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転ぶ三日月  作者: 瀬野とうこ
第三章 : 疑惑に満ちた恋の季節
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第七話

柾木にさんざん心配をされ、その日、奏は十夜の自宅に泊めさせてもらった。

純和風のお屋敷だ。

どっしりと構えた太い梁や柱も、畳の香る広間も、目につく調度品まで、この屋敷の経てきた年月と重みを感じる。


敷地が広いぶん、この家は人口密度が少ない。

磨き立てられた廊下を渡って十夜の部屋にこもってしまうと、人の気配は閉ざされてしまう。

開け放たれた障子の向こうから、風のそよぐ音と虫の音が聞こえるばかりだ。


部屋には、二組の布団が敷かれていた。

(修学旅行みたいだな)

部屋着も浴衣を借りている。


窓際の、籐を編んだ椅子に並んで腰かけ、冷たいそば茶をゆったりと飲む。

カラカラと、氷の当たる涼しげな音が、十夜のグラスから聞こえた。

「体調に変化はないか?」

気遣わしげなまなざしを向けられる。

「ええ。落ち着いています」


鎖骨の上には、新しくできた傷跡が残っている。

効果のほどははっきりとはしないが、昨夜のように身を焼くほどのたかぶりが訪れる気配はない。

これが小康状態ではなく、永続的なものであるよう、祈るばかりだ。

それよりも、茜の動向が気にかかる。


「奏の都合が許すかぎり、いつまででもいるといい」

ぽんと頭をなでられた。

「ありがとうございます」

「週末には、一緒にライアスの散歩に行くか」

ライアスは、十夜が飼っている大型犬だ。

ふわふわの白い毛並みと、くりくりの優しい目をした、実に気性の穏やかな賢いヤツ。

「いいですね」


茜の来訪を知り、奏の身に気を配ってくれているのだろう。

できるかぎり、一人になるなと言われている。

(迷惑かけちゃったけど、来てよかった)

話しかけてくれる人がいるだけで、気が紛れる。

「十夜さんといると、安心するな」


この家は、時間がゆったりと流れている。

空気までもが、心なしか清浄だ。

「そうか。……俺は、奏といるとハラハラさせられてばかりだよ」

情けなく、顔がゆがんだ。

「未熟ですみません」


本当はわかっている。

吸血鬼だとか、血の呪いだとか、問題の根本はそこじゃない。

(本当、ガキだよなあ)

揺らぐ精神が軟弱なのだ。


(いつか……)

なるべく早くに。

どんな横槍もやり過ごせるような、どっしりと地に足を据えた人物になりたいなと、――奏は思った。







夢かと思った。

けれどすぐに、なんらかの手妻なのだと思い直した。

八又 さやか。親しみのわかない少女がひとり、したり顔で立っている。


奏はかすむ頭を振り払い、あたりにさっと目を配った。

曇りガラスのような質感の、四角い部屋にとらわれている。

広さはざっと、学校の教室一個分くらい。

床も壁も天井も、四方が同じ素材で囲まれたフラットな部屋は、照明もないのに、普通に明るい。

出入り口の見当たらない真四角に区切られた空間に、どうやって呼ばれたのか記憶がなかった。


「びっくりした?」

最前まで、十夜と共に、そろそろ寝ようかと話をしていた。

「あんたの仕業か」

「ええ。ええ、そうよ。あたしが呼んだの」


質のよくない機嫌の良さで、さやかが言う。

「あなたと話をつけたくて」

コン、と、床を蹴ってみる。

ひんやりとしたなめらかな床は硬くて、自分が裸足のままなのに気づく。


ふいをついて呼ばれたらしい。

だらしなく着崩した浴衣のままだ。

(入浴中……とかだったら悲惨だよなあ)

対峙するさやかは、いまだ制服のままだ。


「で、話ってなに。なるべく手短にすませてほしいんだけど」

さやかは切り出した。

「望月さんのこと。あたし、あの人が好きなの」

「ああ、そうなんだろうな」


「望月さんに近づく男は、許せないのよ」

「……それで?」

ため息をついて、目一杯罵倒してやりたいのを、ぐっとこらえた。

濡れ衣だ。お門違いだ。そんな不平が渦を巻く。


「あなたが望月さんに不埒な目を向けているのはわかっているのよ。あたしをライバル視しているものね」

しかし目線を変えてみれば、これは誤解を解くいいチャンスかもしれなかった。

さやかが目に余るのは本当だが、自分は敵対する意思はないのだと伝えたほうがいいだろう。


「それは思い違いだよ。オレは彼女には、クラスメイトだっていう以上の感情は抱いてない」

「白々しいわ」

「嘘じゃない。あんたが望月さんに言い寄るのを止めるつもりはないよ」


さやかの眉間にシワが寄った。

「あたしを懐柔して、ここから出ようっていうつもり? 現実世界では、自分が優位に立っていると思っているのね」

「いやだから、争うつもりはないんだって」

「嘘つき。そうやって、自分の気持ちをごまかす卑怯な人、望月さんにふさわしくないんだから!」


そう、さやかが大声をあげたときだった。

ふっと空間がゆがんだように見えて、二人きりだった四角い部屋に、新たに二人の人物が姿を現した。


「は、……えええ?」

片方が、すっとんきょうな声をあげた。

「ちょ、三日、三日、起きろって」


(あれって、そうだ。朔のとこの)

見覚えのある二人だった。

床にうつぶせになって倒れているのが、クラスメイトの三日。

もう一人、三日にまたがって背中を揺すっているのが、朔のクラスメイトだという皐月だ。


奏は頭をかかえたくなった。

(なんだって人をわざわざ増やすんだよ)

三日に関して、カタをつけたかったんじゃないのか。

どうして当人を呼ぶ必要があったんだと、うんざりする。


が、さやかも不本意そうな顔をしているのに気づく。

「えっ、どうしよう」

そんなことを口走ったりもしている。

「……わざとじゃないのか。どうやったんだ」

声をかけると、幾分取り乱した様子でこたえた。


「これ、ええっと、あたし、強く思い描いた人を招き寄せるっていう水晶をもらったの」

「で?」

「望月さん、思い描いちゃった……」

(アホだな、こいつ)


「そうやってオレのことも呼んだのか」

さやかがうなずく。

「言うこときかなかったら、このまま閉じ込めちゃおうと思って」

「思うなよ。物騒なヤツだな」


三日が、ううん、とうめいて目を開けた。

「……どこここ」

起き上がろうとした上半身を、皐月が支える。


「おはよう、望月さん。うーんとね、ここは水晶の中よ」

「水晶?」

「そうそう。ごめんね、うっかり間違えちゃった」

寝ぼけ面の三日に、さやかは謝り、くちびるをかんだ。

「でもね、でもどうして。あたし、望月さんのことしか呼んでないはずなのに。――どうして、二階堂くんまで一緒なのよ!」


「え、皐月?」

自分を支える少年を見て、目をぱちくりとさせる。

「あれ、皐月、おかえり。来てたの?」

皐月は手にしていたタオルを三日の首にかけて、苦笑いをうかべる。

「ただいま」


「ん、なに、このタオル」

「おまえさ、髪の毛濡れたままソファで熟睡してたから、拭いてやってた」

「えっ、私、寝てた?」

あたりをきょろきょろと見回す三日は、バスローブの代わりらしい、タオル地のすとんとしたワンピース一枚だ。

色は薄紫でよく似合っていたが、下着に準ずるような代物で、目のやり場に困る。


「でもここ、うちじゃない」

寝ぼけているのだろうか。いまいち現状が把握できていない様子だ。


「望月さん。それと、二階堂くん」

声をふるわせて、さやかが二人に割って入った。

「八又さん?」

「お風呂あがりの望月さんと、どうして二階堂くんが一緒にいるのかしら」


皐月が肩をすくめる。

「なんとなく今日は三日の家の気分だったから」

「……どういう意味よそれ」

「んー、準自宅、みたいなさ。どうしてってきかれても、べつに意味はないよ」

ショックに青ざめるさやかに、皐月は冷ややかな目を向ける。

「そんなことより、オレたちがわけのわからない状況に追い込まれていることのほうが問題だと思うけど?」


「不潔」

「うん?」

「不潔よ! あたし、二階堂くんがそんなにだらしのない人だとは思わなかった」

「いやいや、どちらかというと、だらしないのは三日のほうだと思うけど」

「えっ」

心外だといわんばかりに、三日がおもてを上げる。

「そうよ。そういえば前からそうだったわ。あたしの前で、いかにも親密そうなムードを作らないでよ」


(あーあ)

既に自分がこの場にいる意味はあるのかと首をかしげながら、奏は少しだけさやかが気の毒にも思えてくる。

(恋の実る気がしないんだよなあ)


しかし、三日と皐月が同棲しているとは意外だった。

「望月さん、その人とつきあってるの?」

そうだとしたら、そもそもが事実無根だった自分は、お役ご免ではないかと期待して訊ねる。


「いや、違う。それはない」

そう答えたのは皐月で、三日はといえば、

「あれ、三鷹くんもいたの。こんばんは」

と、のんきにぺこりと頭を下げた。

「……こんばんは」


(なんだかなあ)

ぐだぐだだった。


「今日はお開きにしたらどうだろう」

気を取り直して提案してみる。

「嫌よ!」


「いやでも、そもそもあんたが突っ走ってるだけだし、時間の無駄だと思うんだ」

いやいやと、さやかがかぶりを振る。

「これ、あたし以外の人は、水晶を割らないと出られないの。一回しか使えないの」


「え、これ、割れるのか?」

拳で床をガンガン殴る。

「ハンマーで叩けば割れるって」

「あんたな……」

自力では出られないほど、物騒な代物だったわけだ。


「さっきの条件はのむ。それでもういいだろ」

「信用できないもん」

舌打ちがもれた。

「どうしろっての」

「あたしにだって、わかんないよ!」


唐突に、さやかは暴れ出した。

「もうっ、どうしてあたしを見てくれないの!」

虚空に、次々と雑多なガラクタが現れる。


辞書、トースター、椅子、インスタントラーメン、マグカップ、ノートパソコン、バレーボール、写真立て、鞄、アイロン台、スピーカー、コート、ブラシ、毛布、靴、フラスコ、せんべい、クッション、シャワーヘッド、ぬいぐるみ、スコップ、扇風機、電気スタンド、クッキーの缶、等身大フィギュア、液晶テレビ、ギター、炊飯器、絨毯、ノコギリ、タイヤ、三輪車、白衣、トイレットペーパー、ハンガー、草履、色鉛筆、カメラ、ラジコン、ボディーソープ、じょうろ、泡立て器、体重計、そろばん、それから、それから……。


床に転がる雑貨を次々と、さやかは放り投げる。

涙まじりに、彼女は叫んだ。

「なによこれ。意味わかんない!」

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