第二十三話 魔女、南の島へ転生する
結婚してから、早くも半年が過ぎようとしています。
長いようで短かった、なんて言いますが。
ばたばたと毎日を過ごしていたからか、あっという間だった気がするの。
「あたしたちって、だんだんと夫婦らしくなっていると思わない?」
「自分からそう言うのは、どうかと思うぞ」
「誰も言ってくれないから、しかたなく自分で言っているのよ」
「具体的に、どこが夫婦らしくなっていると?」
「例えば家事よ、あたしが担当するって宣言したのに」
「俺は、気がついたときに手伝っているだけだろ」
ゴミ捨ては家事だろ、なんて言う旦那様が多少なりともいるって聞くのに。
「家事をまったく苦にしないものね、ゴウさんは」
「おまえが例の告白をするまでは、俺が家事をしていたからな」
「でも、一緒に家事をするんだから夫婦らしいでしょ」
「それに、けんからしいけんかもしたことがないし」
「別に、結婚前にもけんかをすることはなかっただろ」
「小言はよく言われていたし、怒られることだってたまにはあったでしょ」
「ふ~ん、たまにはね」
威張って言うことではないわね、頻繁に怒られていたから。
「その小言すらあまり聞かないし、ましてや怒られることなんてないもの」
客観的に見ても、夫婦仲もむつまじく新婚生活を送っているんです。
そんな二人に、とんでもない問題がいきなり襲いかかってくるなんて。
珍しく、先生を交えたおうちでの夕食を済ませてから。
これまた珍しく、先生に誘われリビングでお酒を飲んでいるときに。
先生が投下した爆弾発言が、すべての始まりだったの。
「……ってことだから、よろしくね」
「いきなり何の話だよ、それ」
「だから、あたしは来月の終わりからサイパンに行くって言っているんだよ」
先生ったら、いきなりわけの分からないことを言い出すんだもの。
「サイパンに何をしに行くんだ、観光か?」
それなら、サイパンに旅行するって言うでしょ。
「完全空調の植物園を作り、品種別にパビリオンを建てる話があってね」
「植物園?」
「ああ、その中のひとつをバラ館にするんだとさ」
「それとオバちゃんに、何の関係があるんだ?」
「あたしに、指導者として来てほしいって依頼がきたんだよ」
「観光ではなく、お仕事で行くってことですか?」
「まあ、そういうことになるね」
「それで、行くって返事をしたのか」
「ああ、悪いかい?」
「オバちゃんの人生だから、いいも悪いも俺はないけれど」
「じゃあ、いいんだね」
「別に、好きにすればいいんじゃないか」
それだけ?
賛成するにしろ反対するにしろ、ずいぶんとあっさりしているのね。
「どれぐらいサイパンに行っているんだ、ひと月かふた月か」
「短くて二年ほどで、普通なら三年ってところだね」
「最長で三年って、まるで海外移住じゃないか」
移住だったら長く住むでしょ、三年だと移住というには短いのでは?
「オバちゃんが三年もいなくて、この家はどうするんだ」
「どうって、おまえたちが好きに使えばいいだろ」
「そう言われても、家主不在で三年も」
「今までにあたしは講演でいないことが多かったし、変わらないだろ」
確かに、ゴウさんとあたしが二人きりだったり。
ゴウさんもいないときは、あたし一人でお留守番することも多かったわね。
「あたしの部屋さえ、そのままにしておいてくれればいいから」
衝撃的な発言を聞いて、お部屋に戻ったゴウさんとあたしは。
「気楽でいいよな、オバちゃんは」
「あんなにあっさりと、海外でお仕事するって決められるものなのね」
「おまえのおやじさんも似たようなもんだろ、それに外村や昭だって」
「あの三人は宮仕えだもの、先生とは違うわ」
「ふうん、おまえにしちゃまともな意見だな」
「もうっ!」
「それにしても、まるで魔女が南の島へ転生するみたいな話だな」
先生のことを魔女だなんて。
でも、あたしも前に似たようなことを思ったことがあたっけ。
実家に食事をしに行って、お姉ちゃんから結婚を押し付けられたときにね。
ここまでは多少驚いたとしても、どんでもない問題とまでは言えません。
あたしたち二人は、こんなことには慣れっこになっていますから。
問題なのは、ここまでの話を受けてあたしが思いついたことなんです。
考えに考えて、プランがまとまってからゴウさんに切り出したの。
「あのね……」
まだ何も言っていないのに、あたしの口調から何かを察したのかしら。
ゴウさんの顔が、みるみるうちに曇っていくわ。
「このお部屋は寝室専用にして、あたしのお部屋をリビングにしない?」
「おまえの部屋は、子供部屋にするって言っていただろ?」
「子供部屋なんてまだ先のことでしょ、とりあえず置いておくとして」
新婚夫婦にとっては、とりあえず置いておく問題でもない気がするけれど。
「そもそも、リビングだったら下にあるだろ」
「ほとんどリビングとして使っていないでしょ、もったいないわ」
「もったいないから、何だよ」
「リビングは、以前はお絵描き教室に使っていたでしょ」
「それがどうした」
「どうせ空いているんだし、お料理教室を開こうかなって」
「料理教室って、リビングで?」
「そうよ、おあつらえ向きの広さだもの」
「オバちゃんの家なんだから、勝手に造作をいじれないぞ」
「先生は言ってくれたじゃない、好きに使っていいって」
「そんな意味で言ったんじゃないだろ、それに学校はどうするんだ」
「辞めようかと思って」
曇っていたゴウさんの顔が、あきれたって顔に。
「お嬢様ってのは羨ましい限りだな、気楽に仕事を辞めるなんて言えて」
「気楽じゃないもん、よく考えたもん」
「いきなり言われたら、学校や生徒に迷惑だろうって言っているんだよ」
「担任を受け持っていないから、年度末に辞めれば迷惑は最小限ですむわ」
入念にシミュレーションをしておいた効果は、思っていたよりも絶大ね。
あたしにしては珍しく、ゴウさんと対等に渡り合っているもの。
「設備はどうするつもりだ、教室ならうちのキッチンだけじゃ足りないだろ」
論点を変えるつもりね、ってことはあたしが優勢なのかしら?
「システムキッチンを何台か、リビングに入れるわ」
「オバちゃんが戻ってきたときはどうするんだよ、撤去するのか?」
「先生が戻ってきても、もうお絵描き教室は開かないでしょ」
「そのまま占領するつもりか」
わざとその質問には答えずに、甘えた声で。
「ねえ、だめかなぁ?」
「だめとは言わないけれど、いくらかかると思っているんだ」
「費用なら、パパとママが出してくれるって」
オーストラリア支社の立ち上げを終え、パパとママは日本に戻っています。
「俺に言う前に、親に話したのか」
「だって、ゴウさんに言うときにはすべての算段が整っていないと」
すぐに、論破されちゃうもの。
「外堀から埋めようとするなんて、まるで悪だくみだな」
「せめて、準備万端整えたと言ってちょうだい」
「でも、それこそ子供ができたらどうするんだよ」
「お教室は平日の昼間だけにして、その間はママに面倒を見てもらうつもり」
「金を出した上に子守りまでさせられるのか、おふくろさんも散々だな」
「散々だなんて、協力と言ってほしいわ」
「で、生徒はどうやって集めるんだ」
ついに、許可をする前提での質問が。
「お絵描き教室に通っていた生徒さんや、そのお母さんに声をかけてみるわ」
「それだけで集まるのか?」
「ママにも、ご近所に声がけをしてもらうし」
「また親頼みか、何でもかんでも誰かに頼るのはどうかと思うぞ」
「困っているときこそ人を頼りなさいって、習わなかった?」
「ねえ、いいでしょ」
「う~ん」
あと一歩って感じね、ならばここで切り札を。
「唯一の特技のお料理をお仕事にできるなんて、こんな機会はもうないかも」
「おまえが思っているより大変なんだぞ、設備工事や許可申請だってあるし」
反論も後退気味になってきたわ。
「ゴウさんが手伝ってくれれば、スムーズにはかどるでしょ」
「結局、面倒なことは自分ではやらずにすべて人任せかよ」
「だから、人を頼るべきだって」
「オバちゃんの話を聞いてから、何日もたっていないのに」
よしっ、ついに諦めたって顔をしているわ。
「じゃあ、いいのね」
「やるからには、責任をもって臨むんだぞ」
「うんっ、ありがとう」
最大のネックだった、ゴウさんからの許可も取り付けたんだもの。
ここから先は、お料理教室の開催に向けて一直線よっ!
あの手この手を駆使し、どうにかこうにかゴウさんの説得に成功して。
その勢いで、先生の同意も得られたから。
晴れてあたしはお料理教室の先生になれるはず、だったのに。
お部屋のテーブルに、システムキッチンのカタログをいくつも広げて。
ねじり鉢巻こそしていませんが、電卓を片手にどれにするか悩んでいると。
「うれしそうにしているところを悪いが、教室をうちで開いていいのか?」
ゴウさんったら、やけに思わせぶりな言い方をしちゃって。
「もちろんよ、おうちが仕事場になるなんて最高じゃない」
「おまえがいいって言うなら……、まあ構わないか」
今度は、意味深な間ね。
「ゴウさんが振替休日で平日がお休みになる日は、一緒にいられるんだもの」
「何を言っているんだ、一緒に過ごせない時間はむしろ増えるだろ」
「どうして?」
「まず、おまえが教室で教えていたら一緒に過ごせないだろ」
「えっ?」
「事前の準備だってあるだろうし、教室が終わってからは後片付けがあるし」
「あっ!」
「学校の授業と違って教科書がない分、自分でカリキュラムを考えたり」
うう……、そこまでは考えていなかったわ。
「だから、一緒に過ごせる時間はぐっと減るんじゃないかと言っているんだ」
「それじゃ、予定と違っちゃうわ」
ピークにまでもっていったテンションが、あっという間にだだ下がり。
「だからいいのかって聞いたんだろ、それぐらい自分で気がつけよ」
ゴウさんは、あきれたって顔をしてそう言うと。
かわいそうな人を見るような目で、あたしを見ている。
「やっぱりやめるわ、お料理教室なんて」
「あれだけ熱弁をふるっていたのに、今さらやめるって」
「おうちの中にいたとしても、一緒に過ごせなくなるんじゃ意味がないもの」
「教室より、俺と一緒にいることが主目的かよ」
「もちろんそうよ、教室はそのための手段なのに一緒にいられないんじゃ」
「大山鳴動してネズミ一匹か、俺だけじゃなく両親まで巻き込んで」
「面目ないとは思っているけれど、行動に移す前で実害はないから良かった」
学校へは何も伝えていないし。
システムキッチンを中心とした設備だって、発注どころか見積りもまだ。
ましてや備品や消耗品に至っては、まったくの手付かずだし。
「おまえもたいがいだけれど、オバちゃんも罪作りだよな」
立ち消えになったと思われた、幻のお料理教室ですが。
意外な形で、こぢんまりと開かれることになっているの。
ゴウさんが、出張や休日出勤でいない日。
つまり、香澄とハナマルがお泊まりに来ている日曜日のお昼に不定期でね。
これなら、ゴウさんとの時間を犠牲にしなくてすむもの。
「香澄やハナマルがお料理を習いたいって言うの、豆キチさんの奥さんも」
「川木はともかく、どうして南野が料理を習いに」
「いつか彼氏にお料理を作ってあげたいから、修行のつもりで通うんだって」
「ものは言いようだな、どうせ料理で男を捕まえるつもりをしているんだろ」
「かわいそうだわ、そんなことを言ったら」
あたしも、ハナマルから聞いたときには同じことを思っちゃったけれど。
「せいぜい、とらぬタヌキの皮算用にならなきゃいいが」
「お料理教室を開こうとしたあたしみたいに、ならないといいわね」
この話には、後日談がありまして。
先生は、よっぽどサイパンの水があったのか。
予定は三年程度だったのに、依頼が終わった後もずっと住んでいます。
年に一度か二度、思い出したように帰国して。
一週間ほどすると、そそくさとサイパンに戻っていくの。
「お気楽なご身分で、うらやましいよ」
「いいじゃない、昔っからそんなところがあった先生らしくて」
「確かに、オバちゃんらしいっちゃオバちゃんらしいが……」
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