第七話
昼休み、三日は千佳とともに学食で焼魚定食を食べたあと、同じく昼食を終えてのんびりと過ごしている奏を見かけて、声をかけた。
「今日はもうキノコを採らなくてもいいの?」
奏はいくぶんすっきりとした面差しで、「代わりが見つかったんだ」と言い、食堂の一角を指差した。
「ほら、あの人。一年生のたくさん食べる人」
示された先には、首にタオルを巻き、帽子をかぶってごはんをかきこむ原田の姿がある。
「原田くん?」
「知ってる人?」
「同じ部活なの」
原田とは昨日顔を合わせたばかりだ。
食に並々ならぬ情熱をかたむける人なのは知っていたが、今もテーブルの上にはカレーとラーメンととんかつと、それに山盛りのサラダが載っている。
もくもくと料理を口に運ぶ彼を遠目に見やり、三日はたずねた。
「代わりって、どういうこと?」
「生徒会のためにキノコを集める役、肩代わりしてくれたんだ。あの人、百々さんをずいぶんと慕っているらしくて、こころよく交代してくれたんだよ」
「百々さん?」
首をかしげる三日に、横から千佳が口をはさんだ。
「会計の音無 百々さんだよね。あの人きれいよねー」
「そう、その百々さんが頼んだら、ちょっとびっくりするくらいやる気をだしてね、朝からばんばん採ってきてくれてるんだって。おかげでオレは解放されて、のんびりごはんが食べられるってわけ。ありがたいね」
「原田くんって、よっぽど美人に目がないのね」
千佳が呆れた眼差しを原田に向けた。
「でもまあ、音無さんに惹かれるのはわかるかな。あたしもうっとりしちゃうくらいスタイルいいもん、あの人。話したことはないけど、姉後肌っぽいし、人気あるんだよね」
「たしかに、売り物にするだけあって、スタイルはいいな」
うなずく奏に、三日はたずねた。
「売り物ってどういうこと?」
「百々さん、熱心なアルバイターなんだ。なんでそんなにってくらい、よく働くよ。オレの聞いたかぎりでも、ウェイトレスに貨物運びに、手品師の助手とか、あと風変わりなところで地下アイドルとか。いつも体が資本だって言ってる」
「へええ」
千佳が感嘆の声をあげた。
「どうりで引き締まった体してるわけね。あこがれるわあ」
三日は、千佳の丸みがあってふわんとした体つきがやわらかそうで好きなのだが、人は自分にないものに憧憬を抱くものなのだろう。
「でもま、よかったね委員長。キノコ集めるの、嫌そうだったもんね」
「ああ。自分のやりたいことに時間が使えるって、いいことだよ」
そのとき、学食の入り口をくぐってきた女子の一団が、きゃあきゃあいう声をあげた。
耳をつく声に、何事かと思って目をやると、一年の女子生徒が興奮した様子で話をしている。
「あ」
三日の口から音がもれる。
五人集まった生徒の中心に、昨日三日につっかかってきた八又 さやかの姿があったのだ。
「やかましいな」
奏がわずかに眉をひそめた。
食事時のピークを過ぎて、人気もまばらになった食堂に、彼女たちの声が聞くともなしに耳にとどく。
「早く放課後にならないかな!」
「たのしみだよねー」
その中に皐月の名前があがるのを耳にして、彼女たちが何に対して盛り上がりをみせているのか思い当たる。
「ああ、サッカーって今日だったっけ」
三日がつぶやくと、奏も合点がいったようすで、あいづちをうった。
「そういや、そんなこと言ってたな」
「他人の試合を見て、なにがそんなに面白いんだろう」
「それもそうだな。うちのサッカー部、そんなに強いって話はきかないし、練習試合ごときでそうまで騒ぐこともないだろう」
「あ、そうか。……たぶん、サッカーが目当てなわけじゃないと思う」
小学生の頃はまだしも、中学に入ってからの皐月の人気には、三日もうんざりしてたのだ。
入り口脇の自販機の前でたむろして騒ぐ彼女たちを目にして、三日はほとんど確信を得ていた。
(サッカー部の応援じゃなく、皐月の応援がしたいんだね)
他校の女子にまで熱く話題を提供するなんて、幼馴染の少年も難儀なものだと呆れてしまう。
「どういうこと?」
奏が問うのへ、三日はこたえた。
「練習試合の相手の他校の生徒に会いたいんだと思う。普段接する機会もないから、嬉しいんじゃないのかな」
「八重樫だろ。そんなに上手い選手でもいるのか」
と、そこへ、これまできょとんとしていた千佳が、すっとんきょうな声をあげた。
「え、えええ! なにそれ。八重樫のサッカー部が来るの?」
襟をつかみあげかねない剣幕の千佳に、あっけにとられて三日と奏はうなずいた。
「らしいな」
「そう聞いたけど」
見ると、千佳の頬は紅潮し、握った拳はふるふると震えだした。
「うそ! やだ、うそ、素敵!」
「はあ?」
けげんそうな奏をよそに、千佳は興奮を隠そうともせず続けた。
「八重樫のサッカー部と練習試合があるの? 今日、この学校で?」
「そのようね。放課後にグラウンドでやるって聞いたわ」
「ってことは、二階堂くんが来るってことじゃないの!」
(ああ。やっぱり)
三日はこっそりと息をついた。
以前、千佳が皐月の顔を拝みたいと話していたのを思い出したのだ。
皐月のどこがそれほど女子の気をひくのか、身近な存在すぎて三日にはよくわからない。
なにしろ、相手は自分の兄弟のようなものなのだ。
好きにやってくれとは思うが、騒動に巻き込まれるのはごめんだった。
「やだ、夢みたい。そりゃあ騒ぎもするよ。ああもう、そんなお得情報知らなかっただなんて、不覚だわ!」
「そうなのか」
「そうなのよ。まさかこんなに早く二階堂くんに会えるだなんて。これは張り切って応援に行かないといけないね」
瞳をかがやかせる千佳に、「三日も行こうよ」と、声をかけられて、首をふる。
「ううん、私、今日の放課後は補習があるから」
「終わってからでも、まだやってるかもよ?」
「スポーツに興味ないし」
「スポーツじゃないよ。噂の二階堂くんをチェックしに行くんだよ」
「……いってらっしゃい」
さめた目を向ける三日に、千佳が不満げな声をもらす。
「もったいないなあ、せっかくのチャンスだっていうのに」
奏が口をはさんだ。
「その二階堂ってのが目当てで、あいつらも盛り上がっているのか」
「そう。すごくかっこいいって評判なんだよ。いいよね、麗しい男子が汗を流す姿。躍動する筋肉。しなやかな動作と輝く笑顔!」
「そうか。よかったな」
気持ちのこもらない平坦な声で、奏が言う。
「……男も体が資本か?」
そうして、奏がぼそっとつぶやくのを、三日は聞いた。
万理万里学園には、エースストライカーがいる。
「火をふくシュートってやつ、見てみたかったな」
皐月の見つめる先には、炎のエース、仁木 風太がいた。
スポーツ刈りをした細身の二年生だ。
いかにもスポーツ少年めいた、カラリとした笑顔をふりまいている。人のよさそうな男だ。
その風太の表情とはうらはらに、空は黒い雲に覆われ、グラウンドにはざぶざぶと雨が降っていた。
八重樫高校と万理万里学園の練習試合は、前半戦を終えたところで雨のために中止となった。
得点は二対二。他校との試合ははじめてで、たのしみにしていただけに残念だ。
とくに、エースと名高い風太が気迫をこめて放つボールは熱気をまとい、かげろうすら立ち昇らせると聞いていたから、なおさらだった。
雨をよけ、第二体育館のかたすみで、帰り支度をしながらバスの時間をまっている皐月のところに、応援に来ていた柾木がやってきて話しかけた。
「せっかく来たのに、もう帰るなんて残念だね。うわさに違わない風変わりな学校だっていうのに」
どうも柾木は、サッカーなどそっちのけで、万理万里の学内に興味をいだいているらしい。
それも無理のないことか。皐月も正門をくぐるなり、あっけにとられてあたりを見回したくちだった。
「ヘンな学校ってのは、オレも思った。学び舎って雰囲気じゃないよな」
なにしろ学校中、キノコだらけだ。いくら湿気が多いからといって、自然に繁殖する規模を超えている。
(しかも、子どもの落書きみたいな色合いのやつばかりだろ)
学校ぐるみで育てているのだろうか。
グラウンドから体育館に移動する間にも、カゴを背負ってキノコを集めている生徒がいた。
「高槻が昨日、気をつけろと言っていたのもわかる気がするな。毎日ここに通っていたら、このけったいな光景があたりまえだと感じるようになるんじゃないか」
「それはこわい」
柾木が首をすくめた。
「環境が人をつくるという部分もあるからね。あまり毒されないようにと、幼馴染に言っておかなくちゃ」
「そういや、お前も友達、ここに通ってるんだっけ」
「うん。今日は補習があるとかで会えなかったのだけど」
「へえ」
そういえば、三日も補習だと言っていた。
(あいつ大丈夫かな)
万理万里にははじめて足を踏み入れたが、わずかな合間にも、人間らしからぬ気配をまとった人物が幾人もいた。
人間ならば安心だとは皐月は考えていなかったが、混沌とした場にはトラブルも他より多く起こるのではないか。
そんななかで、いまだに自我を確立できているとはいいがたい幼馴染の少女がどのような影響を受けるのか、気になった。
(三日にはまだ、自分ってものがないからな)
そばにいてやったほうがよかったかと、後悔にも似た気持ちがちらりとよぎった。
中学までの、互いの友人は互いだけだというような閉じた関係を打破しようと、自立を志した少女の気持ちを汲んだ結果だ。
(まあ、学校は面白いって言ってたからな。なんとかなるか)
――すこし面白すぎる気もするが。
群生するキノコの匂いが鼻につき、顔をしかめる。
(この漂ってる胞子も、害はないのかね)
たらたらと物思いにふけっていると、そこへ引率の教師の声がかけられた。
「時間だ。各自、荷物を持って、挨拶」
野太い返事がいっせいにあがる。
皐月も周囲にならい、対戦相手へ感謝を述べる。
柾木と連れ立って体育館の外へ出ると、――そこには女子の集団がいた。
そんなに他校生がめずらしいのかと、熱のこもった視線をあびてげんなりとしたが、男子校に通う男の悲しい性なのか、チームメイトも浮き足立っているのに気づき、肩をすくめる。
取り囲む女子生徒の幾人かに声をかけられる。
「残念だったね」とか、「また来てね」とか、好意的な態度を示されると、まあ悪い気はしない。
適当な返事をしながら、ひらひらと手を振る。
中には、八又 さやかの姿もあった。
さやかはひときわ熱心に、「また応援に行くからね」と、うるんだ瞳で声をあげた。
柾木に背中をつつかれる。
「さすが二階堂くん。すみにおけない」
そうからかう柾木は、気もそぞろな様子であたりを見回していた。
「どうした柾木、好みの子でもいたのか」
皐月がきくと、「いや」と即座に否定して、かすかにうなる。
「ちょっと探したいものがあったんだけど。……自由に探し回れないんだったら、やっぱり無理かな」
「なに探してるんだ」
「うん、亀」
「亀?」
意表をつく答えに、ぎょっとする。
「なんでまた」
「頼まれたんだ。ここ数日、この街は住み心地が悪いと僕も感じていたからね。迷子の亀を海に返してあげられたら落ち着くのかと思って」
「それって……」
もしかして、と続けようとして、言葉につまる。
(なんて言やいいんだ?)
この飄々としたクラスメイトにも、街を覆う海の水が見えているのかもしれない。
「海のものは海の中へ。そんな単純なことで気の済む者がいるのなら、やってもいいかと思ったんだけどね」
「しかたないから、ひとに頼むか」と、ひとりごちる柾木に、こいつは何者なのかと疑念がつのる。
皐月は重い口を割って言った。
「お前が探しているというのは、――海で巨人が探してる、御使いの亀なのか」
やっとの思いでたずねると、柾木は声をはずませた。
「そう! やっぱり二階堂くんも気づいてたんだね。そんな気がしていたよ」
「その亀が、この学校にいるってのか」
「僕の聞いたかぎりでは、そうだね」
(とんでもないな)
よほどこの学校は、常ならぬ者どもにとって、居心地がよいらしい。
(引き寄せるんだろうな)
類は友をというやつだ。その中には、幼馴染の少女も含まれる。
思った以上にやっかいな学校だ。
だからだろうか。玄関に向かう途中、廊下の先に彼女を見かけたとき、とっさに声をかけていた。