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「人生、やり直しできます。ただし“選択のログ”は消えません」  作者: kaiくん
第1部 やり直しの快感編

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第5話 変わり始めた未来

午後の仕事は、不思議なくらい静かに進んだ。


 いつもと同じフロア。

 同じパソコン。

 同じようなメールのやり取り。

 同じような会議の声。


 表面だけ見れば、何も変わっていない。


 けれど俺の内側では、朝からずっと、薄い熱が消えずに残っていた。


 駅で彼女に声をかけたこと。

 資料の失敗を回避できたこと。

 たった二つのことなのに、それだけで世界の見え方が少し違う。


 今までなら、「どうせ」と思って流していた場面で、ほんの少し手を伸ばせた。

 その結果が、ちゃんと返ってきた。


 それが想像以上に大きかった。


 キーボードを打つ指が、いつもより軽い。

 誰かに話しかけられても、必要以上に身構えずに返せる。


 まるで、これまでずっと自分の中に沈んでいた重りが、少しだけ軽くなったみたいだった。


「村上、今日なんか機嫌いい?」


 斜め前の席から、高橋が顔を出す。


「そう見えるか?」


「見えますね。午前の会議終わってから、明らかに空気が違う」


「空気って」


「なんていうんですかね。前までの村上さんって、常に一歩引いてる感じだったんですよ」


 その言葉に、思わず手が止まる。


 一歩引いている。


 ずいぶん的確な言い方だった。


「今日は違うってことか」


「ちょっとだけ前に出てる感じです」


 高橋はそこまで言ってから、冗談っぽく笑った。


「いいことあったんですか?」


 いいこと。


 それは、あった。


 けれど「人生をやり直してる」なんて答えられるはずもない。


「まあ、朝から少しうまくいっただけだよ」


「その“少し”が一番大事なんですよ、たぶん」


 軽い調子でそう言って、高橋は自分の席へ戻っていった。


 その背中を見送りながら、俺は小さく息を吐く。


 少し、うまくいった。


 たしかにその通りだ。


 劇的な変化じゃない。

 誰かに羨ましがられるような成功でもない。


 でも今の俺にとっては、それで十分だった。


 視界の端に、ログが浮かぶ。


【短期分岐変動】

周囲印象:微改善

対人反応:安定

行動信頼値:上昇中


 やっぱり、変わっている。


 自分の中だけじゃない。

 周囲の反応まで、少しずつズレ始めている。


 怖いと思うべきなのかもしれない。

 けれど、その表示を見るたびに、胸の奥に小さな達成感が灯るのも事実だった。


 やれるかもしれない。


 今まで取りこぼしてきたものを、少しずつ拾い直せるかもしれない。


 そう思った矢先だった。


 受信メールの通知が、画面の右下に現れる。


 差出人を見た瞬間、俺は眉をひそめた。


 営業部主任・野上。


 三年前のこの時期、ほとんど直接やり取りなんてなかった相手だ。


 開いてみる。


 本文は短かった。


 


『午前の資料、見やすくなってたな。

 今進めてる件、もし興味あるなら後で少し話せるか?』


 


「……は?」


 思わず声が漏れる。


 見間違いかと思って、もう一度読む。

 内容は変わらない。


 野上主任。

 前の人生では、この段階で自分にこんなメールを送ってくる相手じゃなかった。


 むしろ、もっと後になってから、ようやく名前を覚えられるくらいの距離感だったはずだ。


 胸の奥が、ざわつく。


 これが――未発生イベント、なのか。


 視界に、ログが重なる。


【未発生イベントを確認】

接続先:営業部主任・野上

発生理由:午前会議での評価変動

推定影響:中


 まるで答え合わせみたいだった。


 午前の会議。

 資料の修正。

 あの小さな成功が、ここに繋がっている。


 たった一つの手直しで、関わるはずのなかった人間との接点が生まれる。


 未来が変わるって、こういうことなのか。


 画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。


 嬉しい。

 でも同時に、わからない。


 新しい道が開けたとして、それが本当に“良い未来”に続く保証なんてどこにもない。


 むしろ、元の人生にはなかった分、危うさのほうが大きい気もした。


 それでも結局、俺は返信を書いていた。


 


『ありがとうございます。

 もしお時間いただけるなら、ぜひお願いします』


 


 送信ボタンを押した瞬間、視界の端でログが淡く光る。


【選択ログ更新】

新規接点:受諾

分岐拡張:進行中


 分岐拡張。


 その言葉は、少しだけ怖かった。


 夕方、指定された会議室へ向かう。


 廊下を歩く足が、わずかに重い。

 これもまた、ひとつの選択だ。


 扉の前で一度だけ深呼吸をして、中へ入る。


「失礼します」


「お、来たか」


 野上主任はノートPCを閉じながら、こちらを見た。


 鋭い目つきのわりに、声は思っていたより柔らかい。


「座っていいぞ」


「はい」


 向かいに座ると、野上主任は単刀直入に言った。


「午前の資料、前回見たときよりだいぶ良くなってた」


「ありがとうございます」


「正直、前の君ならああいう詰め方はしないと思ってた」


 前の君なら。


 その言葉に、妙な引っかかりを覚える。


 もちろん野上主任は、ただ“今までの印象”を言っているだけなのだろう。

 でも、俺にとってはまるで“過去の自分”を見透かされたみたいに聞こえた。


「少し、見直しました」


「そこがいい。言われる前に直せるやつは、伸びる」


 その言葉は、たぶん三年前の俺にとってはかなり珍しい評価だった。


 これまでの俺は、言われたことを無難にこなすことはできても、先回りして動くのは苦手だったはずだ。


「今、営業と企画で一件組もうとしてる案件がある。まだ正式じゃないが、人を一人入れたいと思っててな」


 野上主任はそう言って、一枚の資料を机の上に置いた。


「興味あるか?」


 視線が、その紙に吸い寄せられる。


 前の人生には、なかった誘いだ。


 少なくとも、このタイミングでは。


 喉がわずかに鳴る。


 もしここで引き受ければ、また未来は変わる。

 仕事も、人間関係も、その先の出来事も。


 でも断れば、おそらく元の人生に近い流れへ戻るはずだ。


 視界に、ログが浮かぶ。


【重要選択候補】

案件参加の打診

前回履歴:未発生

予測変動値:高


 前回履歴、未発生。


 つまり本当に、これは新しい分岐だ。


「……どうした?」


 野上主任に問われ、俺はようやく顔を上げる。


「いえ。少し意外だったので」


「意外?」


「自分に、こういう話が来るとは思っていませんでした」


 そう言うと、野上主任は短く笑った。


「来るようにしたのは君だろ。今日の資料で印象が変わった。それだけの話だ」


 その言葉が、胸の奥にまっすぐ落ちていく。


 来るようにしたのは君。


 たった一つの選択が、未来の扉を開く。

 朝から何度も感じていたことを、まるで現実側から言い直されたようだった。


 会議室を出る頃には、空は少し赤くなっていた。


 正式な返事は保留にした。

 すぐに飛びつくのも違う気がしたし、自分の中で整理したかった。


 でも、手応えだけはあった。


 変わっている。

 本当に未来が、少しずつ形を変え始めている。


 会社を出て、夕暮れの街を歩く。


 風が朝よりも少しだけ冷たい。


 駅前の人波に紛れながら、ふとスマホを見下ろす。

 三年前の古い画面。

 それなのに、自分が立っている場所だけは、もう元の線からずれている。


 やり直しなんて、最初はただの救済だと思っていた。


 後悔を消すための、都合のいい奇跡。

 取りこぼしたものを拾い直すための、夢みたいな力。


 でも違うのかもしれない。


 これは消す力じゃない。

 選び直す力だ。


 そして選び直すということは、

 元の未来を捨てて、別の未来に責任を持つということでもある。


 その重さに、今さら気づき始めていた。


 帰りの電車に乗り、ドア横に立つ。


 窓の外を流れていく夕景を眺めていると、不意に視界の端が赤く明滅した。


 朝から見てきた淡い表示とは違う。

 明らかに、警告めいた色だった。


【変動拡大を確認】

本日の選択により、未接続だった人物との接点が増加しています

関連人物:2

影響範囲:予測不能域へ移行中


「……予測不能?」


 思わず、声が漏れる。


 関連人物が二人。


 一人はわかる。野上主任だ。

 だが、もう一人は誰だ。


 朝の彼女か。

 それとも別の誰かか。


 ログは何も教えてくれない。

 ただ、選択の影響がもう俺の把握できる範囲を超え始めていることだけを突きつけてくる。


 胸の奥に、朝とは違うざわめきが広がった。


 変わるのは嬉しい。

 前へ進めている感覚もある。

 でも、その変化の先に何が待っているのかは、まだ何一つわからない。


 窓に映る自分の顔を見る。


 少しだけ、朝より強く見えた。

 けれど同時に、引き返せない場所へ足を踏み入れた人間の顔にも見えた。


 その夜、部屋に戻った俺は、スーツのままベッドに腰を下ろした。


 朝からの出来事を順に思い返す。


 彼女に声をかけた。

 資料を直した。

 新しい案件の打診を受けた。


 どれも小さなことだ。

 けれど、小さいはずの選択が、確実に未来の形を変え始めている。


 静かな部屋の中で、視界の端に最後のログが浮かぶ。


【本日の総合結果】

重要選択成功数:2

新規分岐発生数:3

未来変動率:上昇中


警告:

現在の未来は、前回履歴と一致しません


 一致しない。


 その言葉に、息が止まる。


 当たり前だ。

 変えたのだから、一致しないのは当然だ。


 なのに、その一文は妙に重たかった。


 俺は本当に、別の未来へ踏み込んでいる。


 もう“元通り”にはならないところまで来てしまったのかもしれない。


 ベッドに倒れ込み、天井を見上げる。


 不安はある。

 怖さもある。

 それでも、後悔だけはしていなかった。


 少なくとも今日は、自分で選んだ。


 選ばなかった人生じゃなく、選んだ人生のほうへ、一歩だけ踏み出した。


 その事実だけが、暗い部屋の中でかすかな支えになる。


 だが次の瞬間、ログが静かに、そして冷たく更新された。


【次回重要選択を予告】

対象:未設定

発生時期:近い

備考:接点の再来あり


「……接点の再来?」


 小さく呟く。


 朝の彼女の顔が、真っ先に浮かんだ。


 また会えるのか。

 それとも、会ってしまうのか。


 答えはわからない。


 ただ一つだけ確かなのは――

 俺が変えた未来は、もう次の選択を連れてきている、ということだった。

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