第十話
あけて金曜日。学園は今日も平和だった。
昨日は、情報処理部に京子と芽衣を連れていったあと、千佳が目を覚ますのを待って、一緒に帰った。
常軌を逸した出来事には慣れていなさそうな千佳が、大グモに襲われたことをどう乗り越えるのかと心配したが、一夜あけて教室で顔をあわせた彼女は、まったくいつもの千佳だった。
(ほんとうに人間ってよくわからないな。たくましいってことなのかしら)
ううむとうなる。
「いちおうね、お守りをもつことにしたんだ。お正月に神社で買ったやつ」
そういって千佳がカバンから出して見せてくれたのは、学業成就のお守りだった。
意味がないのではと思ったけれど、千佳は自信満々なそぶりで、胸をたたいた。
「学業を成就するってことは、きちんと卒業までめんどうみてくれるってことだから、だいじょうぶ」
「なるほど」
その迫力におされて、こくこくとうなずく。
昼休みには、部室の片付けをするために、二人で家庭科室へ向った。
部屋には京子と芽衣もすでに来ていて、ぴんぴんとしている京子の姿に、安堵の息をもらした。
「先生!」
千佳が甲高い声をあげ、室内に駆け込む。
そういえば、いつも見えないから忘れがちだけど、朝倉も昨日は部室にいたのだっけと思いつつ、三日は眼鏡をはずした。
千佳が「急に消えたりするから、びっくりしたじゃないですか」と話しかける先に、朝倉はいた。
(……薄い)
三日はどういう顔をしてよいのかわからず、再び眼鏡をかけた。
いつもと変わらぬ割烹着姿の朝倉は、体をたもっていられなかったダメージが残っているのか、いつもより体が薄く、透きとおって見える。
床のガラスを掃いているようなので、動く箒を目安にすれば、ぶつかることもないだろう。
昨日割られたガラス窓には、ダンボールが外と中から貼られていた。
「週末に業者に入ってもらって、なおしておくからね」と、朝倉の声がする。
部室は、さほど荒れてはいなかった。
「三日ちゃん。昨日はほんとうにありがとう」
机をふいていた芽衣と京子が、やってきて言った。
「世話になったね、たすかったよ」
「ごめんね、わたしたち、上級生なのに三日ちゃんと千佳ちゃんを守ってあげられなかった」
縮こまる芽衣の背中を、京子がやさしくさする。
「芽衣さんのせいじゃないよ。私だって、ずっと芽衣さんを守ると決めていたのに、足止めにもならなかったんだから。情けないよ」
「ううん、京子はわたしを守ってくれたよ。……でも、すごく胸が痛かった。もう、あんな無茶はしないで。おねがいよ」
芽衣を見つめる京子の瞳が、甘やかな光をおびる。
「芽衣さんはやさしいね。そんな芽衣さんだから、好きなんだ。でも、もしまた似たような状況になったら、きっと私は同じことをしてしまうと思う」
――三日は、ただならぬ雰囲気に、途方にくれてあたりを見回した。
窓辺では、千佳が同じように口をあけて、京子と芽衣を見ていた。
「そんな、困るわ」
「困らないよ。耐久性能、すこし上げてもらったんだ。役に立つよ」
芽衣は、いささか憤慨したように言った。
「わたし、役に立つから京子のことが好きなわけじゃないのよ」
「知ってるよ。ごめんね」
「もう。……ケガ、しないでね。京子がいなくなっちゃうのかと思って、わたし昨日、すごく怖かった。自分がケガするよりも、ずっとずっと怖かったんだから」
「芽衣さん」
芽衣と京子が見つめあう。
「えええええ!」
千佳の情けない声があたりにひびいた。
これが世に言う二人の世界というものかと、三日は一歩後ずさった。
芽衣を見つめる京子の瞳は、以前に彼女が、「心が豊かで優しい人がいい」と語っていた
ときと同じ、あたたかな眼差しをしていて、――ようやく想いが通じたのかなあと、三日はぼんやり考えた。
「ええと、ひとまず、お二人とも元気そうで安心しました」
三日は言った。
「うん、望月さんのおかげだよ」
「制服、新しくなったんですね」
「あー、これ、そうなんだ。お腹のところに穴があいちゃって。新調してもらったんだよ」
京子は、けろりとした顔でそんなことを言う。
万理万里の、すとんとしたラインの制服は、京子によく似合った。
京子が着るから、すとんとして見えるのかもしれなかった。
ふっくらとした千佳が着ると、同じ制服でもいささか装飾過多に見えたから、着る人のカラーをうつしだす形をしているのかもしれない。
(なごやかだなあ)
片付けを進めるあいだに、芽衣と京子のおりなす空気にもだいぶ慣れた。
木立の精霊は、三日の家ともゆかりが深いから、芽衣がしあわせそうに笑っていると、自分もどことなく嬉しく感じるのだ。
最初は驚きをあらわにしていた千佳も、次第に納得がいったようで、「青春ですね」と、しきりにうなずいていた。
部室は意外と早くに片付いて、また来週からいつもどおりの活動がはじまることになった。
芽衣がくやしがったので、活動内容はふたたびりんごケーキ作りに決まった。
(一件落着、かな)
三日は思った。
放課後、この日は補習があって、教室に向おうとする三日の腕を、誰かがつかんだ。
振り向くと、隣りに京堂が立っている。
「京堂さん」
目を見開く三日を、京堂は、人気のない階段の踊り場に引っぱりこんだ。
「よう、お嬢ちゃん。探してたんだ。ちょっとつきあってくれないかな」
(逆恨みとかじゃないでしょうね)
大人しく腕を引かれながらも、警戒心がわきあがる。
一見したところ、昨日までと様子の違うところはない。
だが、あのあと、生徒会や雇用主との間で、ひと悶着あったのは間違いないだろう。
二人きりになると、京堂は三日の腕を離し、まっすぐに向かいあった。
やや明るめの茶色い髪が、陽の光をはじいた。
体操部だけあって、一般の生徒よりも首が太い。
上背があり、体格もよいのに、彼はとてもしなやかに動く。
「なんの御用でしょう」
「ああええと、そのだなあ」
なぜだか京堂は歯切れがわるい。
「その後、なにか問題でもありましたか」
調子のよい人ではあるけれど、悪い人にはみえないというのに、世の中誰がなにをしでかすかなんて、わからないものだ。
昨日の今日で、彼が自分にどういった用件があるのかさっぱり見当がつかず、三日はたずねた。
「いや、心配してくれてありがとうな。ちゃんと、代わりの品は用意できたんだ。目星をつけていたのがいて、そっちは穏便に処理できたんだよね。まあ、生徒会のやつらは、うざったいったらなかったけど」
京堂がかわいた笑いをもらす。そして、言いづらそうに口をひらいた。
「その、それはともかくとしてだ。早いうちに、きちんと返事をしないといけないって思ったんだよ」
「返事ですか?」
「昨日のことなんだけど」
「はい」
口の重い京堂を見上げて、三日は続きを待った。
京堂は、なぜか照れくさそうに目を細めて、こう言った。
「お嬢ちゃんの気持ちは嬉しいんだけどさ。ほらオレ、危ない仕事をしてるだろう。だから危険がおよばないように、そばに置く人間は、自分の身を自力で守れるヤツだけにしようって決めてるんだ」
「はあ」
「いや、お嬢ちゃんが力持ちなのは知ってるよ。でもさ、……ごめんな、お嬢ちゃんとはつきあえない」
「はあ、そうですか」
「嬉しかったんだけどね。積極的な子は好みだし、お嬢ちゃんは美人だし」
熱心に語る京堂に、三日は首をかしげる。
(なんのこと?)
「だから、ごめん。ごめんな」
ふいに京堂は腕をのばし、三日の頭を抱えこんだ。
あたたかな体温が、体をつつむ。
大きな手のひらが、やさしく頭をなでていった。
(ああ!)
三日は、膝をうちたい気分になった。
合点がいった。彼は、三日のくちづけの意図を誤解しているのだ。
「あの、京堂さん」
おもてをあげた三日のくちびるを、京堂はひとさし指でふさいだ。
「お嬢ちゃんの気持ちにはこたえられないけど、困ったことがあったら相談においで。オレにできる範囲でだけど、力になるから」
「いえ、それはいいんですけど……」
三日のセリフをさえぎり、京堂は首をふった。
「この学校はやっかいなヤツが多いからね。あまり危ないことには首をつっこんじゃダメだよ。――じゃあね、オレ、行くから」
「え、あ、待って」
呼び止めようとする三日に、いたわるような笑みを向け、京堂は立ち去った。
「ええ、うそ、待ってよほんとに」
中途半端に持ち上げていた腕が、ぱたりと垂れた。
京堂の去った階段の先を、呆然と見つめる。
「……ふられた」
告白もしていないのに。
「しかも、あんなに普通っぽい理由で?」
三日は思った。
人間は、なんと謎めいているのだろう。
――窓の外で、小鳥がチクチクと鳴いていた。
望月 三日、十五歳。はじめて異性に交際をことわられた、高校一年の春だった。