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「人生、やり直しできます。ただし“選択のログ”は消えません」  作者: kaiくん
第1部 やり直しの快感編

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第18話 喜べない勝利

勝ったはずなのに、胸の奥はひどく静かだった。


 朝、会社へ向かう途中から、今日は何かが決まる日になる気がしていた。


 理由は単純だ。

 ここ数日積み上げてきたものが、一つの形になるタイミングだったからだ。


 野上主任の案件。

 提案同行で得た評価。

 課長の反応。

 先輩との微妙な距離感。


 それらが全部、今日の仕事の流れの中で少しずつ答えになる。


 うまくいけば、俺はまた一歩前へ進む。

 それはわかっていた。


 でも、その“うまくいけば”の先に、もう前みたいな無邪気な高揚はなかった。


 部屋を出る前、いつものように視界の端へ意識を向ける。


【選択ログ】

失敗:127

回避:3

保留:12

成功記録:13


 数字は変わらない。


 昨日までなら、この13を見て“次は14だ”と思っていたかもしれない。

 でも今日は違った。


 増えること自体が、少し怖い。


 増えれば増えるほど、その裏側もまた広がる気がするからだ。


 駅へ向かう道は、いつもより少しだけ長く感じた。

 朝の空気は冷たすぎず、春の匂いが混じり始めている。

 それなのに胸の奥は重い。


 ホームに立つ。

 電車を待つ人たちの輪郭が、今日は妙に遠かった。


 奈緒の姿は見えない。

 そのことに少しだけ安心している自分がいる。


 もし今ここで会っていたら、今の俺はうまく笑えなかったかもしれない。

 それくらい、今日は仕事の結果を前にして心が静かすぎた。


 会社へ着くと、朝から空気が少しだけざわついていた。


 大きなざわめきじゃない。

 ただ、課長と野上主任が朝から何度か短く言葉を交わしている。

 先輩もいつもより口数が少ない。


 何かが動く日の空気だ。

 そういうものは、案外はっきりわかる。


「村上、おはようございます」


 高橋が椅子をくるりと回してこちらを見る。


「おはよう」


「今日、発表あるっぽいですね」


 胸の奥が小さく鳴る。


「何の」


「いや、案件の担当とか、そのへんです。課長と主任、朝から話してるんで」


 やっぱり、と思う。


 たぶん今日だ。

 俺がここ数日関わってきた流れが、正式に形になる。


「……そうか」


「なんでそんな静かなんですか。もっとソワソワしてもよさそうなのに」


 高橋は不思議そうに笑う。


 ソワソワしていないわけじゃない。

 ただ、その上に別の重さが乗っているだけだ。


 嬉しくなれるはずの瞬間の、その前からもう素直に浮き上がれない。

 それが少し嫌だった。


 午前中の通常業務は、ほとんど頭に入らなかった。


 メールを返し、資料を確認し、言われた作業をこなしていても、意識の一部はずっと別の場所にある。


 いつ呼ばれるか。

 何を言われるか。

 そして、その結果で誰の位置がどう動くのか。


 そればかりを考えていた。


 やがて、課長が席のほうへ来た。


「村上、ちょっと会議室」


 その一言で、周囲の空気がわずかに止まる。


「……はい」


 立ち上がるとき、一瞬だけ先輩と目が合った。

 その表情は読めない。

 怒っているわけでもない。

 でも、何も思っていない顔でもなかった。


 会議室に入ると、課長と野上主任がいた。


 扉が閉まる。


「結論から言う」


 課長がいつもより短い口調で言う。


「野上案件、正式にお前をメインで入れる」


 その言葉は、数日前の俺なら胸を躍らせるには十分すぎた。


 メイン。

 正式に。

 俺が。


 前の人生では、たぶんこのタイミングでこんな役割は回ってこなかった。


「……ありがとうございます」


 どうにかそれだけ答える。


 声はかすかに震えていた。

 嬉しくないわけじゃない。

 むしろ嬉しい。


 でも、その嬉しさの奥に、すぐ別の感情が重なる。


「提案の場で見せた整理の仕方がよかった」


 野上主任が言う。


「先回りできるのは強い。まだ粗さはあるが、今の段階なら十分任せられる」


「はい」


「もちろん一人で回すわけじゃない」


 課長が補足する。


「だが、お前を軸に組む。そこは理解しとけ」


 軸に組む。


 胸の中で、その言葉が重く沈む。


 前に出る。

 役割を持つ。

 期待される。


 それはずっと欲しかったはずのものだ。

 なのに、今この瞬間の感情は“やった”よりも“本当に来てしまった”に近い。


 視界の端で、ログが淡く光る。


【選択ログ更新】

対象:野上案件ポジション確定

結果:勝利

成功記録:14


 勝利。


 その二文字が、妙に冷たく見えた。


 勝利。

 たしかに、そうなのだろう。


 前の自分より前へ進んだ。

 役割を取った。

 評価された。


 客観的に見れば、これは間違いなく“勝ち”だ。


 それなのに、胸の奥は熱くならない。

 むしろ静かに冷えていく。


 勝った。

 そのぶん、誰かは外れた。


 それが明文化されていなくても、今の俺にはわかってしまう。


 会議室を出たあと、フロアの光景が少し違って見えた。


 何も変わっていないようでいて、もう元の配置ではない。


 高橋がすぐにこっちを見る。

 何かを察した顔だ。


「……どうでした?」


「正式に入ることになった」


 一瞬、高橋の顔が明るくなる。


「マジですか。すごいじゃないですか」


「……うん」


 そう答えるしかない。


「いや、もっと喜びましょうよ」


 高橋は心底不思議そうだった。


 その反応のほうが、たぶん普通なのだ。


 すごいじゃないか。

 喜ぶ場面じゃないか。

 そう言われて、初めて自分がいかに素直に反応できていないかを思い知る。


 視線を上げると、先輩が席で資料を見ている。


 こちらを見ない。

 見ないけれど、まるでその背中そのものが“何かの答え”みたいに見えてしまう。


 昼前、先輩から最低限の確認事項だけが回ってきた。


 文面は事務的で、何もおかしくない。

 それでも、以前より一段だけ距離がある。


 たぶん先輩も仕事と感情を分けているのだ。

 だからこそ余計に苦しい。


 誰かが露骨に怒っていれば、まだ話は単純だ。

 でも実際には、そんなふうに壊れはしない。


 少しだけ距離が変わる。

 少しだけ空気が硬くなる。

 少しだけ、元の場所へ戻れなくなる。


 それが現実だ。


 昼休み、食堂の席についても、食事の味がほとんどしなかった。


 トレーの上にはいつもの定食。

 周囲にはいつもの話し声。

 なのに、自分の中だけがやけに静かだ。


 勝ったのに、喜べない。


 その感覚をどう扱えばいいのか、まだわからない。


 奈緒からメッセージが来たのは、そのときだった。


 


『今日は何かありましたか?

 文章を打つ前の村上さんの顔が見える気がして』


 


 思わず、少しだけ笑ってしまう。


 見えるはずがないのに、なぜだかそういう言い方が奈緒らしいと思えた。


 俺はしばらく考えてから、正直に打つ。


 


『仕事で、欲しかった役割をもらえました。

 たぶん前ならすごく喜んでたと思うんですけど、今は少し複雑です』


 


 送信して、息を吐く。


 奈緒の返事は少しだけ間を置いて届いた。


 


『欲しかったものを手に入れても、単純じゃないことってありますよね。

 でも、それってちゃんと重みがわかるようになったってことかもしれません』


 


 重み。


 その言葉が、胸に静かに落ちる。


 たしかにそうだ。


 前の俺なら、そもそもそこへ届かなかった。

 だから“重み”を感じる前に終わっていた。


 今は違う。

 手にしたからこそ、その先にあるものまで感じてしまう。


 視界の端で、ログが更新される。


【関連分岐更新】

対象人物:感情共有の受容

状態:安定

備考:勝利の解釈は、共有によって変質します


 午後、課長から正式なタスクの説明が入った。


 スケジュール。

 担当範囲。

 先輩との役割分担。

 野上主任との連携。


 話が具体的になればなるほど、“本当に決まったのだ”という実感が強くなる。


 そして同時に、その場にいる先輩の位置もまた、嫌でも見えてしまう。


 外されたわけじゃない。

 だが、中心ではない。


 その違いは、組織の中では小さくない。


 説明が終わったあと、先輩が短く言った。


「進めるなら、途中で独りよがりになるなよ」


「……はい」


「お前、最近見えてるぶん、自分の答えに寄りやすいから」


 その指摘は、鋭い。

 そして悔しいくらい正しい。


 俺はうまくいき始めてから、“自分が見えている正解”に頼る場面が増えていた。

 それは結果を出すには有効だった。

 でも、同時に人を置いていく危うさもある。


「気をつけます」


「そうしてくれ」


 それだけ言って、先輩は去っていく。


 敵意ではない。

 でも、完全な信頼でもない。


 その中間の距離が、やけに現実的だった。


 夕方、自席で一人になったとき、ようやく少しだけ実感が湧いた。


 俺は勝った。

 少なくとも仕事の流れの中では、そう言っていい。


 そして、その勝ちは嬉しい。

 たしかに嬉しい。


 でも、嬉しいだけでは終われない。


 それが今の俺だ。


 視界の端に、ログが最後のように静かに浮かぶ。


【本日の総合記録】

成功記録:14

結果評価:高

他者影響ログ:継続

感情状態:抑制高揚


要点:

勝利が喜べないのは、勝利の価値が消えたからではありません

その重さを知ってしまったからです


 その一文を、しばらく見つめる。


 重さを知ってしまったから。


 まさにその通りだと思った。


 前の俺は、勝ちたかった。

 評価されたかった。

 前に出たかった。


 今の俺は、それを一つ手にした。

 だからもう、“欲しい”だけではいられない。


 勝つことには、位置が変わる痛みがある。

 人との距離がずれる現実がある。

 そして、自分自身もまた前のままではいられなくなる。


 部屋へ戻り、ベッドに腰を下ろす。


 今日はたぶん、人生の中でもちゃんとした勝ちの日だった。

 それなのに、その記憶は妙に静かで、少し苦い。


 喜べない勝利。

 それは敗北よりずっと面倒で、たぶんずっと大人びた感情なのだと思う。


 そして次に来るのは、その勝利を手にするために自分が何を削り、何に頼り、何を置き去りにしてきたのかという、もっと個人的な代償の話だ。

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