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転ぶ三日月  作者: 瀬野とうこ
第二章 : ひしめく欲望のキノコ狩り
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第八話

「三日!」

ぱっと彼女が振り向く。その隣りを歩いていた、優等生じみた、シンプルな装いの少年も足をとめる。


「おやおやまあ」

なぜか柾木がたのしげに目をまたたき、手をあげた。

三日と一緒にいた少年が、すこし驚いた顔をしてうなずきかえした。

「知り合い?」

「さっき話した幼馴染」

どうやら互いの幼馴染と同時にでくわしたということらしい。


三日が小走りに寄ってくる。

「サッカー終わったの?」

「途中、雨で中止になっちゃった。三日は、まだ補習?」

「ううん。私も終わったところ」


「外、すごい雨だよ」

「うん、でも、ちょっと前が一番すごかったよ。今はすこし落ち着いてきたかも」

「そうか」

歩きながら、三日が皐月のチームメイトに目を向けて言う。

「皆、けっこう濡れちゃったみたいね」

「水の中で雨に降られるっていうのも、おかしなもんだな」

そう小声で返すと、かすかに笑う。


三日のあとをついてきた少年が、柾木に声をかける。

「本当に来たのか。ものずきめ」

「まあね、来たかいはあったかな。ここ、おかしな学校だねえ」

そう言われて渋面をつくる少年は、どうやら常識を重んじる性質らしい。

「物見遊山かよ」と、ぼやくのが聞こえた。


「三鷹くん、お友達?」

三日がたずねる。

「ああ。中学のクラスメイト」

そこで簡単に四人で名乗り、挨拶を交わしたところで、柾木が言った。


「僕ら、もう帰らなくちゃいけないんだ。奏、かわりにアレ探しておいてくれない」

「アレってなんだよ。頼まれたやつだったら、ちゃんと部室に返しておいたぞ」

「それはそれ。そうじゃなくてさ、鍵となってるほうの亀だって」

柾木は本気でこの学校に御使いの亀がいると信じているのだろう。

そんなことを幼馴染だという奏に頼みはじめた。


しかし、奏のほうは乗り気ではないらしく、こう渋る。

「亀なんてどうでもいいって、昨日も言ったろ」

「でも、奏も今後、海に出る機会があるかもしれないじゃないか。海の生き物に恩を売っておいたっていいんじゃない」

「どこにいるかもわかってないんだろ」

「そうなんだよね。『枠の中の海』って、いったいなんなんだろう」


釈然としない様子で、柾木が言う。すると、

「え?」

三日が声をあげて柾木を見上げた。

三日も女子にしては長身なほうだが、柾木はさらに背が高い。


「望月さん、だっけ。心当たりがある?」

きかれて、三日は首をひねる。

「そういうわけでもないのだけど」


「突然ごめんね。僕ら、普通の亀を探してるわけじゃないんだ。けどもし、学校の中に、水槽以外で亀がいそうな場所を知っていたら教えてくれないかな」

「亀に見覚えはないの」

「なんだっけ、朔、当てにならないヒントをもらっていただろう」

「そうそう。海は紙なんだって。写真かな、とも思ったんだけど、どうだろう」

「……紙に、海に枠」

三日がつぶやく。


「亀に心当たりはないけれど、美術部で海の絵を描いている人なら知ってるわ」

柾木がはっとして指をさす。

「それだ! 当たりっぽい。そういえば、塗料がどうとかも言ってた」

しかし奏は納得がいかない様子だ。

「なるほどね、写真じゃなくキャンバスか。でも、絵の中に亀は棲まないだろ」

「いや、紙の枠で泳いでるっていうんだから、ない話じゃないと思うよ」


わけがわからないといったそぶりで柾木と奏の顔を交互に見比べる三日に、ためいきをついて皐月は説明をしてやった。

「あのさ、海で女官に恋をした男がいるって話をしただろう」

「ええ」

「その男が龍宮城の女官の元へ行くのに、道案内の亀が必要なんだって。で、その亀がこの学校にいるらしいってこいつら話してんの」


三日がきょとんとした目を皐月に向ける。

「浦島太郎の、あの亀?」

「いや、どんな亀かは知らないけど、亀は亀なんじゃない。でまあ、亀が見つかれば、沖に来ている海坊主も満足してどっかに行ってしまうんじゃないかっていう、そんな話」

「ふうん」


皐月は柾木に厳しい眼差しを向けた。

「さて、それで、仮に亀が見つかったとして、お前どうすんの」

「海に返すよ」

「なんのために」

問うと、柾木は口もとをゆるめた。笑ってみせたのかもしれない。

「海坊主が騒ぐせいで安心できないって声をあちこちで聞くんだ。かわいそうでしょう。だから、善意で」


「しかし、写真にせよ絵にせよ、そんなところの亀をどうやって……」

海に返そうというのかと問い詰めようとしたとき、とうに玄関で靴を履き終えていた部長にどやしつけられた。

「遅いぞ!」

「すみません」

あわてて靴をはき、玄関を出る。


「三日、オレ、一旦学校に戻ってから解散になるから。あとで下の駅で会おう」

すると柾木も、押し付けるように奏にこう告げた。

「とりあえずその絵、見てきて。他にも探してみてよ。電話する」

「はい」と、三日は素直にうなずき、もう一方の奏は露骨な不満顔で、手を振った。


外は雨。

いまさら濡れたところで大差はないが、なんとはなしに皆が駆け足となって、バス停へと向かう。

正門をくぐると、ぱたりとキノコの姿を見かけなくなる。

あのキノコも、類は友をよぶうちに含まれる存在なんだと、そう思った。






「さてと」

疲れたような顔をして、奏が三日を振り向いた。

「妙なことに巻き込まれたね。望月さん、その絵を描いたっていう人のところに案内してくれる?」

「ええ、それはいいけど」


いまいち話が飲み込めていないまま、三日は玄関に背を向けた。

すこし離れたところに立っていたさやかと、ふいに目が合う。

思わず息をのんでしまうほど、厳しい眼差しが三日をつらぬいた。

立ちすくむ三日に、鼻を鳴らすと、さやかはつんとそっぽを向いて、廊下の向こうに立ち去った。


「望月さん?」

奏がけげんな面持ちで三日を見る。

「何かトラブル?」

「ううん、たぶんちがう」

「そう?」

曖昧な返事に納得はいかなかっただろうが、三日にもよくわかっていないのだ。


(やっぱり嫌われているのかな)

小学生の時分は、悪感情を向けられると感情のおもむくがままに暴れ返していたのだが、いつしかそれにも飽きた。

感情の齟齬があったとして、解決する方法など思いつきもしないから、放っておくよりほかにない。

だって、世の中、複雑なのだ。


ともあれ三日は、奏とともに美術室へ向かった。

率直なところ、三日は亀が見つかるなどとは考えていなかった。

『枠』と『海』というキーワードから、涼一の絵を連想しただけで、あの絵に亀など描かれてはいなかったからだ。

仮に描かれていたところで、それが海坊主の求める亀だなどと考えることはなかっただろう。


はたして美術室には、今日もひとり、涼一がキャンバスに向かっていた。

「やあ」

三日をみとめて、涼一の瞳にやわらかな光が宿る。

「こんにちは」

三日と奏は頭を下げて室内へ踏み入った。


「よく来てくれたね。三日さんと、それからお友達?」

「クラス委員の三鷹くんです。こちらは涼一さん。とても素敵な絵を描くの」

「どうも」

昨日も感じたことだが、涼一は独特の雰囲気がある青年だ。

眼鏡をかけている今日も、彼のまとう清らかな空気には目をひかれる。

三日はおずおずと口をひらいた。


「あの、今日はちょっとぶしつけなお願いがあって」

「なに? うれしいな、なんでも言ってよ」

「絵を見せてほしいんです。海の絵を」

「オレたち、亀を探してるんだ。亀がいる絵はないかな」

勇敢にも、奏はとっぴに聞こえる質問をずばり口にした。


「亀かい」

涼一は動じることもなく、キャンバスを手にとると、三日に向かって差し出した。

「迷子の亀を探しているの? これのこと?」


「あ」と、奏が声をもらした。

目を丸くする奏の顔を、三日は不思議に思ってのぞきこんだ。

「三鷹くん、どうかしたの」

「は。だってまさか、本当に亀が。うそだろ」

「亀?」


奏が凝視するのは、昨日見たのと同じ、南国を彷彿とさせる色鮮やかな海の絵だった。

当然、そこに亀など存在してはいない。

いぶかしく思う三日に気づいたのか、奏は低くつぶやいた。

「望月さん、眼鏡」

「ああ、そっか」


言われて三日は眼鏡をはずした。

とたんに、キャンバスの中で海がたゆたう。

(わあ)

きらきらと光る海の中で、亀が一匹心地良さそうに泳いでいた。

(きれい)

うっとりと目を細める三日に、涼一が微笑む。


「気に入った?」

「ええ。驚いた。本当に生きて動いているのね」

「きみにあげるよ」

おどろいて、三日は顔をあげた。

「亀を探していたのでしょう。三日さんが必要としているなら、どうぞ持っていって。海に返してもいいし、このままどこかに閉じ込めてしまってもいいんだよ」


穏やかに語る涼一に、奏もあっけにとられているようだ。

「えらくトントン拍子にカタがつくな」

そう口からこぼれるのが聞こえた。


三日は手渡された絵を受けとって、すいすいと水をわたる亀を見つめた。

「せっかく描いたものを、本当にいただいていいの?」

涼一の絵にはどんな魔力が込められているというのだろう。

体の芯から惹きつけられる絵だと昨日も思った。そして今、キャンバス越しに海中を眺めていると、この中に吸い込まれてしまいたいという欲求さえいだくのだ。


三日は感嘆の息をついた。

(ああ。――泳ぎたい)

けして泳げるようにはならないといわれている三日の、湧き上がる思いが胸をしめつける。

しかしこうして泳ぐ亀を見ていると、水をかきわけて巡るのはさぞかし気持ちがよいのだろうと思えるのだ。

「いいなあ」

思わずそう吐露していた。


涼一が、切なげに眉根を寄せる。

「さあ、持ってお行き。きみの願いならなんでも叶えてあげたいけれど、あいにくそうもいかないからね。これくらいならお安い御用だよ」

「ありがとう」

素直にそう礼をいえた。


「また、これからも絵を見せてくれる?」

「もちろん。いつでもおいで」

涼一はきれいに笑う。

不思議な人だと、あらためて思う。


涼一と三日が穏やかな表情で見つめあっていると、奏が「えーと」と、口をはさんだ。

「すまないが、ちょっといいか」

「ああ、きみ。何」

すっと冷めた顔をして、涼一が奏を見やった。


「ありがとう。いちおう、オレからも礼を言っておくのと、あと、ききたいんだど、この亀を海に返す方法を知ってたら教えてくれないかな」

「ああ。そんなこと」

涼一は一転して淡々とした口調でこたえた。

「その亀は僕の描いた絵に迷い込んできただけなんだ。だから海にキャンバスごと放り込んでやればいい。きっと自分のいるべき海域に戻っていくよ」

「そうか」


「……でもそれじゃあ、せっかくの絵がだめになっちゃうんじゃ」

もったいないと、思うのだ。

だけど涼一はまったく頓着していない素振りで手を振った。


「かまわないよ。手慰みに描いていただけだし、海の絵なら何度でも描く。三日さんも、また見に来てくれるんでしょう」

「うん」

「今度はちゃんと、きみの手元に残るような絵をプレゼントするよ」

それは非常に魅力的な申し出だった。

胸元にキャンバスをぎゅっと抱きしめ、感謝の気持ちを涼一に告げた。

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