。


快哉を叫びたい気分で、ぐっと歯をかみしめた。

(ざまあみろ)

尻尾は極力振らないほうがいい。

奏の粘り勝ちだった。






三日は状況にまるでついていけなかった。

突然天井からさやかが降ってきて、――虫の息の彼女に、解毒のキスをほどこした。

さやかは、今も意識を失ったままだ。

けれど、皐月が匂いをかいでも特に心配はしていない様子だったので、助かるのだろうと思う。


壁向こうで何かあったのかと気にしてみれば、耳をすましていた皐月が、

「余計な口ははさまないほうがいいかも?」

と、思わせぶりなことを言った。

「でもまあ、三日があいつを助けたいっていうなら、オレは止めないけど」

そこで山となった品々を踏みつけて来てみれば、見知らぬ美人が奏とからみあっていて、さすがにこれはお邪魔かと思った。


奏の瞳がいつになくぎらぎらしていて、油断をしていたら、噛みつくようなキスをされた。

噛みつくというか、むさぼるというか。

お腹をすかせた獣みたいだ。


わずか二、三分の間に、唾液を二人もの人間に与えてしまった。

(大盤振る舞いだね)

途端に憑きものが落ちた様子の奏をみて、眉をひそめる。

(あれ?)


親密な間柄に見えた、奏とブロンド美人も、一気によそよそしく振る舞い出す。

「もしかして、余計なことだった?」

いや、自分でしたわけではなかったけれど。

知らずに二人の仲を裂くようなまねでもしてしまったのかと、そう口走っていた。


「ふうん、それじゃああなたのしわざなの」

なまめかしい裸体の美女が正面を向く。

「毒は全身を巡っていたはずよ。どうやって鎮めたの」

「毒?」

不穏な単語が出てきたものだ。


「三鷹くん、毒に侵されていたの?」

奏は答えない。

「そうよ。ひどいわ。あと少しでこの子が手に入るところだったのに」


「まあまあ。寒そうな格好のお姉さん、ひとまずこれでもどうぞ」

どこから引っ張り出したのか、コートを手にした皐月がやってきて、美女の肩にかけてやる。

「あら、ありがと」

「拾いものだけどね」


「ところで、あなたは誰?」

「あたしは茜」

「オレは皐月。こいつは三日。部外者だよ」

「そうね。驚いたわ。キスで少年を目覚めさせるなんて、おとぎ話の王子さまみたい」


茜が探るような目で三日を見る。

「ねえ、本当にどうやったの?」

「解毒したんでしょ。三日に浄化できたってことは、軽い毒だった証拠だよ」

「あら、やあね。それって、とても面白い冗談だわ」


茜の瞳がきらりと光った。

「邪魔ね」

茜のシルエットがぶれたと同時に、鋭い蹴りが三日を襲った。

とっさに両手をクロスさせてかばう三日を、皐月が突き飛ばして、身代わりとなる。

ズン、と肉を打つ、鈍い音がひびいた。


「うわあ、いい蹴り」

茜の足を受け止めて、賞賛の声をあげる。

「オレ、サッカー部なんだけど。お姉さんほどいい足してるやつ、めったにいないよ」

「そうなの。うれしいわ」


茜は笑顔で、二度、三度と蹴りをみまった。

「でもオレ、けっこう丈夫なんだよね」

皐月もどこか楽しそうだ。

そのまま、獣がじゃれ合うようなおもむきの肉弾戦をはじめた二人に見切りをつけ、三日は奏に駆け寄った。


「三鷹くん、ケガしてる」

首から胸にかけて、血の流れた跡がある。

奏は、のろのろとした動作で乱れた浴衣を正した。

「ああ。そんなにひどいケガじゃないから」


じっと三日を見つめる。

「ありがとう。助かった」

「私、何もしてないけど」

「いや、理屈はよくわからないけど、助かったのは事実だから。感謝してる」


こうして向かい合う彼は、いつものクラスメイトと同じに見える。

「……さっきは、飢えた獣の目をしていたものね」

なにげなくつぶやくと、彼は気まずそうに目をそらした。

「ごめん。ええと、……ごめん」


「何が?」

謝罪の意味がわからず、問い返す。

「いやだから、無理にキスして」

(なんだ、そんなこと)


「いいよべつに。おかげでいつもの三鷹くんに戻ったみたいだし」

顔をあわせていても、こちらの彼のほうが断然話しかけやすい。

「よくわからないけど、大変だったね?」

奏は大きくうなずいた。


「危うく道を踏み外すところだった。望月さんのおかげだな」

感謝されるのは面映ゆい。

頬を染める三日に、奏は厳しい目を向ける。

「……あれは吸血鬼だ。気をつけたほうがいい。君もだけど、幼なじみの彼も」


真剣なその声にかぶせるように、上機嫌な女の声がひびいた。

「大丈夫よ、少年。あたし、人間しか食べないの」

奏の体がこわばるのを感じ、ふり向いた。

いつのまにか争うのをやめた二人が、汗をぬぐいながら戻ってくる。


「もし周囲を巻き添えにしちゃったらどうしよう、……なんて、気に病んでいるのかしら? かわいいわねえ、本当に。あたし、少年のそういうとこ好きよ」

背後の奏から、ギリ、と歯のきしむ音がする。

「その反抗的な目、いいわね。そうよね、まだ成長を見守るつもりでいたんだわ」

つい歯形を見て興奮しちゃったけど、ともらし、茜は肩をすくめる。


「面白いお友達がたくさんいるようね」

「やかましい」

「おかげであたしも、あがく姿が長く楽しめそう。悪くないわ」

「失せろ」

「つれないのね」


茜はくるりと体を反転して、皐月に言った。

「久々に運動できて、たのしかったわ。また相手してくれる?」

「ん、いたずらが過ぎなければ。特に、三日にはだめだよ、ちょっかい出しちゃ」

「あら。愛されてるのね」

ちらりとこちらに目を向ける。

「女の子は食べないから大丈夫よ。でも、どうかしら。俄然興味をもっちゃったのよね」


茜は、はおっていたコートを脱ぎ捨てた。

なめらかな裸体があらわになる。

きらめく笑顔で、それぞれと目をあわせ、彼女は告げた。


「ちょっとは遊べたし、今日はこれで退散するわ」

金の髪が、きれいだった。

「また会いましょう」

そう言い残し、ふっと彼女は姿を消した。


残された三人が、そろって安堵の息を吐く。

特に奏は、床にへたりこんで肩をおとした。

「……しんどい」

どうもずいぶんお疲れの様子だ。


「オレたちも帰って寝ようよ」

皐月が言う。

「どうやって出ようか」

「水晶の中に閉じ込められてるって話だったよな」

皐月が床をガツンと蹴ってみる。

「ちょっと待ってな」

軽い足どりで、ガラクタの山に向かう。

ガラガラと物品を漁る音がした。


三日はうなだれる奏に声をかけた。

「傷の手当て、してから寝たほうがいいよ」

かすかに口元がゆるむのが見えた。

「そうする。――まきこんでごめんな」

「何もしてないし、何もされてないから」


それよりひとつ、嬉しいことがあった。

「誰かの役に立てるなんて経験、めったにないから。うれしかったな」

子どもの頃は、周囲に迷惑ばかりかけていた。

クラスの子には、暴れてケガをさせることもあって、――皐月以外の誰かに、ありがとうなんて言われたのは、いつぶりだろう。


「あたしの体も捨てたもんじゃないね」

おとなしく、目立たずに、人にまぎれていられるようにと、この学校に入った。

けど、思ったのだ。

「否定しなくても、いいのかもね」


小さく口からこぼれた言葉を、奏が聞きつけたかどうかはわからないけれど。

彼は、かすかに顔をほころばせた。

「似たようなこと、前に言われたことがあるな」

「うん?」

「十夜さんにさ、最初に会ったとき。オレ、周りに助けてもらってばかりだから」


肩を押さえて、立ち上がる。

「望月さんにも、世話になったね」

そこでふいにはっとして、奏はあたりを見回した。


「……そういや、八又さんは」

「ああ」

ひどいケガをして昏倒していると教えてやった。

奏の表情が暗くなる。

「まともにくらってたからな」


そこに工具を抱えた皐月がもどってきた。

「八又さんだったら、今も心音がしっかりしてるから平気じゃない?」

「心音?」

奏が首をかしげる。

「皐月は、耳がいいから」

「そうか」

簡潔な説明で、納得ができたのだろうか。奏はそれ以上はきかなかった。


「さて」

皐月が工具箱からトンカチを出した。

「三日、ちょっと叩いてみな」

「うん」

「どうするんだ、それ」


「砕いたら出られるんだろ。やってみる。ああ、三日、床より壁のほうが力が入るだろ」

「う、そうかも」

受け取ったトンカチを持って、壁に向かう。

「失敗したら、きっとすげえ腕が痺れるぞ。一回でいけよ」

「わかった」


せーの、と声をあげて、三日は力一杯振りかぶった。

ガン、とトンカチが壁にめり込む。

放射状にヒビがはいった。

「よし」

皐月の満足げな声がする。


細かな氷のような光が舞い、――水晶は砕けて消えた。

閉ざされた空間の崩壊とともに、人は元いた場所へと排出された。






週明けの学校に、それはやってきた。

当たり障りのないクラス委員長の顔に戻った奏の、顔色がだいぶ良くなったと思った、そんな朝のホームルームでのことだ。


この日、教室内はざわめいていた。

転校生ならぬ、留学生が来るというのだ。

そうして、担任の教師とともに入ってきたのは、金の髪もまぶしい、あでやかなあの吸血鬼だった。


机の跳ねる音をたて、奏が立ち上がった。

「――留学生、だと?」

せっかく戻った顔色が、見る間に白くなっていく。

ぐっとくちびるをかみしめて、奏は教室を飛び出した。


「あ、おい!」

教師の斉藤が声をあげる。

「委員長どうしたのかな」

「具合悪そうだったよね?」

「はー、びびった」

ざわざわと声が飛び交う。


斉藤は、保健委員にあとを追うよう指示を出した。

「保健室まで連れてってやれよ」

そう言って、教室を静めると、教壇に立つ留学生の紹介にうつる。


高校生というには大人びた、きらびやかな女が口を開く。

「交換留学生の千葉 茜です。期間限定ではありますが、よろしくおねがいしますね」

ぺこりと頭をさげる彼女に、歓声があがる。


「日本語、すっごい上手ね」

感嘆の声に、茜は微笑んだ。

「親戚がこっちにいて、日本の文化には馴染みがあるの。でも、もっと知りたくて今回この学校に来ることになりました。仲良くしてください」

わっと拍手があがる。

あっけにとられて見つめているのは、三日だけだ。


「あ、だけど、言っておくことがあるわ」

クラスメイトの心をあっという間にとらえた美女は、三日に目をとめ、ニタリと笑った。


「今教室を出て行った少年は、あたしのものよ。将来を言い交わした仲なの」

しん、とクラスが静まりかえる。

「だからね――」

静けさが、痛かった。

「望月 三日ちゃん。あなたにあの子は渡さないわ」


ぽかんと大きく口があく。

茜を恐れる奏の気持ちが、少しだけわかった気がした。

彼女は、トラブルメーカーだ。

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