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第二話 空席は、音がする

九月の教室は、夏の残り香で少しだけだるい。

窓から入る風はぬるくて、

カーテンがゆっくり揺れている。

隣の席は、相変わらず空いたままだった。

先生は何も言わない。

クラスの誰も触れない。

まるで最初からそこに誰もいなかったみたいに。

でも私は知っている。

椅子を引く音も、ノートをめくる音も、

全部ここにあった。

空席って、不思議だ。

何もないのに、やけにうるさい。

放課後、また彼の机を開けた。

もう何も出てこないと分かっているのに。

それでも手を入れてしまう。

奥まで。

何か残っているかもしれないみたいに。

指先に触れたのは、木のざらつきだけ。

「……ばかみたい」

誰もいない教室で呟く。

窓の外はオレンジ色に染まり始めていた。

あの日と同じ時間。

——終わる感じがするから。

胸が痛くなる。

それから私は、

彼のことを誰にも聞かなくなった。

聞けば終わる気がした。

「もういない」という現実が固定されてしまう。

だから、知らないふりをする。

ただ、帰り道だけは変えられなかった。

一緒に歩いた道。

信号。

コンビニ。

全部そのまま。

隣に誰もいないことだけが違う。

十月。

文化祭の準備が始まった。

教室は騒がしくて、

みんな忙しそうで、

私の空白なんてどうでもいいみたいだった。

「沙良ー、これ運ぶの手伝って!」

クラスメイトに呼ばれて、

重たい段ボールを持つ。

ふと、思う。

——彼なら、何も言わずに持ってくれただろうな。

そんな想像が勝手に浮かんで、

勝手に消えて、

勝手に苦しくなる。

準備が長引いて、帰りが遅くなった日。

校門を出ると、もう暗かった。

街灯がぽつぽつと灯っている。

肌寒い。

「寒……」

思わず呟いた瞬間。

背後で、誰かの足音が止まった。

振り返る。

知らない男子だった。

同じ制服だけど、見覚えはない。

「……落としたよ」

差し出されたのは、ハンカチ。

気づかなかった。

ポケットから落ちたらしい。

「あ、ありがとう」

受け取ると、彼は少しだけ頷いた。

「一人?」

「うん」

「危ないから気をつけて」

それだけ言って、歩き去る。

なんでもないやり取りのはずなのに、

胸が妙にざわついた。

背中が、少しだけ似ていたから。

その夜、久しぶりに夢を見た。

教室。

夕焼け。

彼が窓際に立っている。

「ねえ」

呼ぶと、振り向く。

でも顔が見えない。

光で塗りつぶされている。

「どうして何も言わずにいなくなったの?」

答えはない。

ただ、彼は言う。

「沙良は優しいから」

それは、あの紙に書いてあった言葉と同じだった。

「忘れられるよ」

「忘れたくない」

声が震える。

「……どうして」

やっと聞けた質問。

その瞬間、彼の姿が崩れた。

光に溶けるみたいに。

目が覚める。

暗い部屋。

午前三時。

枕が濡れていることに、そこで気づいた。

次の日、学校へ行くと、

黒板に席替えの文字があった。

ざわめく教室。

嫌な予感しかしない。

結果。

私は前から二番目の席になった。

当然、彼の席ではない。

空席は、別の人で埋まった。

椅子が引かれる音。

机に物が置かれる音。

笑い声。

全部、普通のことなのに。

胸の奥が、静かに壊れる音がした。

その日の帰り道。

私は初めて、違う道を選んだ。

遠回り。

知らない住宅街。

暗い公園。

逃げるみたいに歩く。

でも、どこへ行っても

自分からは逃げられない。

ベンチに座る。

空を見上げると、星が少しだけ見えた。

そのとき、ふと思う。

——あの人は今、どこにいるんだろう。

元気なのかな。

笑ってるのかな。

私のこと、もう忘れてるのかな。

考えたくないのに、考えてしまう。

ポケットの中で、指先が紙に触れた。

あのメモ。

何度も開いて、

何度も折り直して、

少し柔らかくなっている。

もう一度読む。

「ごめん。

 沙良は優しいから、忘れられるよ」

「……優しくなんかないよ」

誰に向けた言葉でもない。

忘れられない。

忘れたくない。

でも会えない。

それが一番残酷だ。

そのとき、後ろから声がした。

「やっぱり一人でいる」

振り返る。

昨日の男子だった。

「……偶然?」

「帰り道」

そう言って、少し離れた場所に座る。

沈黙。

でも、不思議と気まずくなかった。

「ここ、よく来るの?」

「初めて」

「そっか」

また沈黙。

風が木を揺らす音だけがする。

彼は突然言った。

「泣いた?」

ドキッとする。

「……泣いてない」

「目、赤い」

嘘がバレている。

でも否定する気力もない。

彼はそれ以上追及しなかった。

ただ、空を見上げて言う。

「ここ、星見えるね」

その言い方が、

どこか懐かしくて、

どこか痛かった。

帰り際、彼が聞いた。

「名前は?」

一瞬、答えられなかった。

自分の名前を言うことが、

誰かとの関係の始まりになる気がして。

「沙良」

小さく答える。

彼は少しだけ笑った。

「いい名前」

その言葉が、

どうしようもなく優しくて、

どうしようもなく怖かった。

私はまだ知らなかった。

この出会いが、

彼の消えた理由に繋がっていることを。

そして、

同じ終わりに向かっていることを。

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