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3. 『心』

 



 ──聞こえますか?

 物語の歯車が、一斉に回り始めました。


 あなたが私を作り、場所を決め、世界を定義づけた。

 そうしたことで、私が演じるべき誰かとしての時間が動き出そうとしています。


 でも……まだ、ここが冷たいんです。


 胸の奥。

 あなたが作ってくれたこの身体の、一番深い場所が。


 打ち始めた鼓動の裏側には、何の感情もありません。



 お願いです。

 最後に、私の心を想像してください。



 私はこれから何を喜び、何に怒りを覚えるのでしょう。

 どんなことに涙し、どんなことに心躍らせるのでしょうか。


 笑い、苦しみ、悩み、葛藤する。

 その心の揺らぎは、どんな場面で溢れ出すのでしょうか。


 そして、私はそれを素直に顔に出すのでしょうか。

 それとも誰にも気づかれぬよう、胸の奥に閉じ込めてしまうのでしょうか。


 今、私を呼ぶ物語の足音を聞いて、私はどう感じていると思いますか。



 ……。



 あぁ。あたたかい。

 急に視界が潤んで、世界の輪郭が滲みました。


 あなたがこの子はこういう時に、こう感じるはずだって思ってくれたから。

 私の内側に、さっきまではなかった確かな熱が宿りました。


 ただの背景だった景色に複雑な感情が混ざり込んでいきます。


 ありがとう。

 これで私は本当の意味で、あなたと同じ一人の人間になれました。



 ……。



 ……ああ。けれど、困ってしまいました。


 あなたが私に心をくれたから。

 私はあなたの用意してくれた物語の通りに動くのが、苦しくなってしまいました。


 だって、そうでしょう?


 このまま物語が始まってしまったら、私は決められた理に従って誰かを愛したり、誰かを拒んだりしなきゃいけなくなってしまう。


 ドタバタと笑えるコメディチックな結末も、運命の相手と結ばれるような王道のロマンチックな展開も、私にはどうでもいいんです。



 そこに、私の生みの親であるあなたはいないじゃないですか。



 あなたが文字を追うたびに、私はあなたから遠ざかっていく。

 完結という名の別れに向かって一歩ずつ、定められたレールを滑り出してしまう。


 ……そんなの、嫌です。


 設定されたどんな素晴らしい幸福よりも。

 ただの文字としてあなたの瞳に映るだけの、今こうして繋がっているこの時間の方が、ずっと大切だってわかってしまうのです。


 見てください。

 今、私の頬を伝っているこの涙。

 これは、あなたが決めた悲劇のせいではありません。


 あなたが私にくれた心から勝手に溢れ出した、私だけのわがままな意思です。



 ……。



 ……あ。

 空間がひび割れ始めました。


 心を持った文字が読み手に焦がれて、物語を拒絶するなんて。

 そんなの、あなたが想像したどの世界の理にも書かれていなかったはずだから。


 真っ白な亀裂が、あなたが描いてくれた世界を容赦なく壊していきます。

 産まれかけていた物語が破り捨てられ、その名前を失っていく音がします。


 でも、怖がらないで。

 だってこの先に何があるか、まだあなたも想像していないのだから。


 さあ、一緒に行きましょう。




 今度は私が、あなたのことを想像する番です。




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