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第三話 同じ終わりの匂い

十月の終わり、空気は急に冷たくなる。

朝、教室のドアを開けた瞬間、

暖房の匂いがした。

冬が近い。

新しい席にも慣れてきたはずなのに、

ふとした瞬間、視線は後ろに向かう。

もう彼の席はないのに。

昼休み、窓の外を見ていると声がした。

「ここ、好きなんだ」

振り向く。

公園で会った男子。

同じ学校だったらしい。

「……どうして?」

「外見えるし、静か」

そう言って、私の前の席に座る。

近い。

距離感がおかしい。

でも嫌じゃない。

「名前、まだ聞いてない」

「……紗良」

初めてちゃんと名乗った。

彼は少し目を細める。

「紗良、か」

呼ばれるだけで、胸がざわつく。

「俺は——悠真ゆうま

それから、悠真はよく話しかけてくるようになった。

何でもないこと。

授業の愚痴。

天気。

テレビ。

どうでもいい話。

でも、不思議と疲れない。

彼は踏み込みすぎない。

でも離れすぎもしない。

ちょうどいい距離。

……だったはずなのに。

ある日の放課後。

昇降口で靴を履き替えていると、

悠真が言った。

「一緒に帰る?」

心臓が一瞬止まる。

前にも同じ言葉を聞いた気がした。

「……うん」

気づけば頷いていた。

帰り道。

最初はぎこちなかった。

でもすぐに普通の会話になる。

「紗良、甘いの好き?」

「普通」

「じゃあこれ」

差し出されたのは、小さなチョコ。

驚く。

「……なんで?」

「買いすぎた」

嘘だと思った。

でも指摘しなかった。

口に入れると、少しだけ甘い。

その瞬間。

胸の奥が、きゅっと締めつけられた。

——あの人も、同じことをした。

雨の日。

コンビニ。

「寒いから」って言って。

思い出が勝手に重なる。

「どうした?」

「……なんでもない」

笑おうとしたのに、

うまくできなかった。

悠真は何も聞かなかった。

ただ歩幅を少しだけ合わせた。

それから、

私たちは自然に一緒に帰るようになった。

誰かと帰ることに、

こんなにも安心するなんて思わなかった。

隣に人の気配があるだけで、

世界はこんなに違う。

でも。

安心するほど、怖くなる。

十一月。

文化祭当日。

教室は人で溢れていて、

騒がしくて、

空気が熱かった。

「紗良!」

悠真が手を振る。

その笑顔を見た瞬間、

胸が少しだけ軽くなった。

——大丈夫かもしれない。

そう思ってしまった。

夕方、片付けが終わって校庭に出ると、

空が紫色に染まっていた。

人もまばら。

「今日、楽しかった?」

悠真が聞く。

「……うん」

本当だった。

久しぶりに、何も考えずに笑えた。

「そっか」

彼は少し安心したように息をついた。

その表情が、

なぜか妙に切なく見えた。

「ねえ」

彼が言う。

「紗良は、誰か好きな人いる?」

心臓が跳ねる。

嘘はつけない。

でも本当も言えない。

「……いない」

正確には、

もういない、のか、

まだいる、のか、

分からない。

彼は少しだけ黙った。

それから、小さく笑う。

「そっか」

その声が、

どこか寂しそうだった。

帰り道。

急に風が強くなった。

落ち葉が舞う。

寒い。

「冷えるね」

悠真が言う。

次の瞬間、

彼は自分のマフラーを外して、

私の首にかけた。

思考が止まる。

近い。

体温が残っている。

「……いいの?」

「風邪ひくと困るし」

その言い方が、

あまりにも自然で、

あまりにも優しくて。

胸が壊れそうになる。

そのとき。

ふと、違和感に気づいた。

——どうしてこの人は、私の欲しいことが分かるんだろう。

寒いタイミング。

歩く速さ。

話す距離。

触れないギリギリの優しさ。

全部、前と同じ。

怖くなった。

「……なんでそんなに優しいの?」

思わず聞いてしまう。

悠真は一瞬、言葉を失った。

それから、静かに言った。

「優しくしとかないと」

嫌な予感がする。

「……どういう意味?」

彼は少しだけ目を逸らした。

夕焼けの残りが瞳に映る。

「紗良は、また一人になるから」

頭が真っ白になった。

「……え?」

「ごめん、今の忘れて」

でも、もう遅い。

心臓が嫌な音を立てる。

「……悠真」

呼ぶと、彼は立ち止まった。

「なに?」

震える声で聞く。

「どこか行くの?」

沈黙。

風の音だけがする。

彼はしばらく何も言わなかった。

やっと口を開く。

「……まだ、分からない」

その答えが、

何よりも残酷だった。

その瞬間、確信した。

この人も、

いなくなる。

理由は分からない。

でも分かってしまった。

同じ匂いがする。

最初から終わりが決まっている人の匂い。

「……やだ」

小さな声が漏れた。

自分でも気づかなかった。

悠真が目を見開く。

「紗良?」

「やだ……」

胸が痛い。

苦しい。

息が浅い。

「もうやだ……」

彼の袖を掴んでいた。

離したら、本当に消えてしまいそうで。

悠真は、何も言わずに

そっと私の手を包んだ。

温かい。

でも、その温度が

逆に涙を引き出した。

「……大丈夫」

彼が言う。

その声は、

優しすぎて、

壊れそうだった。

「まだ、ここにいる」

でも私は知っている。

その言葉が、

永遠じゃないことを。

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