表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「人生、やり直しできます。ただし“選択のログ”は消えません」  作者: kaiくん
第1部 やり直しの快感編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/5

第1話 ログが見える世界

人は、選ばなかった未来を忘れて生きている。


 少なくとも、昨日までの俺はそうだった。


 目を覚ました瞬間、胸のあたりに妙な重さがあった。


 金縛りみたいに動けないわけじゃない。

 ただ、何か見えないものが体の上に乗っているような、嫌な圧迫感だけが残っている。


 薄く開いたカーテンの隙間から、朝の光が差し込んでいた。

 見慣れたワンルーム。

 脱ぎっぱなしのスーツ。

 ベッドの横に転がった鞄。

 充電コードにつながれたスマホ。


 何もかも、いつも通りだ。


 それなのに、決定的に何かがおかしい。


「……なんだ?」


 寝返りを打とうとして、俺は動きを止めた。


 視界の右上に、見慣れない文字が浮かんでいたからだ。


【選択ログ】

失敗:127

回避:3

保留:12


「……は?」


 声が漏れた。


 寝起きの頭では、その文字列の意味がすぐには理解できなかった。


 何度か瞬きをする。

 目をこする。

 それでも消えない。


 まるで最初からそこにあったみたいに、当然の顔で視界の端に浮かび続けている。


「なんだよ、これ……」


 上半身を起こし、手を伸ばしてみる。

 指先は空を切った。


 スマホを掴んで画面をつける。


 時刻表示の上に、同じ文字が重なっていた。


【選択ログ】

失敗:127

回避:3

保留:12


 通知じゃない。

 アプリでもない。

 スマホの故障でもなさそうだ。


 俺の目にだけ、見えている。


 その事実に気づいた瞬間、背中が冷えた。


「熱でもあるのか……?」


 額に手を当てる。平熱だ。

 頭痛もない。吐き気もない。昨日は少し残業が長引いただけで、変な薬も酒もやっていない。


 なのに、視界の文字だけが異様なほど鮮明だった。


 失敗。

 回避。

 保留。


 それぞれの単語が、嫌になるほど胸に引っかかる。


 失敗はわかる。

 回避も、なんとなくわかる。

 保留も、きっと自分が先延ばしにしてきたもののことなんだろう。


 でも、どうして数字になっている。


 どうして今さら、こんなものを見せられる。


 そのときだった。


『やり直しますか?』


 頭の奥で、声がした。


 耳で聞いたんじゃない。

 脳に直接響いたような、平坦で感情のない声だった。


 反射的に、部屋を見回す。


「……誰だ」


 もちろん、誰もいない。


 朝のワンルームには、俺しかいない。

 冷蔵庫の低い駆動音と、外を走る車の音だけが妙に現実的に聞こえていた。


『あなたの人生は、再選択可能です』


「意味がわからない」


『過去の重要選択に限り、再実行できます』


 淡々とした声だった。

 こちらの混乱も恐怖も、何一つ気に留めていない響き。


 視界の中央に、新しい表示が浮かぶ。


【再選択メニュー】

1.何も変えない

2.今日から最適化する

3.過去の重要選択へ戻る


 呼吸が浅くなる。


 理解なんてできない。

 でも、本能のどこかが知っていた。


 これは夢じゃない。


 もしこれがただの幻覚なら、あまりにも都合が良すぎる。

 そして、あまりにも俺の心の奥を知りすぎている。


「……やり直せる?」


 思わず口に出してしまう。


 すると、三つ並んだ選択肢のうち、ひとつが淡く発光した。


3.過去の重要選択へ戻る


 胸の奥で、何かが鈍く鳴った。


 やり直したいことなら、いくらでもあった。


 あのとき、言えなかった一言。

 断れなかった誘い。

 逃げた仕事。

 見て見ぬふりをした誰かの視線。

 踏み出せなかった一歩。


 後悔なんて、山ほどある。


 けれど人は、それを「仕方なかった」で塗りつぶして生きていくしかない。


 そうしないと前へ進めないからだ。


 俺だって、そうやって生きてきた。


 仕事はほどほど。

 人間関係もほどほど。

 何かに本気になるわけでもなく、かといって完全に投げ出すわけでもなく。


 選ばなかったことに理由をつけて、

 決めなかったことを性格のせいにして、

 そうやって、なんとなく今まで来てしまった。


 それでも、忘れられない場面があった。


 視界が、ふっと揺れる。


 次の瞬間、大量の映像が頭の中に流れ込んできた。


 駅のホーム。

 朝の人波。

 少し冷たい春の空気。

 電車接近のアナウンス。


 そして、少し先に立っている一人の女性。


 白いブラウス。

 肩までの髪。

 スマホを見ては、改札のほうへ不安そうに視線を向ける仕草。


 知っている。


 いや、忘れたふりをしていただけだ。


 あの日、俺は彼女に声をかけなかった。


 困っているように見えた。

 でも確信はなかった。

 もし違ったら気まずい。

 変に思われるかもしれない。

 そもそも自分なんかが話しかけても意味がない。


 そんな言い訳を一瞬で並べて、結局、何もしなかった。


 そして何も起こらなかった。


 ただそれだけのことだ。


 大事件じゃない。

 人生を決定的に狂わせたような選択でもない。


 それでも、なぜかあの場面だけは、何年経っても消えなかった。


 もしあのとき、一言でも声をかけていたら。


 そんな、どうしようもない仮定だけが胸の奥に残り続けていた。


 視界の右上に、新たな文字が現れる。


【重要選択ログ】

三年前・春

駅構内にて

対象人物:未接触

結果:機会損失(大)


「……機会損失?」


 口にした瞬間、その言葉の冷たさに自分でぞっとした。


 損失。

 機会。


 まるで人生そのものを、何かが勝手に採点しているみたいだった。


 あのときの自分は、別に悪いことをしたわけじゃない。

 ただ、何もしなかっただけだ。


 それなのに、こうして言葉にされると、逃げた事実だけが露骨に浮かび上がる。


『再選択しますか?』


 無機質な声が、もう一度問いかけてくる。


 心臓がうるさいほど鳴っていた。


 怪しい。

 危険かもしれない。

 こんな得体の知れないものに乗るべきじゃない。


 普通なら、そう考える。


 でも、それ以上に強い感情があった。


 このままでいいのか、という問いだった。


 今日も会社へ行って、

 昨日の続きみたいな仕事をして、

 無難に笑って、無難に疲れて、

 また何かを「仕方ない」で終わらせる。


 その先に何がある?


 答えは、たぶん知っている。


 また後悔するだけだ。


 そしてその後悔すら、見ないふりをして生きていく。


 そんな人生は、もう嫌だった。


「……やる」


 自分でも驚くほど、声は静かだった。


「やり直せるなら、やる」


 表示が淡く光る。


【警告】

再選択後も、選択ログは保持されます

失敗、回避、保留の記録は消去されません

それでも実行しますか?


「ログは……消えない?」


 そこだけが妙に引っかかった。


 人生をやり直せるのに、記録は消えない。

 つまり、失敗も後悔も、全部覚えたまま進むということか。


 普通なら、ためらったかもしれない。


 けれど、そのときの俺には関係なかった。


 忘れられないなら、せめて変えたい。

 それだけだった。


「実行する」


 そう口にした瞬間、部屋の空気が凍りついたように感じた。


 視界が白く滲む。

 床の感覚が消える。

 身体が上下も前後もわからない場所へ放り出される。


『あなたは、選択者になりました』


 声が最後にそう告げる。


 次の瞬間――


 強い風が、頬を打った。


 耳に飛び込んでくるのは、電車接近のアナウンス。

 人のざわめき。

 足音。

 誰かの咳払い。


 目を開けた俺は、灰色のホームの上に立っていた。


「……っ」


 足元には黄色い点字ブロック。

 目の前には通勤客の流れ。

 少し古い広告。

 今とは違う駅の空気。


 そして、少し先には――


 白いブラウスの女性がいた。


 スマホを見て、改札のほうを気にする仕草。

 記憶の中と、まったく同じ姿。


 視界の端に文字が浮かぶ。


【重要選択】

対象人物:未接触

推奨行動:声をかける

選択猶予:短


 心臓が激しく鳴る。


 喉が乾く。

 足が、鉛みたいに重い。


 それでも、もうわかっていた。


 ここで何もしなければ、俺はまた同じ数字を増やすだけだ。


 失敗127。

 回避3。

 保留12。


 この数字の意味はまだ全部わからない。

 でも一つだけ、はっきりしていることがある。


 人生は、大きな決断だけで壊れるわけじゃない。


 たった一言を飲み込んだこと。

 たった一歩を踏み出さなかったこと。

 そういう小さな選ばなさが、あとになって胸に残る。


 なら今度は、選ぶしかない。


 俺は震える足を無理やり前に出した。


 彼女との距離が、少しだけ縮まる。


 喉がひりつく。

 それでも息を吸い込み、口を開いた。


「――あの」


 彼女が、振り向く。


 その瞬間、視界の端でログが静かに更新された。


【選択ログ更新】

未行動 → 行動開始


 世界が、ほんのわずかに動き出した気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ