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いない編集者  作者: 夜明けの語り手


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2/4

2話 判断

朝の編集部は、うるさい。


コピー機の音。

キーボードを叩く音。

誰かの笑い声。


湊は、そのすべてを「情報」として処理していた。

感情は、混ぜない。


机の上には、二つの原稿が置かれている。


一つは、昨日の会議で落とした原稿。

もう一つは、昨夜遅くに届いたネーム。


——どちらも、才能はある。


そして、

——どちらも、危険だ。


「湊」


デスクが声をかけてくる。


「次の新連載枠、一本だけ空けられる。

どっちを出す?」


選択肢は、最初から決まっていた。


編集者の仕事は、

“よりマシな未来”を選ぶことじゃない。


“より燃える未来”を選ぶことだ。


湊は、昨夜届いたネームを手に取った。


絵は粗い。

構成も破綻しかけている。


だが、ページをめくるたびに、

胸の奥に小さな違和感が積もっていく。


——不快だ。

——整理されていない。

——優しくない。


それでも。


(……読んでしまう)


主人公は、完全に嫌な人間だった。

言い訳をして、他人を責めて、失敗しても学ばない。


救いはない。

カタルシスもない。


——なのに、目が離れない。


「こっちです」


湊は、迷わず言った。


会議室が、ざわつく。


「こっち? 本気か?」


「荒れすぎてるだろ」


「読者、ついてこれないぞ」


湊は、反論しなかった。


「嫌われます」


ただ、それだけ言った。


「でも、嫌われなかったら、残りません」


沈黙。


デスクが、腕を組む。


「……責任、取れるな?」


湊は、一瞬だけ考えた。


——取れない。

——編集者は、責任なんて取れない。


それでも。


「はい」


そう答えた。


その瞬間、

もう一つの原稿が、静かに外された。



数週間後。


連載第一話が、公開された。


反応は、想像以上だった。


「不快」

「意味がわからない」

「主人公に共感できない」


炎上、と呼ぶほど大きくはない。

だが、確実に燃えていた。


湊は、数字を見つめていた。


初動は悪くない。

だが、離脱率が高い。


——想定内。


「湊」


先輩編集者が、声を落として言う。


「切った方の作家、どうなったか知ってるか」


湊は、顔を上げなかった。


「別の編集部に持ち込んだ」


一瞬、胸が鳴る。


「……連載、決まった」


その言葉が、

湊の中で、音を立てて崩れた。


「しかも」


先輩は続ける。


「向こうで、かなり評価高い」


湊は、何も言えなかった。


——そんなはずはない。

——あれは、守りに入った作品だった。


夜。


一人になった編集部で、

湊は机に突っ伏していた。


間違えた?


いや。

判断としては、間違っていない。


嫌われる覚悟のある作品を選んだ。

理屈は、通っている。


それでも。


——俺は、何を切った?


ふと、思い出す。


あの原稿の最後のページ。

主人公が、ほんの一瞬だけ、

自分を恥じるコマ。


あれを、

「弱い」と判断したのは、誰だ。


——俺だ。


湊は、立ち上がる。


引き出しを開ける。

奥にしまっていた、

切った原稿のコピー。


ページをめくる。


今読むと、

違って見える。


荒さの奥に、

続く“余地”があった。


「……」


スマートフォンが震える。


連載作家からのメッセージ。


〈読者の反応、正直きついです〉

〈このまま描いていいんでしょうか〉


湊は、画面を見つめたまま、動けなかった。


——俺は、前に出すぎた。


判断をした。

責任を取ると言った。


それは、

編集者が一番やってはいけないことだった。


湊は、ゆっくりと入力する。


〈描いてください〉

〈判断したのは僕です〉


送信。


そして、メモを開く。


〈編集者は、

作品より前に立った瞬間に、

間違える〉


湊は、その一文を、消さなかった。


この失敗を、

自分の名前で背負うために。

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