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転ぶ三日月  作者: 瀬野とうこ
第二章 : ひしめく欲望のキノコ狩り
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第二話

目覚めたら、人の気配があった。

三日は起き出し、洗顔をすませると、ふたつある個室のうち、もう一方のドアを開けた。

LDKをはさんで、三日の寝室とは反対側に、皐月の間借りしている私室がある。

案の定、部屋に置かれたソファベッドに、寝そべる少年の姿があった。


部屋のカーテンを開けて、朝日を入れる。

外は雲っていたから、さわやかな陽光とはいかなかったけれど、それでも室内はぱっと明かりをとりもどした。

大判の枕に顔をうずめた彼が、身をよじる。


「朝だよ。皐月、おはよう」

皐月は朝が弱い。この時期はことさらにだ。

低くうめく彼から、布団を剥ぎとる。

「起きなよ」

「……ああ、うん」

生返事が返ってくる。


「おはようってば」

「おはよう」

「朝ごはん食べるでしょ」

「たべる」

「学校も行くでしょう」

「行く」

「ちゃんと起きて」

「起きるよ」

そう言ったばかりの彼のまぶたが、ふたたび閉じる。


寝返りをうった頬に、薄茶の髪がさらりとかかった。

皐月は、日本人の父とフランス人の母との間に生まれた。

三日の、ただひとりの幼馴染だ。


このままでは埒があかないと、三日は皐月の両脇に手を差し入れて、ぐいと上体を持ち上げた。

そのまま、ずるずるとリビングまで引きずっていき、ソファに体を放り出す。

「ほら、ごはんの時間。したくして」

眠いとぼやく彼の頭をかるくはたく。

「家に戻って着替えもしないといけないでしょう。はやくしなよ」


両手でゆるく癖のある髪をかきあげて、のろのろと皐月が活動をはじめる。

その隙に、三日は朝食のしたくをした。

といっても、トーストを焼いて、スープの残りをあたためるだけだけれども。


「ごはんできたよ」

声をかけると、ようやく意識のはっきりしたらしい皐月が、洗面所から出てきて席についた。

「おはよ」

「おはよう。バターとクリームチーズとジャムとレバーペースト。どれがいい?」

卓上に瓶を並べて、意見をうかがう。

「うーん、バター」

皐月が手をのばし、トーストにバターを塗っていく。


三日は昨夜の残りの中華スープをすすって、問いかけた。

「ゆうべは遅かったの?」

「んー、そうでもない。三日はとっくに寝てたみたいだけど」

そうして、思い出したように、身をのりだした。

「そうだ。だめだろ、また窓開いてたぞ」

「そうだっけ。ああ、暑かったから」

「暑くないよ、まだ」

「暑いよ」

「どこが。ずっと曇ってて、太陽だって出てないじゃん」

皐月が身振りで窓の外を指し示す。

三日は複雑な思いで外を見た。


「……たしかに、けったいな気候ではあるけど」

昨日はまだ階下にあった水面が、今朝にはとっくに天井を越えていた。

世間は水びたしだ。リアルには存在しない水に、人も建物も飲み込まれている。


「水槽の中にいるみたいね」

三日はつぶやいた。

そうする間にも、水で光が屈折するのか、時折視界が歪む。


「溺れそう?」

「ううん。でもふしぎな気分」

皐月はうなずいた。

「水の中にいるなんて、はじめてだろ。めったにない機会だから、満喫しなよ」


三日は筋金入りのカナヅチだから、たしかに水中からものを見るなんていう経験はなかった。

「きれいね。落ち着かないけど」

「ああ」


それから皐月は、昨夜耳にした、女官に恋をしたという海の人影の話をした。

「へえ。それで街が水没しちゃっているの」

「っていうはなし」

「よほど想いが強いのね」

「よくいえば一途ってことなんだろうけど、まあ、迷惑なはなしだよな」

「変わったこともあるものね」

そのせいだろうか。例年にないほど、先日から湿気がすごい。


「ごちそうさま」

先に食べ終え、下げた食器をざっと洗いながら、皐月が言った。

「そういえば、オレ明日、三日の学校行くんだよ」


「え、どうして?」

三日は食事の手をとめ、彼を見た。

「放課後そっちで練習試合。万理万里、行くのはじめてだな」


皐月はふもとの男子校で、サッカー部に所属している。

そういえば、以前に部活で、皐月の学校とは交流が多いようなことを、先輩が言っていた覚えがある。

「そうなんだ。試合があるの。暑いのにたいへんだね」

「いやだから、そこまでまだ暑くないって」

背中を向けた皐月が笑いをもらす。

「グラウンドでやるらしいよ。見にくる?」


三日はすこし考えた。

「ん、たぶん無理。明日は放課後、補習があるもの」

「そっか」

それ以上は誘うそぶりもみせず、皐月は三日の使い終わった食器を片端からうばって洗っていった。


「じゃあオレ、帰るから。いってらっしゃい」

そう言って帰宅する皐月を玄関で見送り、三日も学校に行く荷物をまとめる。

玄関に置いてある眼鏡を手にとり、両手でかける。


同時に、部屋を満たしていた水の幻影がさっと失せた。

大気はいつもよりもねっとりと体にまとわりつくが、それだけだ。

「いってきます」

そう口にして、靴をはいた。






自宅から電車でひと駅。そこから徒歩十五分の場所に、皐月の通う八重樫高校はある。

山のふもとの立地で、色気もそっけもない、公立の男子校だ。

万理万里学園は、もっとぐっと山をのぼったところに位置しており、駅前から送迎バスが出ている。

同じ駅の利用者なので、必然的に皐月は毎朝、三日と同じ制服をまとった学生をそこここで目にする。


学内では共学校をうらやむ声もあるが、皐月としては男子校を選んでよかったと、しみじみ感じているところだ。

今日も、登校中に駅を出たところで、とある女子学生に声をかけられた。

「あの、おはよう。二階堂くん」

「……おはよう」


ポニーテールがまぶしい、やせ型の少女だ。

鼻から頬にかけてちったそばかすが、かわいらしいといえなくもない。

「えっと、呼び止めてごめんね。二階堂くん、サッカー部だったよね。明日うちの学校で合同練習があるってきいたんだけど、二階堂くんも来るの?」

「そうだね。たぶん」

彼女は時折こうして声をかけてくる。万理万里の一年生、八又 さやかだ。


淡々とした返答をする皐月とは逆に、緊張に頬を染めて小包を差し出す。

「あの、あのね。それでもしよかったらなんだけど、スポーツタオルなの。受け取ってもらえないかな」

皐月はためいきをつきたくなった。

告白をされたのが先月。ことわってから、プレゼントを用意されるのは三度目だ。


「ごめんね。誰からも、なにも貰わないようにしてるんだ」

「……そう」

さやかは目に見えてがっかりした様子で包みを抱きしめた。

「気持ちだけ受け取っておくよ。ありがとう」

そうして歩き出した皐月に、さやかは言った。

「うん。明日、応援してるから!」

軽くうなずいて、足を進める。


朝から気分が下降する。

(わずらわしいな、もう)

女性うけする容姿をしている自覚はある。

便利だと思うこともあるけれど、迷惑をこうむる機会のほうが圧倒的に多かった。


足早に学校に向かい、ふてくされた面構えで登校する。

教室で席についた皐月に、声をかける者があった。

「おはよう、二階堂くん。朝からご機嫌斜めだね」

「ああ、柾木。おはよう」

頭を上げると、感情のうかがえない細い目と目があった。

クラスメイトの柾木まさき さくだ。

自宅が弓道の道場をひらいているという、弓道部の男だ。

なぜか皐月になつき、よく話しかけてくる。


「さっき、万理万里の女子につかまっていたでしょう。プレゼント、ことわっちゃったの?」

「受け取る理由がないからな」

「もったいないね」

「全然」


柾木はあきれたように言った。

「しかし二階堂くんはよくモテるね」

皐月の眉が寄る。

「見た目がめずらしいだけだろ」

色素の薄い髪と目が、人目をひくのだろう。

女性は嫌いではないが、しつこくつきまとわれるのは迷惑だ。


柾木が言う。

「共学の学校に行ってたら、さぞかしにぎやかだったろうね」

「それが嫌で八重樫にしたんだよ」

「ああ。そうなの」

「中学で懲りたんだ。あいつら物見遊山気分だから」

「それはずいぶんと贅沢な悩みだね」

さして羨んでいる様子もなく、柾木は肩をすくめる。


「おや。高槻くんだ」

言われて背後に目をやると、高槻たかつき 翔吾しょうごがやってきて、斜め後ろの席に腰をおろした。

「おはよう。なんの話?」

「モテる男の弊害についての話。二階堂くんが今朝も女子につかまっていたから」


「ああ」

高槻の目が面白そうな光をたたえる。

「美人?」

「普通」

「ふうん。普通ならいいんじゃないのか」

皐月は顔をしかめる。

「よくねーよ。しつこいんだもん」


「二階堂くんは年上が好きなんだよね」

「へえ。彼女いるの」

問われて、皐月は首をかしげた。

「……たぶん」

「たぶんってなんだよ」

「たぶんはたぶんだよ。あるだろ、そういう微妙なの」

柾木が笑う。彼は目が細いから、口元が歪まないと笑っているかどうかの判断がつかない。


「その年上の彼女はいくつなの」

「さあ。十個上くらい」

「二十五!」

高槻が目を見開く。

「すげ、いいな!」

つられて皐月もけらけらと笑った。

「なに興奮してんだ」


「だって社会人だろ。うわ、犯罪」

「そういう人と、どこで知り合うわけ? 不思議だな」

「海で」

「海で?」

皐月はうなずいた。

「そう。海に行ったらいたんだ」


だから付き合うようになったと説明したら、高槻が盛大に顔をしかめた。

「お前の話、ぜんっぜん参考にならねえ」

「うん。ならないね」

高槻が盛大なためいきをもらす。

「あーあ、やっぱりスポーツやってるヤツはモテるのかね」


「スポーツといえば、二階堂くん、明日は練習試合だって?」

「ああ。放課後、万理万里でな」

そう告げると、高槻は不快げに鼻を鳴らした。

「うげ。俺、あのガッコ嫌い」

「どうして?」

「気味の悪いヤツが多いだろ」


どんな偏見だよと思ったが、そういえば三日も人間ばなれした生徒が多いとぼやいていたのを思い出し、言葉につまる。

「ああ、なるほどね」

そしてなぜか、柾木も妙に納得した様子で首を縦にふったのだ。


「個性的な人が集まっているようだものね」

「だろ。二階堂お前、あそこ行くなら気をつけろよ」

「今日のあの子も、万理万里の生徒だったしね」

そう言うと、柾木は楽しそうに声をはりあげた。

「なんだか楽しそうだな。僕、明日応援に行こうかな」


「はあ? 来なくていいよ、わざわざ」

「いや行く。決めた。高槻くんはどうする?」

「俺、行かねーよ」

「柾木、ほんとに来んの?」

皐月がきくと、柾木は力強くうなずいた。

「うん。幼馴染もいるしね。万理万里には興味があったんだ」

「へえ」


同じだな、と思った。

同時に、やはり万理万里に進学しなくてよかったとも考えた。

幼馴染の少女には申し訳なかったけれども。

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